自然界の法則
ここでいう「自然界」とは、山や海などという、いわゆる「自然」的な生態系の話ではなく、この世の全ての事象を含めた世界のことである。人間や人間が作り出したモノも自然の一部だ。
普通の世界であろうと、特別な世界であろうと、「物事」というモノは、上手にそれを活用できなかったり、持っている人の器に相応しくなかったり、何かが矛盾していたり、それらを活性化できなかったら、結局淘汰され、なくなってしまう。
そして、その「物事」は、巡り巡って相応しい人に渡るようになっている。それが自然界の法則だ。以前江戸城の話をしたのを覚えているだろうか?
例えば、会社もそうだし、建築物や芸術品などもそうである。個人的資産を例にとってみるとわかりやすい。
個人で資産を所有する人々は、常に「相続税」を気にしている。そして、相続税を取られないように、税金対策に奔走するのである。今ごろ、4月から法律変更ということで、資産相続に大慌てだろう。
しかし、相続税とは「自分の資産を世の為、人の為、社会の為に使うことが出来なかった個人に対するペナルティ」なのである。
つまり、相続税を取られるような人、もしくは相続税対策に奔走している人は、その資産を持つに値しない、その器がない、ということを意味しているだ。
だから、国に没収され、資産を失う。なんとか相続税対策を立て、没収されなかったとしても、その器がないのだから、結局はその資産はあらゆる形で失われ、それを所有するに値する人物のもとへ渡っていく。それが「自然界の法則」である。
だが、普通の世界では、科学で証明できていない法則は一般的には受け入れられないので、自然界の法則は無視されている、もしくは認識されていない。
特別な世界では、その法則があるものとして思考、行動するため、科学を超えた理屈では説明できない出来事が当たり前のように起こるのである。
普通の「物事」は淘汰される。しかし、念は一生残る。人間が本気で込めた念は、実際の物質である。
私が人生で最も尊敬する方の特別室を見せてもらったことがあるが、そこには国宝レベルの陶器や芸術品が置かれている。
それらがなぜ今まで割れていないのか?
2000年前のモノが、2000年間何もなかったのか?
いや、戦争も、盗難も、災害も、何もかも経験し、それでもなお壊れていない。
それは何なのか?価値がわかる相応しい人たちに、相応しい場所に置かれて次々とリレーされてきたから残っているのだ。
またそこに込められた念という物質の影響もある。念が込められているので不思議と守られているだけなのである。そして、その念を持てる器のある人物に自然と渡るようになっている。
私が現在創っている特別な世界は物理法則をも超えている。信じるか、信じないかは踏み入れたものしかわからない。
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