特別な人間とは
世の中には真面目で優しくて責任感に溢れた人間は結構いる。それと同じくらい不真面目で冷たくて無責任な人間もいる。勿論、友達にしたいのは前者だろう。だからといって、後者の人間を避けていては狭い殻に閉じこもるのと同じだ。
どんな人間にも持ち場がある。出会った意味があるのだ。それを追求しない限り、自分も活かされることはない。人を活かせなければ、自分も活かされることはない。
現代は、普通にいいことをしていても儲からない。
社会的に素晴らしい活動ほど、貧乏暇なしとなっているケースが多い。
それでいいのだろうか?
社会に対して愛の貸付をしているのに、踏み倒されているのだ。もっと自分たちの価値に貪欲にならなければならない。自分がしている仕事はどんな価値があるのか?きちんと認識していないから、対価を得られないのだ。当人もそこまでわかっていないのだ。
一見、金を稼ぐ仕事こそが出来る仕事のように見える。
しかし、人が変わるキッカケを提供していたり、愛で包んだり、やる気を与えていたらどうだろうか?その価値はお金には変え難いし、多くの人間は「ありがとう」の一言で終わりだ。タダ乗りだ。実際、愛ほどタダ乗りされやすいものはない。
いい人だから、無料奉仕してしまうのだ。それでまたいいと思ってしまう。それはそれで本人はいいだろう。自分は良くても、周囲は困る。それが当たり前と思われてしまう。当人や周囲にきちんと価値を伝える人間は、それだけで特別な仕事をしている。
特別な人間ほど、本質的な価値をよくわかっている。だからこそ、執着なく自然と富も徳も人も集まる。無理がなく、矛盾もない。いいことをしているのに、貧乏暇なしといったおかしな苦労するのはどこかが間違っているからだ。どの世界も楽ではないが、ここで言う苦労とは、成長の苦労とはまた違うものだ。
本質的な価値がわかる人間は、周囲にその価値を利用されやすい。だからこそ簡単に人には会えなくなってくる。本当は当人も会いたいのだが、相手のことを想って会えなくなるのだ。その切なさがわかるだろうか?
影響力のある人間は危険な兵器と同じだから、当人も周囲も取り扱いに慎重になる。緊張感のある関係がないと欺瞞に陥りやすいからそれも大事なのだ。すべてのことに意味があり無駄がない。そんな世界を知ることが出来て私は幸せだなと改めて感じた。
こうした特別な人間たちがいる世界のことを今年はもっと伝えていきたい。
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