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ぼくの学び舎

命の学校の講演を聞いてきました。徳永進氏は、医師であり作家でもある方の講演で、笑いが沢山散りばめられた気取らない講演ですが、話の節々に知恵や豊富な知識が光っていました。会場はお人柄を反映するように、堅苦しくなく、穏やかな笑みで満ちていました。

講演のタイトルが「ぼくの学び舎」ということで、徳永氏が臨床の現場やあちこちで気が付いたことをエピソードを交えて伝えてくれました。

冒頭から、
「病気が道を開いて行く」と刺激的な言葉にハッとしました。どこで何を学ぶか、学び舎はどこにもあり、問題意識がある方は出会う人が全て師になっている姿を実践されているのですね。

例えば、前科9犯の人が病院にきた話など、面白おかしく話しながらも、深い学びの話がありました。私が印象的だったのは、同じ数字の9でも、人によってはすごい犯罪者と思い、また違う人は二桁犯にならないうちは大したことないと捉えたりと、人によって見方が変わることでした。

自分の見方では気がつかない可能性や見方が実は眠っていることに忘れがちです。ダメだと自分は思っても、そうではないのです。私たちが今作っているコミュニティでは、可能性に満ちた見方で物事を見る力をつけていきたいと思います。

そして、前科9犯の人の家に行った話から、彼のいる環境が彼を作った話になり、それを既に見抜いていた人がいるとして、
ヴァージニア・ヘンダソーンの看護の基本14項目を話されました。ここに最後一つの項目を徳永氏は付け足していました。

話は飛びますが、あることを伝えるとか、伝えないとかの世界ではない、伝わる世界があることを知った話も面白かったです。言葉ってもどかしいけど、ときには匂いのように伝わることがあり、そうしたことを論理や科学では説明が難しいんですよね。

講演の感想も、全部書けないし、書いてないけど、感じたこととか、それを文字だけで伝えようとするのはとても難しいと思います。ここに書いてあることも、徳永氏が本来伝えたかったことではないかもしれないのです。私なりの理解であって、それで良いと彼はいうと思います。

私が勇気付けられたのは、卵焼きの話です。患者さんの気持ちが薬ではなく、卵焼きで救われる人もいる。面白いのは、医者が患者さんを救うために考えられることは、医療制度して点数が出ることばかりだけど、看護婦さんの卵焼きの話は点数がつかないけど、立派に医療として役立っていることです。

人によって効く薬が違うことを、
「心のくすり箱」として本を出されていたので読んでまた紹介しますね。

パイオニアは点数がない、売り上げがなかったりすることを連想しました。画一的にするってことは経済行為としては当たり前なんですが、手間暇のかかる個別対応の中にしか、愛、思いやりとかが入る余地はないのではと思います。

画一的とはマニュアル化ですが、ロボット化、コンプアライアンスとか、現代社会が志向している社会では嘘が多いと語ってくれた時は、我が意を得たりの思いでした。

徳永氏は、太古から続いている言葉が良いとおっしゃってました。患者さんが家族に寄り添って寝てと言っても、
「病院だからダメ」と返してしまうと。そういう言葉は昔にはないから違うと例を語ってくれました。本当に大事なことしか、死の淵の人は言わないと。死を目前にすると人は嘘がなくなるんでしょう。

太古からある人間が本来持っている感覚というものを大事にしたいですし、そうした感覚を研ぎ澄まされる場所を私は作りたいと思います。自然の中だからこそ、こうした感覚を感じるのです。焚き火とかしているとそんな感覚を覚えます。

他にも自分メモとしては、

  • モハメドアリの励まし人間
  • 相補性
  • Sit here now
  • パラチャーチ
  • タゴール 作られた道、湧いてくる道
  • 光合わせ 田口ランディ
  • どちらでも

などなど、彼の話に共感できる人と一緒に働きたいと思いました。お世話になっている人が誕生日だったので、この講演の話を伝えたら、

「良く死ぬことは良く生きることですから、やがて来るその日まで心身共に健康で生を全うしたいものです」とお返事が。

良く生きて、良く死んで行く場所。その過程を共にできる場をInahoで作っていけたら素敵だなと思いましたね。

さて最後に、徳永氏の著書と、推薦図書をご紹介します。まだ未読ですが、買いましたので読了したらまた報告します。ご興味ある方は是非ご覧ください。そしてそれについて話が出来たらと思います。

先生の可愛いサイン

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