イエス・キリストの顔
直接的な肖像画や資料などが残っていないのに、
同じようなイメージになるのが面白いですね。
どんな顔でも、何人でも、彼の功績は消えるものではありません。
ちなみに、黒髪で瞳の色も黒かったと言われております。
1年弱から長くても3年弱と言われる、わずかな期間での
伝道活動が今に至っているわけですから、すごいことですね。
本来の意図とは違う形で伝わっているとは思いますが。
直接的な肖像画や資料などが残っていないのに、
同じようなイメージになるのが面白いですね。
どんな顔でも、何人でも、彼の功績は消えるものではありません。
ちなみに、黒髪で瞳の色も黒かったと言われております。
1年弱から長くても3年弱と言われる、わずかな期間での
伝道活動が今に至っているわけですから、すごいことですね。
本来の意図とは違う形で伝わっているとは思いますが。
小沢健二さんの物語、とても興味深いものでした。
尾関さんのおかげで知ることができたので、
お返しに、
私も面白い本を紹介したいと思います。
『母なる自然のおっぱい』池澤夏樹さん著
「死とは、本来、一つの成就、一つの完成、一つの回帰である。自然から遠く離れて個の概念を立て過ぎたために、個体の意識を離れてはすべてが無であるという考えがすべてを圧倒し、ひたすら個体にしがみつくことが至上命令となった。」(文中引用)
幼い頃、ヘビの生態のようなものを何かの番組で見て、その時ふと、ヘビは何のために生きているのだろうと、思ったことがありました。
ですがこの本を読んで、寧ろ、人間が、「個体」というものに執着し、自然界では当然のように繰り返される死を過剰なまでに恐怖し、「自然」から優越した存在であると、信じていることの方が、ヘビからしたら、「何をしているのだろう?」と、受け止められるのかもしれないなと、思いました。
人間も、ただ、ただ、一つの「動物」なんだなと、
改めて考えさせられました。
もしかしたら尾関さんは既に読まれているかもしれませんし、そうだとしたら、嬉しいです。
そしてそうでなければ、お暇な時にでも、読まれてみてはどうでしょうか。
(^^)
人間ファンタジーさま
コメントとご紹介ありがとうございます。
早速読んでみますね。
また是非教えてくださいませ。
我々は生かされているのと同時に、
御霊も持っている尊さを自覚する必要があります。
万物の霊長とはただの言葉ではありません。
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