千羽鶴
過去の自分へ。時間が経つと本物は残り、偽物は消えるということがわかってよかったね。下記の人間はインチキだったけど、経験したことは大きな学びでした。自分への反省も込めて、そのままに残しておきます。2018/11/5
本日35歳となりました!両親とご先祖様、そして今までご縁があった皆様に感謝いたします。今日はつい先日、私が沖縄で体験した話からです。
私が人生のなかで一番敬愛している方が、大きな手術前の入院であるのにも関わらず、沖縄の病院でとある人物を紹介してくださいました。その人物とは、政権交代で揺らぐ、現政権の中心にいるかなりの著名人物でした。(政治的混乱を起こさないよう名前を出すのは控えておきます。)
話を聞くと、その人物は定期的に、非公式で沖縄まで政治的アドバイスを聞きにきているそうです。たまたま、日程が重なり、また、今後私が沖縄で全国を巻き込むプロジェクトを行うためには必要であろうと、その方を紹介していただいたのです。
今までにも、私の人生で一番敬愛している方と出会ってから、様々な「教え」と「出会い」をいただいてきました。その中で、約2年前におっしゃっていたことを思い出しました。
「2009年9月に日本は変化を迎える。」・・・と。
そして、2009年8月30日に衆院議員選挙の投票が行われ、結果、民主党が新政権を発足させることが確実となった。つまり、2009年9月から政権交代となった・・・。
その事実と、目の前にいる人物。
どう見ても、普通のことではない。非日常がそこにはあった。日本国というのは、こうやって動いていくものなのだ。
っと、思い出しただけで、興奮してしまったので、語尾がおかしくなってしまいましたね。
でも、最近私の周りには、こういったことが日常茶飯事に起こっている。私がやろうとしていることを考えれば、それは当たり前のことなのかもしれませんが、最近は想いが現実化し、どんどん加速してきたように感じます。
想いのある仲間も集まり始めました!
必要な人物とも会うことが出来るようになりました!
必要なものが全て揃い始めました!
この環境、すべてに感謝をし、この環境を与えてくださった方からの「教え」をさらに磨いて、精進していきたいと思います。
これこそが、菩薩の道です。そして、
私たちは、敬愛する気持から一日で千羽鶴を折りあげました。
与えてくださった愛に、なんとか応えたかったのです。
昔、私は千羽鶴を折ったことがあるのですが、それはかなりの大人数で、
一人2,3羽折れば出来上がる、というものでした。折り紙の鶴は、
想いを込めて作りあげるのに、一羽3分ほどかかります。
私は沖縄にいる仲間に声をかけ、皆、いやな顔一つせず、「それは名案だ!!」
と喜び手伝ってくれました。中には、「自分から気づかなくてごめんなさい。」
という人もいました。
手術前にプレゼントするためには、明日の夕方までに作らなければならない。という状況で、その夜から徹夜で折り始める人もいました。そして、12時間以上ぶっ続けで鶴を折り続けました。途中から話を聞きつけた人も、我も我もと、どんどん集まっていきました。鶴を折る人、鶴を繋げる人、デザインを考える人、それぞれの特性で勝手に役割が決まっていったのも面白い現象でした。
そして、私が想像した以上の最高の作品が出来上がったのです。私のイメージでは、よくドラマなどに出てくる雑多な感じのモノを予想していたのですが、出来上がったのは、まさに芸術品!!
それを創るために、千羽どころか、いつの間にか1,300羽以上折っていました。
突然、一日そのためだけに時間を割ける仲間がいること。
皆が心から敬愛の気持ちを持って参加していること。
自主的に役割が勝手に決まり、経験がなくても実現できたこと。
こんなに素晴らしいことがあるでしょうか?
しかも、強制は全くないのに、誘った人はみんな参加してくれました。
これこそ、イエスマンの話だと思いませんか?
ここにいる仲間たちはみんなイエスマンへの道を歩いているのです。
イエスマンになるために、意味がないと思えることでもとにかく
「イエス」と言うのです。
イエスマンのことは前回書いてありますので、こちらを読んでみてください。
(http://ozeki.fa-fa.com/?eid=1280283)
これはたとえ、社員がたくさんいたとしても出来ることではないでしょう。
今の時代、社長が私的理由で「一日で千羽鶴を折れ!」なんていうことを、社員に命令したら、非難轟々でしょう。ノルマにしたら出来るかも知れません。でも、そこには想いがないでしょう。私とその仲間たちは別に契約によって結ばれているものではありません。心で繋がっているのです。つまり「絆」のみの関係です。
形や結果は大事ではないのです。そこに込められた想いというストーリーが時代を創っていくのです。
こうした突然の出来事にこそ、真価が問われるのだと改めて感じました。また、敬愛する相手がいる喜びというものも感じました。
今の世の中、金の量で尊敬が決まっているようですが、本当に尊敬できるのは、知恵がある人か、徳がある人だと、私は強く感じています。お金は単にそれについていくだけのモノなのでしょう。
そのどちらもある方に出会えただけで感謝です。
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