幸福について
折角コメント頂いたので、お題に沿って書かせていただきます。
以前、「幸福はどこにある」で少し幸福について触れたことがあります。
結局のところ、幸福は今にしか存在しないですよね。過去の栄光に浸っているときでも、
それを考えて楽しんでいるのは今なのですから。その過去の栄光があるから、今幸せという
ことでもなく、幸せと感じられることを考え方によって感じることができれば、何でも幸せに
なるものなんでしょう。
なので、ご飯を食べて、「まいうー」と感じることと幸福は似ているのだと思います。
子供の頃は、嫌いなものが多かったので、ご飯が時には苦痛になりましたが、
大人になった今はほとんど嫌いなものがありません。
好みが広がると、幸福感度も高まりますね。好き嫌いないほうが幸せですよね。
あれもいいし、これもいいと。
女性に対しても、以前なら、例えばロンゲで女性ぽい人を好んでいましたが、
ショートで男性ぽくても、いい感じジャンと感じるようになって好みの幅が広がりました(^_-)-☆
以前よんだ本に、
「幸福とは、ものではなく、そのものの味なのです。すなわち、幸福とは『形あるもの』に
あるのではなく、『形ないもの』になるのです」と書かれていました。
細かく説明するとえらく長くなるのではしょると、幸福を感じるには、
「意識的にエゴを抑えて、覚めた目で客観的に自分を見、自分の状態を把握しつつ、
動と静を選択的に生きることを自在にできる」ことなのかと。
人は、電気のような、霊気で生かされていると私は思っているのですが、
そうした気のエネルギーが満ち足りていれば、常に幸せでいられると思うのです。
それがつまり、悟りの状態ではなかろうかと。
まだまだ完全に消化し切れていないの、解り難いかと思いますがご容赦を。
でわまたまた。
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