本物の価値
どの世界でも道を極めようと努力している人には共通している特徴がある。本物は本物をすぐ見抜く。偽物はそれがわからない。自分も数多くの失敗をして、少しづつ本物を学んできた。本物ほどわかりづらい。
何年越しで、人によっては数十年越しで、自分の担当する道で革命を志している人々がいる。いまの権威に挑戦し、破壊して新たな道を創造しようと淡々に進めている。表面は淡々とでも、魂は熱く燃えている。一見、そんなことを志しているとは見えない。
自分から言わせれば、そういう人物に投資することが一番投資効果が高い。今の投資は短期的な利益しか見ていない。長期とは最低100年、長くて千年、人によっては1万年のスパンで見ている人もいる。道を追求している人は、はした金よりも、道を追求して得られる精神的なリターンのほうが素晴らしいと知っているから、金では動かない。道を極めようとしたことがない人には一生涯わからない境地だ。
偉大な人物には不遇な時代やひきこもりの時代が必ずある。そうして内省して熟成されなければ、本物にはなれない。こんな話を聞いたことがある。
明治維新の英雄、桂小五郎は優秀な官僚だった。次から次へと藩の仕事を頼まれ、優秀だからこそ、仕事をこなしてしまう。すると目先の仕事に益々忙殺されることになる。そこである人物が彼にこう言った。
「このままでは使われる役人になるだけだぞ。仕事は自分がやらなかったとしたら必ず誰かそれを埋める人が現れる。仕事を断る勇気を持って、自分の時間を作ることが大事だ。そうでなければ本当の仕事はできない」と。素直にその助言に従い、実行した桂もスゴい。
いま自分が手がけている仕事をやめて、何の目的もなく内省する時間をとれる勇気がある人は少ない。そうはいっても家賃がとかカネのことを言い出すのが関の山だ。自分でその選択を出来る人は素晴らしい。
いまやっていることが、本当に魂の喜びに繋がるのか、何のために生きているのか、自分の使命は何なのかをゆっくり考えたことがない人が大半だ。自分が中心だと思って社長業をしている人であっても、実態は会社に使われているようなものだ。
どうでもいい情報の渦に巻き込まれ、自分の人生を生きていない。くだらない情報に一喜一憂してしまう。本物でなければ、メッキは剥がれ、無様な姿をさらすことになる。まぁ、それが無様だと感じる感性がある人が少ないから、本人も周囲もそのことに気が付かないだろう。
美意識はだからこそ重要だ。どんな道でも、美意識なければ極めることはできない。お金があっても、使い方に品がなければ馬鹿にされるだけだ。お金は稼ぐより使うほうが難しいのだ。
信念のために痩せ我慢出来なければ本物にはなれない。目先の欲に負けずに強く生きている人と会うと勇気をもらえる。
この前あった方は、確信犯的に実践してきた人だった。教養ある知識人になるには20年は最低かかると覚悟して今まで努力してこられたのだ。頭は良いのだからいくらでも出世の道はあっただろう。それを投げ捨て、信念に生きる。そんな人物にあったことあるだろうか?
自分たちの周囲にはそのような本物の人物が集まりだしている。そうした人たちと話をするだけで楽しい。お互いの道で苦難を乗り越えてきたからこそわかる実感。あ・うんの呼吸のように話が早いのだ。
利益ではなく、価値を考えたらいい。どれほどの価値なのかを。それがわからない人は、わかるまで苦労するしかない。体験していない人に教えることは不可能だ。苦労は買ってでもしろと昔の人はうまいことを言ったものだ。
楽な道だけを選んでいたら、絶対に本物の価値を知ることはない。アップダウンがあるからこそ、物語は面白いのだから。勿論、そのまっただ中にいる時はそんな風に感じる余裕はないだろうが、振り返ってみたら、辛いことこそ良い思い出になるものだ。
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