命の学校を終えて

命の学校が終わりました。2週間ごとにワクワクして通っていた講座も一区切り。大学院も含めて過去のどの授業よりも熱心に楽しく学べた学校でした。大体、話を聞いていると眠くなってしまうことが多い私としては、寝ずに3時間以上集中できていたことに自分でも驚きです。

最後の講義で、新しいことを学ぶことだけが勉強ではないことも気が付かされました。知識として知っていると、「ああそれ知っている」と思って、どこか流していました。でも、知るといっても本当に正確に概念を理解しているのか?また、腹落ちし、行動できるまで身についているかは別問題であるのに、わかったつもりになっている自分がいました。

継続的に努力してこそ身につくことをついつい忘れて、新しいことに飛びつきがちです。良いと思ったことを愚直に実行することは簡単だからこそ難しいことです。

新しい知見ももちろんありました。毎回ゲストの方のお話は、自分では絶対に話を聞くことを選択しないであろう方々が多く、自分の範囲外へと連れ出してもらえるいい機会でした。医療などは自分とは関係ないと思っていましたが、聞いてみると、愛や自尊心の実践を一番必要とされている業界かもしれません。

何しろ、怪我や病気をしている人たちにとっては、明日があるかどうかはわからない切実な問題であるからこそ、普段では見過ごされている問題に直面しやすいわけです。限りある命をどう使うかをサポートするのではなく、システムに問題がないようにサポートするのでは対応が全く違ってきます。施設にとって問題がないようにすることと、患者の幸せが両立していないのが現状でしょう。これは医療関係だけではなく、普通の会社にしてもそうです。会社のルールに合わせようとするのが普通とされていますよね。

今回の講座で話されていた方達は、今のシステム中心の世界観から、人間中心の世界観への転換へと実践している方々の話でした。現在は、システムに人間を合わせようとするからこそ、人間がおかしくなるのですね。今後の希望の光を感じた学校でした。

システムというと、映画マトリクスの世界観を彷彿とさせます。システムのエージェントになっているMrスミスのような方々が、今は評価されている時代です。二宮尊徳のように、人間性で評価されるリーダーが中心の時代にならない限り、システムは栄えても、人間はいつまでたっても幸福にはならないのでしょうね。

ありがとうの反対は当たり前。今や、お金を払えばやってもらって当たり前だと感じている私たちがいるように思います。やってもらって当然なことは何もありません。当たり前に慣れることなく、日々過ごせたら幸せなことだと思います。

より良い人間関係こそが幸福への道。命の学校は幸福の学校でもありました。次回は、お金の学校になるそうです。次もきっと知的な刺激に満ちた時間になることでしょう!

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