ノーベル賞の裏
ノーベル平和賞がオバマ大統領におくられた。異例の受賞だ。今までなら、業績があり、時間の試練を経た生存者だけが受賞してきた。業績もなく時間も経っていない彼になぜ賞がおくられたのだろうか?
物事には表と裏がある。そして、そのまた表と裏にも、さらに表と裏があると言われている。どんな見方も可能性の一つとして捉えることから見え方が変わってくる。
人はみな自分なりの常識、概念を持っている。
しかしそれはある見方の一面でしかない。
オバマは菩薩である。というのも一つの見方だ。
さて実は、日本人初のノーベル文学賞は三島由紀夫におくられるはずだったと聞いたらどう思うだろうか?
彼もまた菩薩だった。しかし、彼は魔境に入ったために、本来向かうべきところを間違えた。そして何でも実現できた彼は、老い、病に自分が負けることが許せなく、死さえも自分の手でコントロールしようとした。才能ある人がなぜあのような死を選んだか?
私には、菩薩が道を間違えたからだとするとすっと納得ができる。
話をもどそう。オバマ大統領に賞を与えた理由も、菩薩だと考えたら理解できる。いま彼に賞を与えることで、更に菩薩の道を邁進させようと応援してる人がいると聞いた。遅く与えては遅いかもしれないからだと。この意味がわかるだろうか?これも一つの解釈だ。
このように、たとえば菩薩という概念一つをとってみても、人それぞれ連想することが違うであろう。自分なりに、菩薩とはこういうイメージだという定義があって、世界をイメージできる。これは菩薩という概念だけに限らない。世界に対して自分なりの解釈、価値観の柱がないと、状況に振り回されるだけである。
表面だけを見ていては、物事の真相は見えてこない。人間も、心・魂・霊といったものから見ていかないと説明がつかないことが多々ある。
人は思考で生きているように見えるが、実はその奥にある無意識、霊魂といったものに動かされている。
霊=概念といってもいい。
人とは違う概念・違う見方から見たとき、多数の人は違和感を感じる。人と違うより同じでいたいからだ。それはそれでいい。何も悪いことではない。
たとえば、お金が欲しい人は好きなだけ追い求めたらいい。その人の修行だ。で、私は数多くのいわゆる成功した人や著名人に会う機会に恵まれてきた。
先日のShihoちゃん結婚式でも、数多くの方と再会したり、紹介されたりした。K1の石井館長やパソナ南部社長とは、農業の話や障がい者アートの話をした。神田うのさんのBlogにも写真が載っているよと教えてもらったが、こうしたことも今まで、多くの人に会いすぎて、いちいち書くのが大変なので、あえてあまり書かないようにしていた。
今後は相手を特定すると問題があるような会話も多いので、誰かというよりは、話の中身を書いていこうと思う。オバマ大統領の話も、会話の一部として話している。菩薩を説明する際にわかりやすいからだ。
前回書いた因縁もその一部だ。
それらを書けば、私が感じた時代というものをよりわかりやすくお伝えできるかと思う。
8 comments