有事に生きる人と、あくせく働く人
沖縄にはすぐそこに米軍基地があり、その中はアメリカ合衆国である。
柵の外にいる日本人が、柵の中にいて優雅に芝生刈りをしているアメリカ人を見てこう思った。
「なんか自分たちは毎日毎日あくせくと朝から晩まで働いているのに、あいつらはいいよな~。しかも、彼らは自分らの税金で暮らしているわけだろ。納得いかないよな~。」と。
しかし、これは納得いくとか納得いかないとかの問題ではない。これが全てなのだ。人間は生まれる前と死んだ後は選べない。選べるのは、生まれてから死ぬまでの間だけだ。唯一、生きている間だけ選択をすることができる。
人間は生まれる場所も時代も選ぶことはできない。
「なんでこんな家に生まれてしまったのか?」などと考えるだけ無駄である。そのときその場所に生まれたのだから受け入れるしかない。また、死ぬときも選ぶことはできない。突然事故にあったり、病気になったりする。
全てをありのまま受け止め、それをどう活かすかが大事なのだ。というより、どう活かすか、しかない。
今の時代、本当にやりたいこと、自分に合っていること、自分の使命を全うしている人は、極わずかである。
今しか選択して生きることはできないのに、流れに流され生きている人がほとんどだろう。
「それは本当にやりたいことなのか?一生そのままでいいのか?」
究極は一日に全てが凝縮される。
朝、目覚めとともに生まれ、
夜、眠るときに死ぬ。
その中で自分は何ができるだろうか?本当にやりたいことはなんなのか?それを常に、考え、葛藤している人間に、流れに流されている人間が勝てるわけがない。100回人生を繰り返したって、それは真剣な人の一日に過ぎない。
柵のなかにいるアメリカ人は、有事のときに命を懸ける。だから、別に普段は優雅に過ごすことが許される。一般人が毎日あくせく働いて納めた税金で生活することができる。
有事とはどういうことか。
50年、100年に一回あるかないかの戦争。
一方は人生に一回あるかないかの大勝負に賭ける人間、
一方は毎日をつつが無く過ごすために面倒が起きないように生きている人間。
この両者が何を話し合ったとしてもわかりあえるわけがない。住んでいる世界、見ている世界が違うのだから。次元が違うと言ってもよいだろう。
一瞬の大勝負に命を懸けて魂を燃やす生き方をする人生と、日々をつつが無く過ごして毎日あくせく働く生き方をする人生。
どちらを選ぶかは、自由であり、選べるのは「今」しかないのである。
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