肯定も否定もせず
今年の1月13日の金曜日に「聖と俗の境目」を書いた。その日に野田内閣が発足し、13日の金曜日に組閣したのは歴代初めてという。今日も13日の金曜日。まだまだ不吉というイメージがすぐ湧くだろうか?ちなみに、いまオスプレイ配備が話題になっているが、普天間で起きた沖国大米軍ヘリ墜落事故は、13日の金曜日に起きている。偶然その日に起きたのか?それとも狙って起こされたのか?今度のオスプレイ配備は強引に感じないだろうか?だとしたら何故か?墜落させて話題を作りたいのだとしたらどうだろうか?
真面目脳では絶対に出てこない視点だ。13日の金曜日が不吉とする意見の一つに、その日にテンプル騎士団が迫害された日だからという説がある。映画「ダヴィンチコード」でおなじみの陰謀論のスター騎士団だ。映画にも出て来たロスリン礼拝堂は明治維新後の岩倉使節団も訪問したという。その礼拝堂を作ったのがフリーメーソンとかテンプル騎士団だとかいう話しよりも、自分が面白いと思うのは、世界初のクローン羊が誕生した場所がロスリン研究所ということだ。つながりがあるのか?偶然なのか?そもそも一体何を求めてクローンの研究をしているのか興味深い。
テンプル騎士団やフリーメーソンというと、すぐに陰謀論という連想で思考停止してしまう。では、陰謀論の反対は何論なのだろう?世間の常識をそのまま受け入れろ論だろうか。陰謀という言葉は、怪しく受け入れてはならないという概念に洗脳されているのではないだろうか?歴史は勝者によって書かれることを忘れてはならない。
余談だが、誤解を恐れずに書くと、覚醒剤という言葉もそうだ。もうその言葉を聞いただけで、無条件にイコール悪となる。洗脳されている。剤という言葉をとって、覚醒という言葉だけを見たら、覚醒という概念は素晴らしいことではないか。覚醒させる剤があったとしたら、(例えば映画マトリクスでモーフィアスがネモに提示した薬のようなもの)本当は素晴らしい。いま言われている覚醒剤は、覚醒ではなく、興奮剤、麻痺剤、逃避剤、幻覚剤とか言うべきものだ。それを覚醒という言葉を使うところに、意図を感じるのだ。
「覚醒するな、奴隷でいることが大事だぞ」と。
「うん?何かおかしくないか?」と違和感を感じる人間は、非常識でおかしい人間とされていく。言葉の意味をよくよく考えることもせず、洗脳パターン化された反応をする、まさに奴隷だ。千と千尋で感じなかっただろうか?
薬による覚醒のイメージを描いている映画が最近では、「リミットレス」だ。善悪を超えて、もはやそうした薬も現実に出来ているのだろう。思いついたら試さなくては気が済まないのが人間の性だ。肉体でさえドーピングが話題になっている。頭脳のドーピングも確実にある。頭脳の生み出す価値は、肉体の生み出す価値に比べたら計り知れない。頭が良ければ世界は違って見える。小説「ジェノサイド」や映画「フィリップきみを愛してる」「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」などを見たら、頭をドーピングしたいイメージにかられるだろう。
私たちには思いつきもしない発想で、世界を見ている人間がいるのだ。13という数字に踊らされるのか?13という数字を使って、世界を誘導するのか?そのまま何の疑問もなく受け入れている人間は踊らされるだけだ。奴隷と同じだ。なぜ誘導したいのか?どこに誘導したいのか?何も考えない人間は、千尋の両親のように豚と同じ扱いを受けてしまう。銭婆の世界観が分かれば、自ずと自分の役目も見えてくる。
かつて13は聖なる数字だった。私たちが普段使っている西暦によって、今日は13日の金曜日になっている。別の暦であったら今日は違う日で、金曜日という概念さえなかっただろう。無意識に暦に支配されている。暦についてはまた詳しく書く。
13という数字はアメリカの一ドル札に見ることが出来る。スターウォーズに影響を与えた、神話学者のキャンベルによれば、
「十三という数字は、変身と再生の数字。十二という限界範囲から脱出して、超越界に入ることを示す」という。
今までの概念を破って、新たな世界に飛び込むにはちょうど良い日だ。世界を偶然の連続で出来ているカオスだけと見るのでもなく、意図的に仕組まれた世界だけと見るのでもない、善悪二元論を超えた世界だ。
偏見を捨てて、何でも受け入れつつも、尋ねる心はもち続ける。そこで次のステップに行ける。それはまた次の機会に。
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