どさくさの罪
輩(やから)がよく使う手に、どさくさがある。
例を挙げよう。
例えば喧嘩をしていた、AとBがいたとする。そんな時、ワールドカップのサッカー観戦で盛り上がっている場面に出くわしたとしよう。Aはここぞとばかりに、友達と盛り上がっているBの近くに寄っていって、その友達たちの前で
「おお、今のプレイすごいなー。Bもサッカー巧かったよなー」といった感じで、喧嘩していたことをウヤムヤにしてしまおうとしたりする。さりげなく、
「この前は悪かったなあ」と本当に反省してるのかよくわからないまま、言葉だけの謝罪で済まそうとしたりする例もあるだろう。
つまり、どさくさに紛れて、こっそりと主張や気持ちを表現するのである。自分にやましさがあったり、筋が通ってないことなどをするときによく使われる。
周りの空気を読む人は、輩に「どさくさ」を使われやすい。仲良くもないのに、
「俺たち仲良しだよなー」といわれたとしよう。和気あいあいの空気だったら違うとは言いにくい。まぁいいかと認めてしまったとすると、その後、その場にいた第三者に対して輩は仕掛けるかもしれない。
「彼とは仲良しでさー」といった具合に、仲良しということを利用して、信用を得て入り込もうとする。
どさくさは、応用範囲が広い。共通しているのは、キチンと向き合って筋を通さないで物事を都合よく進めようとすることだ。イチイチ異を唱えるのは大変だ。その気持ちのコストを考えたら、しょうがないと諦めたり許してしまう。それを利用して、輩はどさくさに物事を進めるのだ。
こっそりと既成事実を積み上げて、ちゃっかりと筋を通さずに済まそうとする。本来自分にやましさがあるから、堂々と向き合わずに、こっそりと秘密裏にする。
今の政治が一番わかりやすい例だ。脱自民という主張で支持を受けたのに、いつのまにやら脱自民どころか、最初と違うことをしだしても筋を通さずに、どさくさにやってしまう。これは民主党に限った話しではないが、どさくさに紛れて法案提出や廃案にする例は、山ほど見つけられる。
何でもかんでもハッキリしっかりとケジメをつけろという訳ではない。日本人は曖昧が好きだと言われているから、何事も穏便にでやってきた。しかしそれを悪用されることもあることを知らなければならない。
キチンと認識しておかないと、後でどさくさを活用されて痛い目を見るのは、善良な人間のほうなのだ。「優しさの罪」でも書いたが、ドサクサを見逃した罪もあることを心に留めておかねばならない。
輩の手法をしっかりと研究して理解しなければ、輩に食い物にされてしまう。パーティや葬式といった空気では要注意だ。言いにくいことも、そういう場であれば言いやすいからだ。本来、一対一で向き合って話す事柄でも、どさくさに紛れて済ませてしまえる。
結局は自分に帰ってくるのだが、輩はラクしようと逃げる傾向にあるから使ってしまうのだ。どさくさを使う方も、使われた方も、心理的障害を乗り越えて向き合おう!嫌なことにも向き合えば、必ずご褒美がある。
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