人に全面的な変容をもたらすには

「人に全面的な変容をもたらすには、ハンマーを使わなければならない。人を形作っている多くの部分を削り落とす必要があるからだ。人はひどい状態にあり、現状では、すべてがおかしなことになっている。それを直さなければならない。だが、人は自分の生き方にたいへん固執しているので、それを変えようとする人物、表面的に変えるのではなく核心において変えようとする人物は敬遠される。怖がられる。少数の勇気ある者だけが、グルジエフのような人物に近づいていく。たいへんな勇気が必要だ。だが、この勇気があってはじめて、人は生まれ変わることができる」

引用元: バグワン・シュリ・ラジニーシ – Wikipedia.

日常を生きていると気が付かないことが、非日常になると気が付ける。例えば、自動車事故にあう、余命を宣告される、親しい人の死等など。ショックなことがあることで目が開かれる。グルジェフは、人は目を開けたまま寝ているようなものだといった。社会の常識という催眠にかかっている。社会がそのままで問題ないのなら、目覚める必要もない。

誰もがこのままではいけないと思いつつ、その社会を支えているのは自分で、自分を見つめることが近道だとは誰も思わない。自分以外の誰かのせいだと感じている。政治家や責任ある立場の人間たちのせいで、自分たちは何も悪くないと。

多くの人は、今に満足はしていないけど、そこまで変化を求めていないのが現実だろう。楽に自然に勝手に良くなっていけばいいと思っている。だからこそ、ショックが必要になるのだが。。

誰もが夏休みの宿題を最後の日までやりたがらない。宿題の存在にすら気が付かないようにしているから、死ぬ間際になって考え出す。

「こんな人生のはずではなかった」と。

 

 

1 件のコメント

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mune

僕が自己の死を認識したのは小学6年生のときでした。

興味本位で「グロテスクなものが見てみたい」と思い、
姉に頼み込んで「バトルロワイヤル」を借りてきてもらって観たのですが、
その映画の内容は、”なにも知らない”僕にとっては衝撃的でした。
映画を見ている途中から、とてつもない恐怖を感じました。

観終った後、僕の目の前は真っ黒でした。

どうにもできない、避けられない現実を”突然”目の前にし、世界に絶望を感じました。

***

しかしながら、同時に、
今まで”当たり前”に見えていた世界が”奇跡”であるように感じました。

***

時が経つほどに”死”に対する自覚が薄らぐのは何度も経験しています。

大衆と呼ばれる存在が”日常”の中で「死」を意識することはまずないことだとも思います。

ただ、
「時の裁判所」が来る前に、少しでも多くの人に”本質”に気づくきっかけをつくっていきたいです。

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