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諦めないで疲れた時は休む

人生ってうまくいかないことが多いですが、うまくいったからといって、それがいいとは限らないものです。過去の自分を振り返っても、成功していた時より、失敗していた時の方が人生の学びは深かったです。人生うまくいかないからこそ、人の有り難みがわかったり、優しさが心に染みることもありました。

そうは言っても、辛いものは辛いんだよという意見もあることでしょう。それもわかります。なので、そんな時は全てをやめることはしないで、少し休んでみてはいかがですか?と言いたいのです。

悩みって色々あると思います。人間関係や、仕事の悩み、恋愛やお金、病気など、人生は悩みだらけかもしれません。思い悩んで答えが出ない時、どうしようもない時もあります。それもまた人生です。辛いからこそ、後でネタになるかもしれません。

私が過去で辛かったのは、沖縄で軟禁されていた時でした。自由がない、誰とも話せない、先が見えないと言うことがこれほどまでに辛いこととは想像もしませんでした。その前に、留置所の体験もありましたが、その時は殺されるかもという心配はありませんでしたから、留置所の時よりも不安や恐怖で押し潰れそうになりました。

そんなこともあったせいかはわかりませんが、発信することに対して何か嫌な気持ちを感じていたように思います。しばし発信も休んでおりましたが、いつかは再開しようと残しておりました。毎年、慰霊の日が来ると発信しなくてはという気持ちに駆られます。

慰霊の日も、原爆の日も、日本人は知らない人が多いこと自体、きちんと過去と向き合っていない証拠でしょう。私も自らの過ち、過去を振り返る日になっています。

疲れた時はエンタメを見るのでも、釣りもをするのでも、なんでもいいので自分が気が紛れることをしたらいいと思います。そうして活力が戻ってきたらまた続けたらいいですね。

私は活力を得る方法の一つとして、学ぶ楽しさがあります。最近、加藤先生のYoutubeが面白いです。自由意志があるから、大人はいつでも成長し続けられます。学ぶ楽しみを感じながら自分の人生に活かして、諦めないでやり続けることをしていきます。

75回目の敗戦記念日

このところ、安富氏の日本近現代史の動画を見ていました。
日本近代史講義シリーズ
http://anmintei.blog.fc2.com/blog-entry-1080.html

日本は昔から余計なことをわざわざして損しているところがありますね。やらなくてもいいことをして恨みをかったり、貴重な人材を暗殺したり、本当に世界のリーダーになれるチャンスがあったのに自ら潰したり。。。。かつて第一次大戦後に素晴らしい提案をしていた石橋湛山氏。彼のような人材もまたいたのも事実。彼の提案通りにしていたら、今頃日本は世界のリーダーであったことでしょう。

一切を棄つるの覚悟
http://www.ishibashi-mf.org/profile/review/review_05.html

目先のことを優先し戦略的に行動するのが苦手な国民性なのでしょうね。今後も続くでしょうし、何より国民国家というシステムが日本を破綻へと導くことでしょう。日本を解体しないと必ず破綻するに違いありません。

敗戦から75年。1945年の75年前は1870年。明治2年です。明治が近く感じます。その年に、ロックフェラーがスタンダードオイル社を設立したり、日章旗が国旗となったり、フランスがプロイセン王国と戦争して、ナポレオン3世が捕虜になりフランス第三共和政が成立しました。はるかな昔のようで、三世代くらいでこのくらいの時はすぎてしまいます。

2020年の75年後はどんな社会になっているでしょうか?環境問題はどうなっているのでしょう?

今ある東京の高層ビル群も、75年前はなかったわけです。次の75年後にはまたなくなっていてもおかしくありません。地震かもしれませんし、戦争かもしれません。

今の世界の動きを見ていると、見えないだけで戦争状態なのではないかと思うことがあります。時代の変化が起こることだけは確実です。常識も変わる速度が速くなるかもしれません。

だからこそ、古典や歴史を読んで、大局観を身に付けたいと思う1日でした。

水無月になりました

先日沖縄そば屋さんで誕生日図鑑があったので見てみたら、私のページには、墓穴を掘るが運の良さで切り抜けると書いてあり、まさにその通りだなと笑ってしまいました。

最近は自炊が多いので外食は珍しいです。私も初めて料理を作ることに挑戦したり、圧力鍋を初利用してみたり、最近のオーブンレンジの性能に驚愕したり、料理の世界を楽しんでいます。

外食大好き人間でしたが、最近はそんなに行きたいとも思わなくなってきました。たまに、美味しい鮨を食べたいなぁと思ってもイオンで売ってるお鮨も美味しくいただけるようになってきました。自分でも不思議ですが、回転する寿司は鮨じゃないと思っていた過去の自分に教えてあげたいです。

田舎に、しかも山奥のど田舎に住んでみると、港区住民だった頃と比べると、欲望の種類が変わってきました。人が作ったものを手に入れるというよりも、自分で色々作ったり、何でもない時間を楽しめるようになった気がします。

かつてはぼっとしていたら時間の無駄と感じていたところもありましたが、自然の中にいると豊かなだなと満たされるようになりました。よく言われてましたが本当でした。なかなか港区民からこのような生活をしようとは思わないでしょうから、実践する人は少ないので一般化はしないでしょうが。

自分たちで作ったもので、料理して、気兼ねのない人々とご飯をしたり他愛もない話をしたりすることに対して、かつては大した価値を置いていなかったんだなとわかりました。

誰といるかよりも、何を食べるかとか、どんな場所とか、他の要素に意識が行きすぎていて、目の前の関係を見てるようで見ていなかったのだなぁ。心に余裕がなかったのもあると思います。

その一方で、幸いなことに新しい人間関係にも恵まれて、かつての失敗を反省に、大事にしていきたいと思います。多くの失敗を得たからこそ、大事なことがわかりましたね。感謝です。と言っても私は天邪鬼なところもあるので、ほんと自分でも厄介です。

今年は新しいことにどんどん挑戦しています。酪農もそうですし、養蜂も、ぐうたら農法も、あとは釣りとかボート免許とか、ダイビング復活とか、●●茶とか、やりたいことだらけで時間が足りません。

毎日、規則正しい生活になったけど、なかなか痩せないのが不思議です。本の種類も幅広いですが、読みたい本が溜まっています。

眺望の素敵な場所があるので、そこに椅子とか置いてゆっくり読書もしたいなぁと思ったりもするけど、日々に追われて気がついたらもう水無月。昔よりは、ビジネスに対してやる気になってきました。なんせお金稼がないと生きていけないですからね。お金があるときは、欲しいものもそんなになかったですが、ないときは、必要なものがたくさん出てくるから面白い。無駄使いをしないようにして、楽しんでやっていきます。

なんだかんだで周囲の人に助けられて進んでいます。ありがたいことです。お読み頂いた方もどうもありがとうございます。

愛に生きる

今年は己亥の年だそうです。先がわからない人間はなんとか法則を掴んで未来を予測しようと干支などを考えたのでしょう。それを信じたら、きっとその通りになっていくのでしょう。予言の自己成就です。なので私は自分に都合のいいように今年はなると信じることにしました。信じるといえば、年末に興味深い話を聞きました。

鈴木メソードという教育法です。音楽の世界では有名らしいですが、その教育法は他にも応用できるもので、母語教育法といいます。母語は誰も出来ない人がいないという当たり前のことに驚愕を受けた鈴木氏が開発した方法です。また著者の題名が良いんです。

母語は出来ない人がいないのは、出来ないと思わないからだという逆転の発想。出来ると当たり前に感じ、周囲もそう接していれば自然とできちゃうわけですね。ハーバードとジュリアード音楽大を両方首席で卒業した女性の母上も同じようなことを話されてました。子供には制約がないから、可能性は無限大で、大人になればなるほど自らが自らを縛ってしまうわけです。

枠ができてしまった人間は実は単純なのかもしれないと、WESTWORLDというドラマを見てても思いました。自分で決断しているつもりでも、実はしていないのかもしれません。惰性や習慣などで動いている、ただの動物のような気もします。

SF好きなら是非。

動物は調教が必要と思って、誰かに何かをさせることで解決しようとしている現象で満ちています。政治家に解決してもらう。社長に、部長に、奥さんに、誰でもいいのですが、人任せにしてしまう自分が私もいます。人の調教の前に自分を調教する年にします。

楽しみは自発的にするものですが、面倒なことは人任せにしがちですよね。朝起きるのも面倒ですが、たまたまテレビで住職が話していた言葉が印象に残りました。嫌だなと思う前に起きると。思考の前に行動する。考える前に動く。

自分に調教したいことを前もって考えておいて、感情が動く前にする訓練をしています。昔の面倒くさがりに比べたら、だいぶ変わりましたがまだまだですね。

愛についても、年末に麗王の典子さんが書いていた、

「愛は、他者のために「立ち止まる」力なのだとも思いました。」

が心に残っています。他人のために、自分ごとをやめて、時間をとる。自分を優先して生きてきたので、まずはこういうことから訓練していきます。

習慣の法則を掲げて少しずつでも実践していけば一年で大きく変わります。

1×1×1・・・365日かけると=1
1.01×1.01×1.01・365日かけると=38 なんと3800パーセント
0.99×0.99×0.99×・365日かけると=0.03

千里の道も一歩から。お互いに良い年にしていきましょう。今年もよろしくお願い申し上げます。

紅茶道は深い

先日、金川紅茶さんにお邪魔してきた。突然にも関わらず、親切丁寧にご相手くださり、味見までたくさんさせてもらって、とてもワクワクした時間になった。

紅茶について、専門家が話す言葉は一々面白く、そういうことだったのかと納得させられた。一つの道を極めている方の話はとても面白い。

茶葉
ウンカの被害を受けた茶葉

ウンカの被害を受けた茶葉は匂いが強くなるそうです。こういう時はダメで、こうなったら逆に良くなるとかあって、奥深くて興味が尽きません。東方美人はそんなお茶だそうで、やろうと思っても出来ないお茶だそうです。

味も変わりますし、紅茶にハマる人の理由がわかったような気がしましたね。気軽に、紅茶の作り方を習いに行こうと思った自分が恥ずかしくなりました。

でも自分用というか、趣味用に作ってみようかと思いました。収穫までは5、6年かかるそうですが。紅茶の世界も少しづつ勉強していこうと感じさせてくれた、穏やかだけど情熱ののある比嘉さん親子に感謝です。あっという間の3時間でした。

見も知らない人間にこんなにも愛のある対応をしてくれる人は中々いないです。人柄が紅茶にも反映されますね。安心していただける紅茶です。下記の記事を是非読んでみてください。

» 沖縄が誇る、一期一会の紅茶 【茶園編】 金川製茶 不耕起自然農の畑、一子相伝の技術が、“本物”の紅茶を作る

命の学校 あおいけあ加藤忠相氏講演

田舎にいると知的刺激を受ける機会が少なくなります。気軽にセミナーなどを受けられませんからね。命の学校行ってきました。3時間眠くならずに飽きずに聞き入りましたよ。

今回は私と同じ年の加藤忠相さん。介護などの世界は程遠い世界でしたが、やられていることは、人を人として尊重するという、人として当たり前のこと。他の組織などの状態を聞くと、どうやら当たり前のことができていない世界のようです。

老人にサービスをしてあげているという態度ではなくて、一緒にどうやって地域に貢献するかを考えているのが素晴らしいです。弱点を見るのではなく、強みを活かしていく。強みを伸ばしていくと弱点も補強されていくとも。興味深いですね。

まるで会社の人事の話として聞いても勉強になります。いろいろテクニック的なことも面白かったのですが、加藤さんが想いを込めて話されているのが伝わり、目頭が暑くなるしシーンがありました。

真剣に想っていると伝わります。最後まで命をどう使うか、自分の人生も頂いたこの命を全うして死にたいものです。加藤さんの想いが聴衆に伝わったのか、講演が終わった後は挨拶しようと人が並んでいましたね。

死と真剣に向き合っているからこそ、一期一会、悔いのないように接する、真剣勝負ができているのだと感じます。

知らなかったですが、彼が話していたハンナ=アーレント

労働:消える価値のための
仕事:人の役に立つ
活動:やりたくてやる事

という分類。確かうろ覚えですがこんなだったような。

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今読むとちょっとニュアンスは違うようですが、自発的な活動が増える方がいいことには賛成です。

より良い人間関係を作るのがトップゴールというのが刺さりました。共有共感の持てるトップゴールを設定できれば、自然と人は自発的に動いていくのでしょう。自分のトップゴールは愛の実践かなと考えてました。

あと、食事の重要性にも触れられていました。きちんとした食事は生活の質を高めるし、健康にもつながります。

よく生き、よく死ぬために!

加藤さん、貴重な経験のシェアをありがとうございました。

 

ふと立ち止まって考えることが出来るのは人間だけだ

だいぶ前に気に入って写メしていた、攻殻機動隊の荒巻部長のセリフ。

「人の心はもろい
世の中の回転に呑まれて 快楽中心になると
利益効率追求機械やただの消費単位になってしまう」

お金があるときは、心の快楽を求めていたように思う。もっと心がワクワクして欲しい、燃えるような人生を送りたいと。お金がなくなってからは、生活のことを心配し、効率的な消費に気が向きやすくなってくる。

詐欺られるまでは、あまりお金に困ったことがなかったけど、流石にほぼ荷物やお金も取られて、30代後半になって、所持金が数十万と4千ドルくらいになったときは、情けなくて仕方なかったなぁ。

人を信じるというのは、美しくもあるけど、思考停止にもなる。自分で考えなくていいのは楽だから、それに甘えていたんだね。上手いこと言われて、自分にも言い訳できて、詐欺師たちにとっては俺に何もしてもらわない方が良かったんだと、後から気づく。もっと出来たことがいっぱいあったけど、少し抵抗があると面倒になってやめていたんだなと、今なら思う。

曖昧なままにし過ぎていた部分が多過ぎたというのが反省。笑い話みたいだけど、警察の話を聞いて、会社がこんな状態だったんだと知ったくらい。お金を会社に入れることはあっても、自分に出すことがなかったから同情された。

信用は失うと大変だということが身に染みてわかったけど、やってしまったことは仕方ないので、一から価値あるものを創り上げていくしかない。

価値あるものを作り出せれば、また風向きも変わることでしょう。幸い、いまだに応援してくれている人たちはいるので、少しづつ理想の場所を作っている所。

先日も紹介されて、医者で大学から出向で役所に行っている方が来られた。初対面でしたが、ちょうどそろそろ仕事を変えるタイミングだった。人生の節目などで、人生を考える時間を一緒に持てたらいいなと思う。

出会いには恵まれているので、飽きない。予想もできない展開が起こることがワクワクする。最初にやった時も、思っていた事業じゃない形で成長していったから、Inahoもやっていることの中から派生していくのだろう。

サイバーエージェントの立ち上げの時、カレンダー市場を立ち上げていたのを今でも思い出して笑える。ネットでカレンダーを売っていたとは誰も信じないだろうけど、最初からうまくいった会社などあまりない。だいたい、当初の予定通りに行くことが少ないもんだ。

時々、立ち止まり、振り返って、そして先を見て、また目の前のことをやることを心がけるようになった44歳だ。

 

自由がない辛さ

はじめに

安田さん無事に解放されて良かったですね。本人が一番嬉しいと思います。私もかつて1ヶ月以上閉じ込められて、監禁生活を強いられたことがあるので、自由がない生活の辛さは少しだけわかります。そのことについて、あまり思い出したくもありませんが、体験談の一つとして公開します。

監禁体験

私の時は、信じていた人に騙されるような形で監禁が突然始まりました。監禁されている間に、荷物やら何やら全てなくなりました。監禁中は、本が数冊とノートがあったので、安田さんよりまだマシでした。そのお陰で時間を潰したりできましたから。般若心経を写経したりしていました。時計とかもないので、時間の経ちかたがよくわからなくて辛いのです。そこで私はタイマー式の扇風機を回して時間の経過を計ったりしていました。でもこれもうっかりと途中で寝てしまうと、起きた時にタイマーが切れていたりして、また時間の目安がなくなり、涙目という状態でした。扇風機のタイマーで一喜一憂ですよ。体験するまではこんなことで感情が起伏するなんて想像もできませんでしたね。状況によって、普段どうでもいいことが大切になったりします。

不安との戦い

私の監禁部屋は、まだ板で閉じられた窓の隙間から日が射したりして昼夜の区別がつきましたが、これさえないと、本当に何日経っているかもわからないので恐怖です。人って情報が遮断されるだけで不安になりますよ。

人間不思議なもので、監禁されているんだから、時間なんてどうでもよくなりそうなんですが、今がだいたい何時くらいかを把握したくなるんですよ。いつ出れるかわからないと、1日が終わることがすごく嬉しいんです。とにかく早く時間がすぎて欲しいと。わずかな楽しみを見つけるのが上手になります。余談ですが、虫と話したりもしてました。あと筋トレしてみたりとか。1日の中でもアップダウンがあったりして、気持ちが忙しく上下してました。気分が落ちると時間の経過も遅くてより辛いのです。

気分転換になるのが、食事と排泄でした。粗末な食事でも、変化があれば楽しめるのです。単調で同じ食事だとしたら、それは拷問になると感じました。

排泄も普段なら観察もしないのに、そういう時は硬いとか柔らかいとか色とか興味が出てきます。変な話ですいません。オマルでさせられるのも慣れちゃうから怖いです。部屋の中にそれがあるわけなので、大をすると臭いがこもって辛かったなぁ。

特に辛かったこと

あと自分は音楽が好きなので、好きな音楽を聞けないのが辛かったです。一生懸命自分で鼻歌してみたりするけど、一曲全部は出てこないもんなんですよ。音楽プレイヤーが勝手に次々と曲を流してくれるって最高だなと思いました。音楽さえあれば、監禁生活も乗り越えられます。歌って感情に作用しますね。自然と涙がでてきたり、泣いたりしちゃいますから。

今まで我慢もせず、やりたい放題で生きてきた私ですから、自由がなく選択の余地がない生活は苦痛の極致でした。美味しいご飯とかも勿論食べたいのですが、自分が今こういう状態だと誰にも伝えられないことがとても苦しかった思い出があります。心配して1週間に何回かは連絡くれる人がいるといいですよ。

1ヶ月でも気が狂いそうでしたから、安田さんは外国で数年とか本当にタフな状況でよく自殺しなかったなと思います。人間の心なんて簡単に壊れます。当時一番辛かったのは、子供に対してでしたね。本当に自分の馬鹿さ加減のせいで、辛いおもいをさせてしまったと情けなく思いました。アホな父ですまなかったと今でも思います。

時間だけがあると、後悔や失敗、反省など色々と自分で自分を責める状態になります。どうか安田さんを責めないで欲しいです。3年間、自分のことを自分が一番責めているんじゃないかと思います。時間という二度と帰らない、かけがえのないものを奪われたのですから。周りは温かくそっとしてあげるのがいいと思います。

まとめ

自由に動けるというのは素晴らしいことです。普段当たり前のことが実は当たり前じゃないんだということが本当によくわかります。一年に数日くらいは監禁生活をしてみてください。何ならお手伝いしますよ(笑)

ちなみに私を監禁した一味が、後でもっとひどい監禁部屋を作っていた痕跡を発見しました。ここに監禁されなくて良かったと心底思いました。今はこの体験もバネにして自由に感謝しています。もっと詳しく知りたい人は沖縄まで会いにきてくださいね。夜通し語ります。

サバイバルと村つくり

小学校の頃、この本が好きでした。

実際にキャンプによく行く訳でもないのに、サバイバルという響きに憧れがありました。水がないときはこうすればいいとか、普段の生活でもマッチを持ち歩いてみたりと、今思うと笑ってしまいますが。

ロビンソンクルーソーとか、15少年漂流記なども好きでした。実際に遭難になったら、都会っ子なもので、虫イヤーとかなるんだろうけどと思いながら読んでました。

アニメでも南の島のフローネとか思い出深く残ってます。何かわからないけど気になっていたんですね。映画とかだとたくさんあるんですが、

特にこの辺が印象強いです。

漫画でも、

サバイバルが愛読書でした。ゴルゴ13よりもこちらの方が私は好きでしたね。


ドラゴンヘッドも覚えてますか?トンネルを抜けたあたりのことを覚えています。山賊ダイアリーと新白河原人は、日常でのサヴァイブ術で、刻々はちょっと毛色が違いますが、選択と覚悟がサヴァイバルです。

で、最近面白い漫画を読みました。この本を紹介したかったんですけど長くなりました。


7seeds。絵柄が少女漫画なので男性は苦手な人が多いかもしれませんが、35巻を飽きさせずに一気読みしたい気分にさせてくれる作品でした。7seedsを読んで、サバイバルをテーマにした内容にも男女の差があるんだなと感じましたね。壮大なテーマと複雑に絡んだ人間関係がよく練られててオススメです。男が書くサヴァイバルって、自分視点が中心のような気がして、生き残ることが重要で、直線的。女性が書くサヴァイバルは、関係性や生きる意味など、曲線的という印象です。あくまで私の印象ですが。

話は戻して、7seedsで印象に残っているセリフが、

「誰かを
まるごと 理解して
受け入れることは
なんと難しいか」7seeds

人は一人では生きられないけど、誰かと生きるのも簡単ではないことを、サバイバル本は感じさせてくれます。選択によっては命がけになったり、一期一会でもう会えないかもしれないということを感じさせてくれるのが好きなのかなと思います。

で、最初は冒険と旅なんですが、それから日常生活を作っていくんですね。

それが村つくりな訳です。リアル、シムシティ。村づくりをされている方も増えました。Dash村も村づくりの人気コンテンツです。コミューンのような動きは、ヒッピーカルチャーの頃からもありました。ダマヌールクリスチャニアは有名ですね。

最近では、パナマでカル・ヤラというコミュニティができていて、注目しています。ここは、今までのヒッピーコミューンがお金がないか、自給自足志向なのと違っていて、ビジネスして社会と関わりながら持続可能な社会することを大事にしています。今私がやっている沖縄のInahoのロールモデルの一つとして注目しています。

Inahoの広さは50万坪。東京ドームでいうと35個分くらい。約406エーカーくらいで、カル・ヤラが575エーカーなのでInahoより広いですね。

Inahoは焦らず、急がず、じっくりと毎日の生活から学びながら進めていきたいなと思っています。歩みがのんびりですが、一つ一つ物語を紡いでいきたいですね。

極限のサバイバルではありませんが、水のポンプが動かないとか小さなトラブルを日常経験しながら、生活を楽しんでいます。便利だと見えない、不便だからわかることを大事にやって行くのに、サヴァイバル本などで学んだ心構えが役に立ちそうです。

人生どこで繋がるかわからなくて楽しいですね。

Ps:
首謀者が明かす。パナマ・ジャングルの“金を生む理想郷カル・ヤラ村”の全貌と実態「みんなずっと滞在したくなる」

H:貴重な通信ですね、ありがとうございます。まずはじめに「“モダンなサステナブルタウン”、カル・ヤラとはなんなのか」、もう一度首謀者自身であるあなたの言葉でお願いします。

J:端的に言うと、カル・ヤラは“社会的・環境的責任のある街”を構築するための試み。人類が互いにとって、社会や経済、産業システムにとって、そして地球環境にとって優しい存在になれるかを実践する場所だ。今後人類は、どう地球の自然環境を保護し向上させていくか考えなければならないからね。

H:それを575エーカー(東京ドーム約50個分)の広大なジャングルでの“実践”、思い切ってますね。そもそも草案は、少年時代に没頭していたシムシティ(自分の街をつくるシミュレーションゲーム)だと聞きましたが…。

J:そう、15歳のときからかれこれ20年以上、人類文明と地球環境の共存について考えていることになる。そして、パナマのジャングルに街をつくったのが10年前。ここだったら熱帯地域だからエネルギー豊富で水も太陽光もたっぷりあるから年中エネルギー供給には困らない。作物も育てることができる。冬だからと休業する心配もないしね。それにパナマは小さな国だけど、とてもインターナショナル。街を歩けば、スペイン語に英語、中国語にヘブライ語だって聞こえてくる。多様性に寛容な国だから、グローバルが核のカル・ヤラにとってぴったりの場所さ。

H:然るべき場所にカル・ヤラは生まれた。現在、7年前から開始した教育プログラムが絶賛遂行中です。原始的な“ザ・村づくり”から、現代に必須のメディアコースまで多岐に渡っている。毎期、定員を超えるほど人気があるそうですが、一番人気は?

J:サステナブルアグリカルチャー(持続可能な農業)だね。コースでは、コンポスティング(堆肥化)の実技から、化学物質による土の肥やし方、植物のライフサイクルに至るまで土に関するすべてを学ぶことができる。それに農家の野菜がレストランへ運ばれ、消費されるまでのビジネス面もね。

以下中略

勇気

登山家、栗城さんの訃報についてタイムラインで触れられている方が多かったので興味を持ちました。少しだけ彼の行為が理解できた時、私は沖縄大学の樋口先生に教わった

ヤクーバとライオン」の絵本のことを思い出しました。読んだことがない方は、ぜひ一度読んでください。勇気とは何かを問いかけてくれる絵本です。

栗城氏が表現していたものは、私たちの社会の縮図ではないでしょうか。彼は挑戦により成功者となった。そして、成功し、居場所を見つけたゆえ死への道を歩むしかなかった。挑戦者として生きつづけなければ、注目もお金も集まらなくなってしまう。無謀なことへの挑戦をやめてしまえば、世間から忘れさられてしまう。彼はこう語っていた。

「何かに挑戦するということは、成功・失敗、勝ち・負けを超えた世界が必ずあるということです。しかし、挑戦そのものを否定してしまえば、成功も失敗も何も得ることはできません。その否定という壁を冒険の世界を通して少しでも無くし、応援し合う世界に少しでも近づきたい」。

挑戦しなければ生きている価値がないというのが、今の世の中のスタンスではないでしょうか?何かを得ない人生に意味があるのかと誰しもが思っている社会だと思うのです。私たちの社会では、彼がエベレストへの挑戦をやめるという選択肢は事実上ないように思えるのです。

エベレストへの挑戦をやめるとしたら、ほかの分野で挑戦するしかないよう宿命づけられているのです。彼にとって一番恐ろしいことは、死ぬことではなくて、挑戦を辞めることだったのではないでしょうか。

彼が書いていた、応援し合う世界。そこでは、挑戦をやめさせることは応援ではないと思われているでしょう。やらないことを選択した途端、生きがいや目標、お金、そして社会での居場所がなくなる恐れがあるのです。その恐れに比べたら、死ぬことへの恐れなんて比べ物にならないのが今の社会です。

挑戦する勇気は評価されやすし、応援しやすい。挑戦しない勇気は、評価されないし、理解されにくい。彼を批判したい訳ではなくて、彼ほど勇気がある人間でも、挑戦を止める勇気を出すことは本当に難しいことだったと思うのです。別の見方をすれば、勇気がありすぎたゆえに、死に至るまで挑戦し続けたと言えるかもしれません。

私自身も彼と同じ立場だったら、同じような道を選んでいたと思うのです。むしろ死んだほうが英雄になれると思ったかもしれません。大義や理想のために死ぬことを選ぶことは、下手な成功や何でもない人生を生きるより簡単に勇気が出せます。

挑戦が良くないといっている訳ではありません。何かを得ることが悪いことでもありません。挑戦にも次元があり、人によっては時には命をかけることよりも、普通の人生を送ることの方が挑戦だったりします。

自分の本当に恐ろしいことに向き合う勇気というものは、簡単ではなく、自分で自分を洗脳してしまいます。私も何度もそうしてきました。だからこそ、彼自身が勇者だったかどうかは関係なく、自分には彼が私と同じに見えたのです。

彼の死は、私にとって本当に恐ろしいことに立ち向かう勇気について考えるきっかけになりました。本当に恐れていることはなにか?すべてを失うかもしれないけど、勇気を出してやめることができるか?

そう考えていた時、話題になっていた日大アメフト選手の記者会見がありました。彼は勇気を出して、挑戦されたのだとおもいます。もうアメフトをやる資格がないと、青春のすべてをかけていたものを失う覚悟で。

栗城さんも、勇気ある撤退で生きて欲しかったですし、お話をしてみたかったです。ご冥福をお祈りします。

「ヤクーバとライオン」を解説した樋口先生の文章が素晴らしいので、絵本を見た後に是非ご覧ください。

◆ヤクーバとライオン トリニティアップデート