運命と宿命の出会い
人生には、運命と宿命がある。自分で変えられるのが運命。変えられないのが宿命である。人生のスタート地点は宿命で決まる。アジア人とか日本人とか男か女とかである。
人生が始まり、宿命のターニングポイントがある。いつそれが起こるか?それを求めて占いも発達した。知ってもしょうがないことを求めるのが人間だ!
さてその宿命の出会いともいうべきポイントとポイントの間が運命だ。命を運ぶと書いて運命。命が宿るで宿命。言葉って面白い。
人生はあみだくじのようだ。分かれ道が必ずあって、その選択で人生は変わっていく。だから人生は自分で好きなように創造できるのだ。
人それぞれが自分の課題や体験したいことを持って生まれてきている。その中で、運命の出会い、宿命の出会いがある。この出会いはどちらだろう?などと気にしても意味がない。好奇心を満たすことより、その出会いから信号を受け取り人生に活かすことのほうが大事だ。
先日こんなことがあった。1週間以内の出来事だ。
1.道端で偶然Aさんに会った。
2.イベントを主催しているBさんからお誘いを受けた。
3.メールやニュースで占いという言葉が頻繁に目についた。
私は頻繁に偶然人に出会うことが多い。突然の連絡などもあるのだが、こうした出来事に出合った時、私はそれを信号と捉える。その時点で、その出来事を中心としたマンダラを描く。
3の時点で、1と2のマンダラを思い出し、ぱっと連想したのが占いという言葉だった。Aさんはかつて占い会社勤務だった。Bさんは占いが得意だった。それから、下記出来事が続く。
4.待ち合わせた場所の目の前に占い屋があった。
5.前から約束していた人にあったが、その人にあった時、占い師の話をされた。
といった具合で、「あ、占いのことについてBlogで書こう」と思った。信号は連鎖的で、また意味も一つではない。そうした信号を受け取り行動に変えていくと、更にシンクロが起きることがある。そうすると、その信号の理解はそれで良かったのだと感じる。
他にも、先日はふと気になって入ったお店で、10年前に行きつけだったお店の板前さんに会った。10年前にそのお店からいなくなって、その時どこにいったのかな?と思っていたら、10年後に会うとは!この信号は、10年近く前に出会った人たちから連絡がくるようになると捉えている。ここ数日昔の人からの連絡が続いたからだ。
ふとお店に入ってみたら、隣に知人や著名人がいたことも結構多い。出会いというのは不思議なものだ。私はご縁に恵まれているなといつも感謝する。
不思議なことなのだが、人のつながりがクモの巣のように絡んでくるのだ。5年ぶりに会った友人が連れてきた人の親が、沖縄に絡む官僚だった!といった具合だ。昔は気軽に人を紹介していたが、それが仕事になったり、会社になったりしたことが多かった。しかし、そういう人たちは成功しても、原点を忘れてしまう人が多かった。
「私はただ紹介しただけだ。あとは本人の頑張りだし、キッカケを作ったことは覚えていてくれればそれでいい」と思っていたが、それでは小さく利用されただけで終わってしまう。
また、キッカケの価値も軽く見ていた。0から1がなければ、その先はないのだ。宿命のキッカケだとしたら、とてつもない価値があるのだと感じるようになった。
私自身もっと大きく利用されるために、考えて紹介するようになった結果、今のいい循環が生まれるようになった。紹介が紹介を呼び、更なる発展をお互いがして、更に応援するという具合だ。
今年も益々、人の出会いが楽しみだ!
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