奴隷の解放

今日は何から書こうか。映画の話しか、因縁の話しか、最近面白いコメントの話しか、時代の話しか、etc。映画で言えば、昔テレビアニメで放映された時に解説した、魔法少女まどか☆マギカが劇場映画として公開された。それに伴って、「魔法少女まどか☆マギカ」にみる不変の法則の仕組み の記事がよく見られている。

時が過ぎても価値があるものは、当初理解されないことが多い。例えば、西洋の城と言えばディズニーのシンデレラ城をイメージする人が多いだろう。その城のモデルとなったのが、ドイツのノイシュヴァンシュタイン城だ。この城を建造したルートヴィヒ2世は、歌劇王と言われた作曲家ワーグナーのパトロンでもある。ワーグナーもまた個性的で面白い人物だ。

ルートヴィヒ2世は、オペラと築城に明け暮れて、財産をそれに注ぎ込んだ。そのお陰で、精神病扱いされて、監禁されて、殺されてしまった。しかし、今や彼が作ったお城はドイツで一番の人気スポットとなった。タージマハルもそうだが、一人の狂気が後の人間に多大な影響を与えているのだ。狂ったと言われた人が後になれば、夢を追ったロマンの人と呼ばれるのだから面白い。

歴史(過去)を知れば、未来がわかる。今を知れば選択が出来る。プレッシャーやストレスがあるからこそ、価値ある選択ができる。負荷に負けたとしても、心が負けたことに学びがある。プレッシャーやストレスの環境がある事に価値がある。そこから逃げても解決はない。また次に更に大きな問題となって帰ってくるだけだ。飛び込む事でしか、本質的な解決はない。

飛び込む事が出来ない人もいる。世の中は、王様、貴族、将軍、兵士、奴隷、など色んな役目がいる。奴隷役の人に、信じて未知の世界へ飛び込めといってもコクなだけだ。飛び込む体験を望んでいないから奴隷なのだ。また奴隷が悪い訳ではない。今生で何を体験したいか?それが違うだけだ。良い悪いはない。役割が違うから世界は上手く回るのだ。

どうせなら、奴隷役をするにしても極めた方が幸せだ。誰に仕えるかで、体験できる質が大きく変わってしまう。誰の奴隷になりたいか?普通に考えたら、金持ちで優しい人の奴隷になりたいと思うだろう。それはそうだ。それもいいだろう。それはそれで難しさがある。

大事な事は、自分がどんな体験をしたいかを知る事だ。いまの自分の周囲に答えがある。いま体験している事にヒントがある。どの人に仕えたいか?表面的なことだけをみないで、愛と知恵がある人がいい。愛は時に厳しい。知恵は、受け取る側の準備が必要だ。本当の愛と知恵は分かりづらい。自分の側に受け取れるだけの準備がなければ、愛も知恵も気付く事がない。逆に、愛と知恵がある人ほど、愛と知恵がないと思われてしまうものだ。無知な人ほど、自分の視野が狭いから、相手をつまらない人間か、理解できない恐ろしい人だと見てしまう。

自分の柱(はしら)を持って行動できる人と、誰かに依存しなければ生きていけない人がいる。奴隷体質だ。自分に柱がなければ、柱となる人が必要だ。そうしないと、どうしようもない人を柱としてしまう。そういう人は利用されやすい。そして結局自分も周囲も振り回して苦しむだけである。同じ奴隷でも、意思ある奴隷と流されてする奴隷がいる。

大衆は何かしらの概念の奴隷である。奴隷である事にも気付いていない。奴隷である事に気がついて、それでも敢えてそれをするのなら、そこには選択という意思がある。奴隷である事に気がつかない奴隷は、利用されるだけである。価値ある奴隷とただの奴隷。

映画「イエスマン」のように、イエスイエスと受け入れて奴隷を超える事も出来る。半端な奴隷をするくらいなら、トコトン奴隷をやった方が良い。相手にしても、そこまで背負う覚悟のある主人は少ない。トコトン受け入れたら、逆に奴隷から解放される。受け入れられないと一部の概念しか受け入れないから、ある概念の奴隷になるのだ。わかるだろうか?

奴隷になりたがる人のなんと多い事か。日本はとても優秀な奴隷国家だ。国家を代表して会見する場でどんな紋章が使われているか?ご存知だろうか?

最近コメント欄でそれについて書かれていた。この事についても書こうと思っていたので、シンクロしていて面白い。今日はその話しに飛ばなかったのでまた今度書こうと思う。

2 comments

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えこのみくす

金持ちに仕える難しさですか。
昔、ぼくの親が親だった頃、戦った問題です。
ぼくの親は誰なのでしょうか。
スポーツでも、大学の偏差値でも、就職先の会社でも親を超えた時に出てきた言葉が、「退屈」でした。
今日、大学の本屋でDEATH NOTE の殺人をどう立証するか、という空想本が出ていました。
夜神月も退屈だったのでしょう。
最近は尾関さんの記事を読むのが一番楽しいです。もちろん、自分をそのように洗脳しているのも事実です。今さら、東大の学部生になるような年でもないですし。
問題なのは、距離を置いて深めた方が、遥かに成長が早いと、経験を通して、結論がついたことにあります。
私からは手出しができませんし(何せ門を閉めて内側からカギを掛けているのですから)、向こうからも譲歩の姿勢が見られないからです。
そう言えば、NMB48というアイドルグループの脱退者が13人になりました。
エネルギーを持て余した少女たちは何処に向かうのでしょうか。
p.s.
宗教というのは、心の色相を維持する役割もありますね。仮定の話は嫌いなのですが、もし、宗教に優しさがなければ、門を叩き破っているところです。
何せ、どんな状況であれ、例えそれが魂の友であったとしても、裏切れば、裏切り者なのですから。

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対話

指導霊は、闘えかえ!と強く言う。
闘う意味が分からない。私は闘わなくても、幸せだもん。
戦わなくていいよ。
ずっと、闘わなかった。ずっと見て見ぬふりして生きてきた。
自分が何のために生きているのか分からなかった。生きていても、辛いだけだった。だって何のために生きているのか分からない。
「生きることって“ムナシイ”」
むなしい “虚しい” むなしい。なぜか?
闘うことが生きること。
逃げているから虚しいのだ。
虚しいのではなく、本当は虚しさを生きようとしているのだし、虚しさに導いた自分がいる。
虚しいのではなく、虚をしている自分が居るのに気づけ!!!!
虚とは見てごとく、素直=心=宇宙を妨げるもの。
なぜ虚しいのか?
自分が自分を殺しているから。
生まれた意味は因縁にあり。
紐解くように、闘うのだ。
闘いながら、見えてくるものがある。
それは自分自身の闇と光
闇は悪霊悪魔のすみか。
光は幸せそのものだ。
では、なぜ指導霊は闘いなさいと言うのか?
闘いなさい。というが、それはどんな意味を持つのか?それ即ち素直ということ。
素直にあれ。
人は素直を忘れたときに虚となる。
素直のために闘えと言っているのだ。
悪霊は、素直ではないもののなかに潜んでいる。見栄やひねくれたり、金に心を売っていたり。(概念とは別物だょ) だけど、新鮮は素直というように、新鮮の中にも素直が存在する。
素直とは、神そのもののことで、すなわちこの為に生きることは、闘うことなのだ。
因縁は、その副産物であり、
自分自身の“素直ではない物質”そのものなのだ。

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