歴史の創造
鳩山元首相がまた面白い動きをしてくれている。馬鹿だ馬鹿だと言われているが、バカにしか世の中は変えられないのもまた事実である。細かい発言などは時の流れにおいては忘れ去られていき、印象的なことだけが残っていくから、案外100年後には鳩山さんは歴史に名を残している可能性がある。アメリカ追従の鎖をはじめに解こうとした人物といわれるかもしれないのだ。
評価や意味は時代によって変化する。私はキリスト教の学校で学んだが、キリストの生誕時に登場する東方三博士(マギ)が、ゾロアスター教の祭司だったとは習わなかった。祭司の名称であるマギから、魔法(マジック)などの言葉がうまれてきた。エヴァンゲリオンにもマギというコンピューターがでてくる。魔法少女まどか☆マギカのマギカも、同じ由来だ。
祭司が魔法使いになり、聖なるものから魔なるものへと変貌していった。歴史は公平でも事実でもない。偏(かたよ)った世界観でストーリーをつづっている。善とか悪とか、世界観が変わればその役目も入れ替わることは何度もあった。
いまは西洋世界の歴史が正統な人類史のような形で進んでいるが、この先はどうなるかわからない。東洋史からみた世界。中東世界からみた世界など、多面的な世界史を理解するとさらにこの世界を面白くみられる。
世界の発展には、人間の欲望が原動力となってきた。その欲望が分かりやすいのが、輩ともいえる。人間世界を上手に動かすのは、輩的な人間たちだ。またそうした存在がなければ、社会は停滞してしまうだろう。やる気や希望を人に感じさせるのがうまいのも、その人の欲望を見抜けるからでもある。表面的な欲を見抜くことに関しては、輩にかなうものはない。その力を目先の自分のために使っていては、輩という言葉はイメージが悪いままだ。その力を社会の発展に使用したとき、輩という言葉が有能という良いイメージに変わるだろう。
実際、輩的な才能をより大きなことに使っている人間は、輩とは呼ばれなくなっているのが現状だ。成功者と呼ばれている。以前も書いたが、成功も詐欺も紙一重だ。自分から言わせれば、資本主義自体が詐欺だ。だからといって、社会に参加している人々が詐欺しようとしているわけでもないのは当然だ。人は気づかないままに、大きな枠組みに乗せられている。
自分の本当の使命を知らずに、表面的な目的で生きている人間個人の姿の延長線上に、いまの社会の姿がある。自分の姿が世界の姿だ。自分を知ることで、世界を知ることになる。自分の歴史が世界の歴史と繋がってくる。世界をどういう世界観で見るか。
自分の目先の欲望のために生きている人なのか、大義をもって長期的な大きな目的のために生きているのか、決めるのは自分だ。我々は沖縄において、どういう自分像なのかをトコトン向き合って作っていっている。歴史を作っているのと同じなのだ。
天使か大天使か、悪魔か大悪魔か、どちらがいい悪いではない。自分の力の特性をどのように活かすかしかない。活かすためには、特性を知ることから始まる。
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