どんな現実を見たいですか?
「人々は見たいと欲する現実しかみない」と7月Julyと皇帝Kaiser(カイザー)の語源となったカエサルことジュリアス・シーザーは洞察しました。冷静に物事を見極める前に、偏った視点で見てしまうのです。サングラスをしてモノゴトを見ているのと同じです。感情というグラスが入っていると特に冷静にはみれません。それを知っている者は、感情的になりやすい状況を作ることで、自分の欲する現実を創造するのです。
「人々は見たいと欲する現実しかみない」と7月Julyと皇帝Kaiser(カイザー)の語源となったカエサルことジュリアス・シーザーは洞察しました。冷静に物事を見極める前に、偏った視点で見てしまうのです。サングラスをしてモノゴトを見ているのと同じです。感情というグラスが入っていると特に冷静にはみれません。それを知っている者は、感情的になりやすい状況を作ることで、自分の欲する現実を創造するのです。
尾関さんもサイコパス好きですか!?
アニメ好きは多いのですが周りに話せる人が少なくて。
「まど☆マギ」の暁美ほむらしかり、サイコパスの槙島聖護しかり、オズのフィンリーしかりって感じですね。
ユタ同士が仲良くなれないのもわかります。だから世界は常に唯一の王を求めているからです。
そんなものはないのですけれど。
『システムの連鎖は止まらない』というサイコパスの主題のように、ぼくの判断基準はシステムです。
洗練されたシステムに対して如何に自分だけの答えを紡ぎ出してゆくか。
身近な話題だとマズローの欲求が単純ではありますが深める価値があります。
哲学者だとシモーヌ・ヴェイユの遺著『根をもつこと』が欲求という主題に言及しています。
(『重力と恩寵』も中々だとは思います。大切なことは彼女に触れて見ることです。)
と言っても今さらサイコパスとは何か信号でもあったのですか。
ぼくは親鸞聖人のいう所の悪人なので、ぼくなりのやり方で天国に行ってやります。
ジョジョをオリジナルコンセプトとした『Over Heaven』は圧巻です。
人生の大学院の卒業に必要な履修単位を取るためには何でもやらないと、ですね。
狂気の奥に覚悟が潜んでいる、という話をこの記事を聞いて思い出しました。
イヤな相手は少ないのですが、殺してやりたい人ならいますけどね。(因縁付けされたんで笑)
箍が外れた人は魅力的に見えるらしいので、人が集まるのは当然かと。
ぼくはぼくの人を喰ったような所が大好きですよ。
魂の輝きが見たいから人を試すんです。
問題は、システムがいつまでぼくを楽しませてくれるか、ですね。
傲慢だと言われればそれまでですが、誰もが他人を無視したり、侮辱したりと傲慢です。
問いに、批判や無視の答えを見つけることは簡単です。
しかし、既存の傀儡ではなく、新しい答えを見つけることができる人がいれば、その人こそ共に天国で暮らすに相応しい人材なのです。
悪をも救える器を求めているだけなのです。
尾関さんのブログでは、珍しい文体だったので、少し自分の中でぼやーっとしてました。
まだ、ぼやーっとしてますが、気になるので温め続けます。
いま思ったのは、夏休みの宿題みたいだなと。
「見たい現実しか見ない」
子供のころ、自分は夏休みの宿題を最後の地獄の日にやってました。
宿題を放って怠けてた期間は、正に「見たい現実しか見てない」というか「見なきゃいけない現実を見ていない」状態?
夏休みの宿題は、どんな風に進めるかタイプが分かれます。
1 最後の日にやるタイプ
2 はじめに終わらせるタイプ
3 コツコツやるタイプ
1~3は、自己管理の次元です。
でも、ウルトラCの話を聞くと次元が違う。
夏休みの宿題をやらない。
超越してしまってて、自分で宿題でもないのに、命の神秘に魅せられて、植物の成長を記録、感動したり。
世界のことも、似てるなと思いました。
人間は、見たい現実しかみない。
都合のいいように、生きていたい。
厄介なものは、見ないようにしてる。
それがいつか、致命的なことになるまで気づかない。ウルトラCの話は、感動でした。
何にも利益ないのに、自分の損得関係なくするのですから
ニーチェですね
あなたが周りの世界を観測するとそういう風に映るのかと
僕としても共感出来る箇所はたくさんありました
僕はこの宇宙という試験管の中全てのものの本質は試されることだと結論づけているので、修行のくだりには特に共感出来ました。
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