極める
毎月のお茶の稽古が昨夜はありました。
どのような日常の所作にも、品が滲み出るものだと感じます。
何事も極めていくと無の境地に至る、面白い例が紹介されていました。
「日本の弓術」オイゲン=ヘリゲル著
「いや、その狙うということがいけない。的のことも、あてることも、
その他どんなことも考えてはならない。弓を引いて、矢が放れるまで
待っていなさい。他のことは全て成るがままにしておくのです」
「私は的が次第にぼやけて見えるほど目を閉じる。すると的は私の方へ近づいてくるように思われる。そうしてそれは私と一体に成る。これは心を深く凝らさなければ達せられないことである。私が的と一体に成るならば、それは私が仏陀と一体に成ることを意味する。そして私が仏陀と一体に成れば、矢は有と非有の不動の中心に、従って的の中心に在ることになる。矢が中心に在る。これを我々の目覚めた意識を持って眺めれば、矢は中心から出て中心に入るのである。それ故あなたは、的を狙わずに自分自身を狙いなさい。するとあなたはあなた自身と仏陀と的を同時に射中てます」
的を中てようとすれば、的を狙わないこと。まさにこれが奥義なのでしょう。
勿論、これは最終ステージ。その前に修練をしなくては、ただのサボりの
口実になりますね。
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