無境界

無境界―自己成長のセラピー論
吉福 伸逸
今更ですが、ちょうどコメント欄で境界の話がでたのでご紹介。
この本は義母にいただきました。予想外の頂き物で嬉しい限りです。
気になった箇所をいくつかご紹介しましょう。

事実は単純だ。われわれが争いと対立の世界に住んでいるのは、
われわれが境界の世界に住んでいるからである。すべての境界が
同時に戦線だというところに、人間のおかれた苦しい立場がある。
境界が強化されればされるほど、戦いは苦境に陥る。
快楽に執着すればするほど、さらに苦痛を恐れなければならない。
善を追求すればするほど、悪に対する強迫観念が強まる。
成功を求めれば求めるほど、失敗を恐怖する。生に執着すれば
するほど、死はより恐ろしいものになってくる。何かに価値を
見出せば見出すほど、その喪失が怖くなる。つまり、われわれが
抱えている問題の大半は、境界とそれが生み出す対立の問題なのだ。

本来切り離せないものを切り離そうとするから対立が起きるんですね。
国境もそうですね。宇宙から地球を見たら、国境なんてものは見えません。
しかし、そこに国境が現実にあるかのように世界は動いている。

つまり、われわれがふつう和解不可能だと考えている原因と結果、
過去と未来、主体と客体のようなあらゆる物事は、実際には波の
峰と谷のように単一の振動なのだ。波はそれ自体、単一の出来事で
あるが、峰と谷、頂上と底という対立をとおしてのみ自らを表現する。

部分と全体も同様ですね。それぞれを通して表現する。
ここまで手書きで書いていたら、かつて友人のサイトで書評されていたこと
を思い出した。早速見てみると、
・無境界を生きる決意
http://retz.seesaa.net/article/75677246.html

前半同じところ引用してるよ。楽できたのに。。
ま、そんなわけでこの本をお勧めなのでとにかく読んでみてください。
何度も読みたい本の一つです。

概念

2008032411350820080324113508 posted by (C)ふぁーふぁ
沖縄に毎月誰かしらかを連れて行っている。
共通するのは、何かおかしい!自分を変えたいと感じていること。
日常の中に居ては、普段自分が抱えているものに気付きづらい。
普段我々が空気の存在に意識しないのと同じだ。
水の中に入ったり、非日常になることで空気を意識する。
東京から沖縄に行き、非日常を体験することで、
自分の普段蓋をされている概念に気付くことが出来る。
人は自分のことが実は一番わかっていない。
自分を深めるには他者の協力が欠かせない。
人は一人では活きていけない。
自分を制限している概念を解き放ち、新たな道を創り出そう。
限界を超えていくことは、実は意外と簡単なことだったりするもんだ。
自分を深める階段を降りてみませんか?

不屈の人

ベトナムではたくさんの方をご紹介いただいた。
その中で一番印象的な方がこの方。
F1000035F1000035 posted by (C)ふぁーふぁ
1区という都会から車で1時間ほど行き、そこからさらに
歩いていく。こんな風景。

やっとこさ到着して、飲んではいけない氷の入った飲み物を出される。
(氷はとても不衛生なので大体みんなお腹を壊す)
覚悟して飲もうとしたが、氷なしを紹介者がリクエストしてくれて
暖かいレモンティとなった。これも覚悟が必要だったと同伴者は
言っていたが、私だけ飲み干してしまった。
F1000036F1000036 posted by (C)ふぁーふぁ
彼女は解放軍で、アメリカ軍につかまり1年半捕まっていたと。
それで政府から表彰状をもらっている。すごい根性だ。
神秘的な人だった。
家を出ると、

子供が牛を放牧していた。

物質的には恵まれていないが、魂が力強かった。

菩薩の人

笹川良一伝 世のため人のために
黒瀬 昇次郎
この一冊を読んだだけで、彼のことを大分誤解していたとわかった。
「一日一善」「お父さんお母さんを大切にしよう」というTVCMの
おじさんで善人の仮面をかぶり、実際は競艇のドンとして多大なお金を
費やし利権を作り出していた人だと思い込んでいた。
イメージは当てにならないと反省。実際の人と印象は違うもんだ。
ここまで世のため人のために尽くした人も少ないだろう。
ハンセン病は彼のお陰で撲滅に近づいている。
ハンセン病患者と手をとり顔を擦れ合って、共にご飯を食べ
泣くことが自分にはできるだろうか?彼は実際にやった。
勿論行動の全てが肯定される人は誰もいない。
善悪はそもそも相対的なものだ。清濁併せ呑むという言葉もある。
色んな意味で大きく包む器がなければ、大きなことはできない。
彼は昭和を代表する稀代の大人物だった。
人の評価は難しい。本人が満足していればそれでいいのだ。
日本財団会長 笹川陽平氏 Blog
http://blog.canpan.info/sasakawa

いちゃりばちょうDAY

久しぶりに実家に帰った。都心と郊外は車ではすぐだけど
空気が違った。梅も咲いてて自然は良いですね。
2008031515032220080315150322 posted by (C)ふぁーふぁ
昔は都会に住みたかったけど、今は田舎がよくなってきた。
人間って変わりますね。実家からイチャリバに行くとき、
飛行機雲が綺麗にでていた。
2008031617414220080316174142 posted by (C)ふぁーふぁ
「真っ直ぐ進めようー」と応援してくれているように感じました。
そして、イチャリバへ。

続きを読む いちゃりばちょうDAY

恩師

中高生時代の恩師が定年を迎えられた。幸い都合がついたので、贈る会に参加しました。
今私がやっていることの原点を創りだしたキッカケは、戸邉先生が主催していた、タイ研修旅行にあります。
タイ山岳民族との体験がなければ、いまこうして、沖縄・ベトナムをキッカケに世の中を良くしようとは思わなかったかも知れません。
最初に井戸を掘った人を大事にしようと、よく沖縄メンバーと話します。私の最初の井戸でもあるタイのこともこれから取り組んで行きたいと思います。

帰国

ホーチミン
ホーチミン posted by (C)ふぁーふぁ
戻りましたー!昨夜の0時にホーチミンを出て、
朝に成田について、そのまま色々とありまだ寝てないので
なんかハイテンションです。
ベトナムは沖縄のご縁で繋がって、経済界のTOPから農民層まで
幅広いベトナムに触れることができました。
詳しくは寝てからまた書きますね。
ベトナムと沖縄は似ているとだけ書いておきましょう。
それではまた!

9区

ベトナム乾季なのに、雨降りました(*_*)
シャイな人が多いです。これから発展間違いなし!

旅立ち

これから行って来まーす!

BLOG IT! from [2008.03.05] 沖縄問題に関する二つの意見 | Blog(ブログ) | [公式] 天木直人のブログ

沖縄に関する二人の記者の意見が転載されていた。
ご紹介しよう。
[2008.03.05]   沖縄問題に関する二つの意見 | Blog(ブログ) | [公式] 天木直人のブログ

 一つは、毎日新聞「記者の目」における三森輝久那覇支局の、沖縄少女暴行事件に関する次の意見である。
・・・私はかねて沖縄問題は日本という国の公正さを問う問題だと考えてきた。この国は、沖縄を戦時中に「捨て石」とした揚句、沖縄復帰後も米軍基地の大幅返還に消極的だ。一地方に過酷な歴史を負わせ続ける理由は、日本が不公正な国だからとしか、考えようがない・・・国民の多くが日米安保を必要と考えながら、安保による痛みを沖縄に負わせ続け、共有しようとしない矛盾。そして女性や子供が被害者となりながら、国内法の下で審理できない矛盾。(今回の少女暴行事件は)二つの矛盾を(私たちに)突きつけている・・・

前にも書きましたが、共感がキーワードですね。
そしてもう一つ、

朝日新聞「私の視点」で述べられていた現代史研究者大杉一雄氏の沖縄集団自決に関する次の意見である。
(中略)
・・・悲劇の責任を問われるべきは、沖縄現地軍というよりは、敗色歴然となっても本土決戦、一億玉砕を叫んでいた軍首脳部と、終戦を積極的に推進しなかった政治家である。権力の中枢にいた人々と、第一線で戦わざるを得なかった人々の責任の軽重は、厳に区別されなければならない。

歴史的事実は、粛々と調査の上積み上げられていくべきでしょう。
政治的圧力により歪曲することは、自分の首を絞めるものです。
また責任を追及することよりも、未来に向けてどう自分たち一人ひとりが
働きかけていくか?がより建設的ではないでしょうか。
一億総懺悔をしても生み出すものはないでしょう。
表現の一つ一つを噛み締めながら、相対に想いを馳せつつ、
一歩ずつ歩いていきたいと思います。