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クラファン始めました!

諦めの悪い私は、沖縄で大失敗したにも関わらず、再度関わり始めて6年経ちました。INAHO FARMを発展させて沖縄の価値をさらに高める場所にしたいと思って、試行錯誤を続ける中で、放牧酪農に出会いました。

沖縄は観光地にも関わらず、域内生産できる高品質な食材が少ないのではないか。広大な敷地を生かした第一次産業として他では真似出来ないユニークな価値を提供できるのではないかと始めた試みがやっと形になってきました。

自然相手ゆえに、計画通りにはいかないことばかりでした。しかし、牛に情熱を持っていた佐藤くんとの出会いもあり、時間はかかりましたがなんとか事業として先が見えてきました。

売上がほとんどないままに6年やってきましたが、やっと事業として継続性を持った形で進められると楽しみです。蜂蜜も徐々に人気が出てきました。ホテルからも引き合いも出てきており、今後北部地域の観光拠点としても牧場の魅力を伝えていけたらと思っております。

今回、クラウドファンディングを始めるにあたって、酪農事業の責任者として頑張ってくれている佐藤くんが率先して準備してくれました。今までは、私の個人的なつながりのある方しか、INAHO FARMのことを知らなかった状態ですが、これを機に沖縄の人や県外の方にも、INAHO FARMのことを知ってもらいたいと願っております。

他にはあまりない地域の誇りとなるような商品を作っていきます。第一弾として、ソフトクリームから作りたいと考えております。日本では完全放牧でグラスフェッドな牛乳はとても珍しいです。珍しく健康的な食材ですので、贈り物にも喜ばれるかと思います。ご賛同いただけるようでしたら、是非応援していただければ嬉しいです。将来的には自然体験も含めた食を通した教育事業へと広げていきたいと思っています。

今回ご支援いただけた皆様と会員組織を作って、名護を盛り上げていけたらと夢想しております。沖縄に来られる際には是非北部まで足を伸ばしていただけたら幸いです。今後とも引き続き宜しくお願い申し上げます。

建国大学という夢の果てに

久々に感情が大きく揺さぶられた本だった。切なく泣きたくなるような気持ちが一番残ったが、同時に人と人との本当の絆をも感じ、胸が熱くなることも多々あった。絆を感じられるのはある意味幸せなことだが、運命の悪戯と呼ぶには過酷すぎやしないかと神に問いかけたくなる。想像を絶する想いがあったことだろう。視座が高ければ高いほど、悔しさに涙したことと思う。人間の生き様を勉強するには最適なドキュメンタリーだ。高校生くらいに読むことを勧めたい本だ。人の価値とは何かを考えさせてくれる。

いかに自分達が甘ったれな時代を生きているか、否が応でも自覚させられる。当時の彼らが持っていた気概と覚悟、人生を生きるとはこういうことだろう。人間力が違う。夢と希望を持って入学したであろう建国大学生。彼らの運命は数奇というには簡単すぎる。

かつて満洲国にあった、建国大学というその名が示す通り、満洲国を背負っていく人物を輩出するために作られた大学。当時のスーパーエリートが集められて、日本人は半分、他は中国人、韓国人、モンゴル人、ロシア人が同じ寮に住み、当時としては画期的な言論の自由が保障された大学だった。日本の敗戦でわずか数年で無くなるが、そこで出来た彼らの絆は一生ものだった。

逆説的だが、過酷な運命が待ち受けていたからこそ、絆は強くなったのかもしれない。人間万事塞翁が馬である。人は過酷な試練があるから成長できるのも事実だ。私だったら望んで試練を受けたくはないが、登場人物の一人は自ら他人の試練を代わってあげるという男の中の男が出てくる。人知れず、目立つ訳でも注目される訳でもなく、こうした人がかつては当たり前のようにいたんだと思う。

そうした人たちが日本の強さを支えていたように思う。本当に価値あることは見えないものだ。失って初めて気が付く。今、私たちも魂を失ってしまった社会で生きている。だからこそ、魂震わせて生きている人たちのストーリに感動するのだ。

煉獄さんが人気になったのも、心の中ではそうした生き方をしたいからだろう。心を燃やして生きたい人には、本書はおすすめなので是非一読してほしい。770円で心震えるのだから安いものだ。貴重な証言を残してくれた著者に感謝したい。素敵なお仕事をしてくださりありがとうございます。

諦めないで疲れた時は休む

人生ってうまくいかないことが多いですが、うまくいったからといって、それがいいとは限らないものです。過去の自分を振り返っても、成功していた時より、失敗していた時の方が人生の学びは深かったです。人生うまくいかないからこそ、人の有り難みがわかったり、優しさが心に染みることもありました。

そうは言っても、辛いものは辛いんだよという意見もあることでしょう。それもわかります。なので、そんな時は全てをやめることはしないで、少し休んでみてはいかがですか?と言いたいのです。

悩みって色々あると思います。人間関係や、仕事の悩み、恋愛やお金、病気など、人生は悩みだらけかもしれません。思い悩んで答えが出ない時、どうしようもない時もあります。それもまた人生です。辛いからこそ、後でネタになるかもしれません。

私が過去で辛かったのは、沖縄で軟禁されていた時でした。自由がない、誰とも話せない、先が見えないと言うことがこれほどまでに辛いこととは想像もしませんでした。その前に、留置所の体験もありましたが、その時は殺されるかもという心配はありませんでしたから、留置所の時よりも不安や恐怖で押し潰れそうになりました。

そんなこともあったせいかはわかりませんが、発信することに対して何か嫌な気持ちを感じていたように思います。しばし発信も休んでおりましたが、いつかは再開しようと残しておりました。毎年、慰霊の日が来ると発信しなくてはという気持ちに駆られます。

慰霊の日も、原爆の日も、日本人は知らない人が多いこと自体、きちんと過去と向き合っていない証拠でしょう。私も自らの過ち、過去を振り返る日になっています。

疲れた時はエンタメを見るのでも、釣りもをするのでも、なんでもいいので自分が気が紛れることをしたらいいと思います。そうして活力が戻ってきたらまた続けたらいいですね。

私は活力を得る方法の一つとして、学ぶ楽しさがあります。最近、加藤先生のYoutubeが面白いです。自由意志があるから、大人はいつでも成長し続けられます。学ぶ楽しみを感じながら自分の人生に活かして、諦めないでやり続けることをしていきます。

75回目の敗戦記念日

このところ、安富氏の日本近現代史の動画を見ていました。
日本近代史講義シリーズ
http://anmintei.blog.fc2.com/blog-entry-1080.html

日本は昔から余計なことをわざわざして損しているところがありますね。やらなくてもいいことをして恨みをかったり、貴重な人材を暗殺したり、本当に世界のリーダーになれるチャンスがあったのに自ら潰したり。。。。かつて第一次大戦後に素晴らしい提案をしていた石橋湛山氏。彼のような人材もまたいたのも事実。彼の提案通りにしていたら、今頃日本は世界のリーダーであったことでしょう。

一切を棄つるの覚悟
http://www.ishibashi-mf.org/profile/review/review_05.html

目先のことを優先し戦略的に行動するのが苦手な国民性なのでしょうね。今後も続くでしょうし、何より国民国家というシステムが日本を破綻へと導くことでしょう。日本を解体しないと必ず破綻するに違いありません。

敗戦から75年。1945年の75年前は1870年。明治2年です。明治が近く感じます。その年に、ロックフェラーがスタンダードオイル社を設立したり、日章旗が国旗となったり、フランスがプロイセン王国と戦争して、ナポレオン3世が捕虜になりフランス第三共和政が成立しました。はるかな昔のようで、三世代くらいでこのくらいの時はすぎてしまいます。

2020年の75年後はどんな社会になっているでしょうか?環境問題はどうなっているのでしょう?

今ある東京の高層ビル群も、75年前はなかったわけです。次の75年後にはまたなくなっていてもおかしくありません。地震かもしれませんし、戦争かもしれません。

今の世界の動きを見ていると、見えないだけで戦争状態なのではないかと思うことがあります。時代の変化が起こることだけは確実です。常識も変わる速度が速くなるかもしれません。

だからこそ、古典や歴史を読んで、大局観を身に付けたいと思う1日でした。

「沖縄から貧困がなくならない本当の理由」と私

沖縄に来て良かったなと思うことの一つに、樋口先生との出会いがあります。彼が主催していた、次世代金融講座を受けて、ここに私が求めていたものがあったんだと感動しました。この本「沖縄から貧困がなくならない本当の理由」に続く次回作では、きっと次世代金融講座の内容も含まれるでしょうから次作も楽しみです。

かつて私が愚かな失敗をして落ち込んでいた時も、温かく励ましてくれた典子さんと樋口さんは、私にとって理想的な愛の関係を築かれているように見えます。お二人の愛のお陰で、人間不信だった私もまた立ち直ることができました。自分の不信ゆえにお二人を傷つけてしまったこともありますが、それでも辛抱強く付き合っていただけました。あの出会いがなければ、また人を信じることをできなかったように思います。とても感謝しております。

お二人の結婚式に呼んでいただいた時も、樋口さんと典子さんのために何か私が貢献できることがあればいいなと心から思いました。今思い出しても、とても心に残る素晴らしい式で、いまだにあの時を思い出すと涙が溢れてきます。人生において、そんな素敵な時間を共有できたことを嬉しく思います。

私が稲穂産業の代表になることを悩んでいた時も、樋口先生のアドバイスがなければ、また沖縄に戻ってやろうとは思わなかったです。農業や酪農について勉強するきっかけをくれたのも、樋口さんです。私の第二の人生において、とても大きな贈り物をいただいています。樋口さんが、
「尾関君は何かわからないけど何かをやりそうな雰囲気があるよね」とおっしゃってくれたことが大きな励みとなりました。人ときちんと向き合うことの大切さ、一人一人がとても大きな力を持っていること。愛の経営。振り返れば、たくさんのキーワードでヒントをいただいてきました。そして、それは私にとってのみならず、志を持つ人にとっては誰にとっても福音となる贈り物です。今回出版されたこの本も、多くの方にとって贈り物となることでしょう。

本書の内容については、過去の講座と同じように何度読んでも、いつ読んでも古くならない内容です。丁寧に愛を持って仕上げた本だということが伝わります。執筆しているという話を聞いてから、だいぶ経って出版されましたが、タイミングとしては丁度良い時期になったように感じます。コロナ後の社会、新しい時代に相応しい社会にとって大切な視点が含まれているので、どう生きていいいか悩んでいる方はヒントが詰まっている本です。順番に読んでいけば、推理小説のようにパズルが解かれていくような感覚を覚えるかもしれません。

私が中でも好きなのは、まず本当の問題は何か?第1章の
「正しく問う、それが全てだ」だけでもまず読んで欲しいです。第5章のキャンドルサービスは、経営者なら是非読んでもらいたい内容です。心の筋トレは簡単ではありませんが、気づくたびに努力しています。誰でも自分を変えることで世界を変えられるのです。そう勇気をもらえる本だと思います。

本日は沖縄は慰霊の日です。本書が多くの魂を癒すこととなり、沖縄が平和の架け橋になるよう祈念します。

食の未来のためのフィールドノート

この本を読み始めたけど、面白い!NYのブルーヒルというレストランのシェフのノンフィクション。一部を後で紹介します。今世紀は気候変動が激しくなり、20世紀と同じように食料を生産できなくなるでしょう。法律やシステムではなく、例えばコンビニを時代遅れだと思い、添加物まみれの食に対するあり方が変われば、社会が変わるのは確実です。

自分も農業に関わることになってからわかったことが多い。今後、食糧危機だって起こるかもしれない。何れにしても、自分たちの食事くらいは作れるようになりたい。

以下転載

土壌浸食、灌漑用地下水の水位低下、漁業の崩壊、森林の縮小、草原の荒廃は、僕たちの食システムがもたらした環境問題のほんの一部にすぎない。気温がこれからも上昇していけば、問題はどんどん増え続けるだろう。
僕たちの健康も被害をこうむった。飲食に起因する病気、栄養失調、肥満や糖尿病など食習慣に関わる病気の発生率が上昇しているのは、食べ物の大量生産に一因がある。このような状況は強い警告として受け止めなければならない。健康を損ない、天然資源を濫用するような食べ方がまかり通るような従来の食システムは、(当然ながら経済や社会に影響をおよぼすばかりか)持続不可能である。

従来の思考様式に基づいた農業ーより多く奪い、より多く浪費するーによって相変わらず食べものの大半が提供されているのは事実だが、心の中で常識ある声がささやき、長くは続かないと警告している。

「あらゆる面で度を越したプロセスによって最後は自滅する」だろう

食は「農業とは切っても切れない関係を持った行為であり、食事の取り方を見れば、世の中に取り組む姿勢がわかる」ものだ。

水無月になりました

先日沖縄そば屋さんで誕生日図鑑があったので見てみたら、私のページには、墓穴を掘るが運の良さで切り抜けると書いてあり、まさにその通りだなと笑ってしまいました。

最近は自炊が多いので外食は珍しいです。私も初めて料理を作ることに挑戦したり、圧力鍋を初利用してみたり、最近のオーブンレンジの性能に驚愕したり、料理の世界を楽しんでいます。

外食大好き人間でしたが、最近はそんなに行きたいとも思わなくなってきました。たまに、美味しい鮨を食べたいなぁと思ってもイオンで売ってるお鮨も美味しくいただけるようになってきました。自分でも不思議ですが、回転する寿司は鮨じゃないと思っていた過去の自分に教えてあげたいです。

田舎に、しかも山奥のど田舎に住んでみると、港区住民だった頃と比べると、欲望の種類が変わってきました。人が作ったものを手に入れるというよりも、自分で色々作ったり、何でもない時間を楽しめるようになった気がします。

かつてはぼっとしていたら時間の無駄と感じていたところもありましたが、自然の中にいると豊かなだなと満たされるようになりました。よく言われてましたが本当でした。なかなか港区民からこのような生活をしようとは思わないでしょうから、実践する人は少ないので一般化はしないでしょうが。

自分たちで作ったもので、料理して、気兼ねのない人々とご飯をしたり他愛もない話をしたりすることに対して、かつては大した価値を置いていなかったんだなとわかりました。

誰といるかよりも、何を食べるかとか、どんな場所とか、他の要素に意識が行きすぎていて、目の前の関係を見てるようで見ていなかったのだなぁ。心に余裕がなかったのもあると思います。

その一方で、幸いなことに新しい人間関係にも恵まれて、かつての失敗を反省に、大事にしていきたいと思います。多くの失敗を得たからこそ、大事なことがわかりましたね。感謝です。と言っても私は天邪鬼なところもあるので、ほんと自分でも厄介です。

今年は新しいことにどんどん挑戦しています。酪農もそうですし、養蜂も、ぐうたら農法も、あとは釣りとかボート免許とか、ダイビング復活とか、●●茶とか、やりたいことだらけで時間が足りません。

毎日、規則正しい生活になったけど、なかなか痩せないのが不思議です。本の種類も幅広いですが、読みたい本が溜まっています。

眺望の素敵な場所があるので、そこに椅子とか置いてゆっくり読書もしたいなぁと思ったりもするけど、日々に追われて気がついたらもう水無月。昔よりは、ビジネスに対してやる気になってきました。なんせお金稼がないと生きていけないですからね。お金があるときは、欲しいものもそんなになかったですが、ないときは、必要なものがたくさん出てくるから面白い。無駄使いをしないようにして、楽しんでやっていきます。

なんだかんだで周囲の人に助けられて進んでいます。ありがたいことです。お読み頂いた方もどうもありがとうございます。

命の学校を終えて

命の学校が終わりました。2週間ごとにワクワクして通っていた講座も一区切り。大学院も含めて過去のどの授業よりも熱心に楽しく学べた学校でした。大体、話を聞いていると眠くなってしまうことが多い私としては、寝ずに3時間以上集中できていたことに自分でも驚きです。

最後の講義で、新しいことを学ぶことだけが勉強ではないことも気が付かされました。知識として知っていると、「ああそれ知っている」と思って、どこか流していました。でも、知るといっても本当に正確に概念を理解しているのか?また、腹落ちし、行動できるまで身についているかは別問題であるのに、わかったつもりになっている自分がいました。

継続的に努力してこそ身につくことをついつい忘れて、新しいことに飛びつきがちです。良いと思ったことを愚直に実行することは簡単だからこそ難しいことです。

新しい知見ももちろんありました。毎回ゲストの方のお話は、自分では絶対に話を聞くことを選択しないであろう方々が多く、自分の範囲外へと連れ出してもらえるいい機会でした。医療などは自分とは関係ないと思っていましたが、聞いてみると、愛や自尊心の実践を一番必要とされている業界かもしれません。

何しろ、怪我や病気をしている人たちにとっては、明日があるかどうかはわからない切実な問題であるからこそ、普段では見過ごされている問題に直面しやすいわけです。限りある命をどう使うかをサポートするのではなく、システムに問題がないようにサポートするのでは対応が全く違ってきます。施設にとって問題がないようにすることと、患者の幸せが両立していないのが現状でしょう。これは医療関係だけではなく、普通の会社にしてもそうです。会社のルールに合わせようとするのが普通とされていますよね。

今回の講座で話されていた方達は、今のシステム中心の世界観から、人間中心の世界観への転換へと実践している方々の話でした。現在は、システムに人間を合わせようとするからこそ、人間がおかしくなるのですね。今後の希望の光を感じた学校でした。

システムというと、映画マトリクスの世界観を彷彿とさせます。システムのエージェントになっているMrスミスのような方々が、今は評価されている時代です。二宮尊徳のように、人間性で評価されるリーダーが中心の時代にならない限り、システムは栄えても、人間はいつまでたっても幸福にはならないのでしょうね。

ありがとうの反対は当たり前。今や、お金を払えばやってもらって当たり前だと感じている私たちがいるように思います。やってもらって当然なことは何もありません。当たり前に慣れることなく、日々過ごせたら幸せなことだと思います。

より良い人間関係こそが幸福への道。命の学校は幸福の学校でもありました。次回は、お金の学校になるそうです。次もきっと知的な刺激に満ちた時間になることでしょう!

美味しい牛乳飲んだことありますか?

最近私は牛乳に詳しくなりました。甘いものが好きで生クリームやらバターなどをよく食べていながら、その大元となる牛乳がどのように作られているか、詳しく考えたことがなかったのです。知れば知るほど、これはやばいなぁと。

今、多くのスーパーなどで売られている牛乳は、130度くらいの高熱で2秒ほど高温殺菌されている牛乳がほとんどです。この方法だとタンパク質が焼けてしまうために、脂肪球を細かくするホモジナイズという処理をしています。すると、生クリームが自然に分離してできることがなくなります。高温殺菌だと全ての菌も死ぬので、本来は船舶など長期の保存用として用いられている方法だそうです。なぜそうするかというと、経済的だからですね。長持ちするし問題も起きにくい。その代わり、栄養分も美味しさも減る。ついでに言うと、牛の飼い方が自然ではないために菌が発生しやすくなっていることも理由でしょう。

狭い牛舎に押し込められて、そこで食べて糞もして寝るのです。不衛生だし、運動もしないため不健康で菌が発生しやすいのです。牛のイメージは放牧でしょうが、そのような飼い方をしている牧場は数パーセントです。ほんのわずかです。あと、1番の問題は、牛の餌です。本来、牛は草食です。草を食べるように体ができているのに、人間の都合で太らせたり、乳脂肪分を高めたりするために、穀物飼料を与えているのです。で、やはり病気になりやすくなるわけです。アメリカの穀物を輸入させるための戦略だと言うのは当たっていると思いますね。これからの食料自給を考えると、輸入穀物で牛を飼育するのではなく、牧草で飼育する時代になると思っています。

飲み比べると、低温殺菌でノンホモ牛乳は美味しいです。健康な牛から美味しい牛乳と、自然放牧で有名な中洞牧場さんは宣伝してますね。中洞牧場を経営している、IT企業のリンクさんは、昔取引のあった会社さんで、放牧のことを相談すると色々と社長さんが教えてくれました。10年先輩なので心強いです。

自然放牧だと、1ヘクタールに一頭のスペースが必要です。そんない広い場所を確保できている牧場は少ないから、牛舎飼いになるのです。山地酪農という、山の斜面を使った日本に向いた酪農スタイルも昔から提唱されていたのですが、乳業メーカーが乳脂肪分3.5パーセント以上じゃないと安く買い叩くようになってから、急速に放牧は無くなりました。自然の草だけだと脂肪分に波が出て、3.5を切ることもあるからです。企業の経済活動に、牛や人間を合わせるのはやめて、牛たちの性質に合わせて経済を作るべきだと思うのです。企業中心に考えるから、自然や動物にしわ寄せがいき、結果として人間にもブーメランのように戻ってきて病気になるのですから。余計なことをしない自然に学ぶ経済スタイルが必要だと感じています。もっと、牛や鳥などがどう飼われているか関心を持って、こだわれば、絶対にその方が美味しいです。

今となっては貴重になった放牧。沖縄では肉牛の放牧はありますが、乳牛の完全放牧はありません。折角なのでこの自然放牧に挑戦したいと考えています。牛にとって健康で幸せな状態になってもらって、幸せのおすそ分けを頂いて、乳製品を作りたいなと思っています。これが出来たら最高の贅沢だと思います。今から楽しみです!

愛に生きる

今年は己亥の年だそうです。先がわからない人間はなんとか法則を掴んで未来を予測しようと干支などを考えたのでしょう。それを信じたら、きっとその通りになっていくのでしょう。予言の自己成就です。なので私は自分に都合のいいように今年はなると信じることにしました。信じるといえば、年末に興味深い話を聞きました。

鈴木メソードという教育法です。音楽の世界では有名らしいですが、その教育法は他にも応用できるもので、母語教育法といいます。母語は誰も出来ない人がいないという当たり前のことに驚愕を受けた鈴木氏が開発した方法です。また著者の題名が良いんです。

母語は出来ない人がいないのは、出来ないと思わないからだという逆転の発想。出来ると当たり前に感じ、周囲もそう接していれば自然とできちゃうわけですね。ハーバードとジュリアード音楽大を両方首席で卒業した女性の母上も同じようなことを話されてました。子供には制約がないから、可能性は無限大で、大人になればなるほど自らが自らを縛ってしまうわけです。

枠ができてしまった人間は実は単純なのかもしれないと、WESTWORLDというドラマを見てても思いました。自分で決断しているつもりでも、実はしていないのかもしれません。惰性や習慣などで動いている、ただの動物のような気もします。

SF好きなら是非。

動物は調教が必要と思って、誰かに何かをさせることで解決しようとしている現象で満ちています。政治家に解決してもらう。社長に、部長に、奥さんに、誰でもいいのですが、人任せにしてしまう自分が私もいます。人の調教の前に自分を調教する年にします。

楽しみは自発的にするものですが、面倒なことは人任せにしがちですよね。朝起きるのも面倒ですが、たまたまテレビで住職が話していた言葉が印象に残りました。嫌だなと思う前に起きると。思考の前に行動する。考える前に動く。

自分に調教したいことを前もって考えておいて、感情が動く前にする訓練をしています。昔の面倒くさがりに比べたら、だいぶ変わりましたがまだまだですね。

愛についても、年末に麗王の典子さんが書いていた、

「愛は、他者のために「立ち止まる」力なのだとも思いました。」

が心に残っています。他人のために、自分ごとをやめて、時間をとる。自分を優先して生きてきたので、まずはこういうことから訓練していきます。

習慣の法則を掲げて少しずつでも実践していけば一年で大きく変わります。

1×1×1・・・365日かけると=1
1.01×1.01×1.01・365日かけると=38 なんと3800パーセント
0.99×0.99×0.99×・365日かけると=0.03

千里の道も一歩から。お互いに良い年にしていきましょう。今年もよろしくお願い申し上げます。