楽(ラク)の表と裏
どこの世界も楽ではないが、人間楽をしたいと思う生き物だ。
楽にも表と裏がある。浅いと深いといってもいい。
子供の頃、最初に苦労すれば後で楽が出来るよといって、勉強を勧められたことだろう。最初に勉強という苦労をしておけば、あとで楽な人生を歩けると。で、勉強が嫌いなのに嫌々勉強する。一見、楽しているようには見えない。
実際、受験勉強がトラウマになっている人間に出会うことは多い。それも踏まえた上であえて違う見方をしてみよう。
嫌で勉強をしているのは事実だろう。しかし、それは楽しているとも言える。本当にやりたいことがあれば、親の反対を押し切ってでも、勉強以外のことを極めたらいい。その方が勉強しているより大変で楽ではない。そこに向かうより、親を安心させるためとか、今はやりたいことがないからと理由をつけて、勉強する楽を選んでいるともいえる。本当にあとで楽をしたいのなら、辛くても自ら求めて動くほうが確実だ。
親に言われて勉強する楽を選ぶのが悪いと言っているのではない。それが必要な時期もあるし、それ故に掴むチャンスもある。どんな道も本人にとっては経験という学びであるが、我々はもっと積極的に魂の学びを求めている。受身で学ぶのではなく、敢えて飛び込み体験することで、進化のスピードを促進していくのだ。
受身の楽が表の楽だ。親や社会から常識とされていることに従って楽を得ようとすることだ。例を挙げると、
・いい大学に行ったほうがいい(勘違いしないで欲しいが行くなといっているのではない)
・大企業がいい
・貯金した方がいい
・喧嘩しないほうがいい
・結婚した方がいい
などなど。勘違いしないで欲しいので何度も書くが、逆をやれといっているわけではない。
見事成功したとして、お金があれば、大抵の苦労からは開放される。嫌なことはお金という対価を払えば解決できる。お金では快適な環境を作ることはできる。素敵な家、美味しい食事に囲まれて、一見楽に見える。実際体験した者から言わせてもらえば、快適な生活は楽である。しかし、魂はどんな困難だろうが乗り越えて自分というものを表現したいのだ。摩擦や不満がないという受身な楽だけでは、魂は楽ではない。喜怒哀楽がない人生なんてロボットと一緒である。裏の楽とは、魂を喜ばせてあげることだ。
表の楽は、達成したとしても寂しいのだ。表の楽は、すぐにその価値がわかることが多い。例えば、快適な生活はすぐにその価値を感じる。暫くたってから、あー快適だとはならない。上の勉強の例にしても、すぐに努力して勉強したらいい大学に入れるのだろうなと理解できる。
裏の楽を追求しようとすると、すぐには価値を感じることはない。だから葛藤が生じるし、楽ではないように感じる。勉強ではなく自分の道を目指したとしたら、自分が何をしたいか理解するまで時間かかる。その間、本当にそれでいいのかと葛藤する辛さがある。
魂は表面的な楽を求めていない。すぐにはわからない深い楽を求めている。それは自分では気がつかないものだ。だからこそ人生は面白い。他人との関わりの中でしか、自分の求めている本当の楽には気がつかないのだから。
「まさか自分がそんな楽を求めていたなんて!」のドンデン返しを魂は求めている。自分の予想を超えるからこそ面白いのだ。筋書きの見えるドラマなんて面白くも何ともない。だが、魂が喜んでいるかどうかも、すぐにはわからないから深いのだ。
後々になって、あの時は嫌で仕方がなかったけど、今思えば幸せだったなと振り返れたときに初めて、魂が喜んでいたことに気がつくのだ。だから、諦めずに向かい続けなければわからないものなのだ。途中で、諦めてしまったら、折角魂は喜んでいたのに死ぬまでそれに気がつくことがなくなってしまう。
愛も深ければ深いほどすぐには理解出来ない。本当に価値があるものは何でも、すぐに理解したり感じたりできないものである。だからこそ、あとで感動や感謝が生まれるのだ。
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