如来の世界
この世には、人の数だけ、人それぞれの概念の世界がある。同じ人間の中にも、いくつかの世界があり、使い分けたりしている。例えば、趣味の世界、仕事の世界といった感じだ。
そうした意識できる世界(表)の他に、意識していない世界(裏)がある。我々が気づかないだけで、重力や太陽といった自然の世界に包まれて生かされているように、人間である以上、誰でも平等に包まれている世界がある。信じようと信じまいと関係はない。
どの世界を中心に意識して生きているかで、見えてくる世界はかわってくる。例えば、恋人のことばかり意識している世界では、政治の世界などどうでもよいだろう。
人によって、見えている世界が違うからこそ、この世は多様性に満ちている。どんな人も必要だ。無駄な人などいない。
私が面白いと思って飛び込んだ世界の一つに、如来の世界がある。如来の世界では、私は菩薩という役割があり、その世界において面白いことがあった。
ある日、如来から
「これから菩薩道のために特別なシーンを用意する」と言われ、行き当たりばったりでないことを証明するために、映画でいえば予告編の話をされた。
そしてそのあと、映画でいえば本編の出来事があった。これだけでもすごいのだが、そのあとその本編に対する解説があった。まるで上質な映画を何本もまとめてみたような感覚。
あまりの意外さと、完全な出来事に衝撃を受けていると、そのあとには自分がそれを体験でき、実行できる機会まで与えてくれた。
映画に感動したら、そのあとその映画に出演したようなものだ。
如来の世界では、進化のスピードが桁違いに早い。起こることすべてに、矛盾がなく、無駄がない。前に書いた「一石三鳥」が普通にあるからだ。
如来の世界は、すべてが用意されている世界だった。そして、これは裏の世界だ。これだから、この世界はやめられない。
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