自由と充実
「自由は取る可きものなり 貰ふ可き品に非ず」中江兆民(思想家)
私はよく、
「自由でよいですねー」と言われる。自分で、お気楽極楽なんていっているから
余計にそう見えるのだろう。ふふふ、自由度日本ランキング24位くらいでは
ないかと自負している。
自由とは、
「他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意志や本性に従っている・こと(さま)」
と辞書にあった。私は、いろんな制約を自ら作り出して、進んで拘束されたから、実際には
自由ではない。でも自由に見えるのは、そう見せているからだ。ま、普通の人よりは少ない制約だけど。
(大学院と3社の経営は充分拘束だよね?)
自由でよいねという人には、あなたもなればと答えると、
「経済的に不自由では困る」という理由を一番多く聞く。充実した自由を過ごしたい
のであれば、それ相応の努力が必要であろう。そんな苦労がなさそうな、生まれつき
もって生まれた者にも、また別な制約条件があるはずである。
金はあるけど、自由のない人もたくさんいる。みんなある意味平等に不満があるものだ。
だから面白い。何も制約がなければ、すぐに実現して得た喜びがない。
ドラクエで、ゲーム開始してすぐにレベル100になるアイテムを見つけて、5分でボスを倒せたと
したら、そんなゲームつまらないだろう。制約条件をクリアするから充実感を得られるのだ。
自由でよいですねーなんていってないで、制約条件下でどのようにしたら、自由に感じられるか
楽しんだら良いのだと思う。満員電車に拘束されていると思っていたら、自発的に鍛えるために
乗っているのだと思い込めば、制約を不当に感じなくなるのではないだろうか。
自分なりの自由を得て感じたことは、「何でもOKの世界はつまらない」である。
自由を極めると不自由になるといえるのかもしれない。
いや、自由を求めるというエゴな心がある限り、自由にはなれないのかも。
と、こんなことをよくうだうだ考えていられる時間があるのは、つくづく幸福だなぁと
おもい思考が面倒になって終わるのが、いつものパターンである。
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