台風の目は恐ろしいまでの無風
沖縄で何年か前の夏に、超大型台風の目に入るのを経験した。感動体験だった。台風の目は実際に入ってみると、まったくの無風状態である。雲一つない。どこまでも抜けた青空!
その中に入るまでは、ものすごい雨と風、嵐が襲ってくる。もちろん去った後も逆の方向からの強烈な雨風だ。しかし、問題の台風の中心には、まったく風のない晴天、一時の楽園にも似た場所、時間が存在する。まったく揺るぐことのない場所がある。そこに入ってしまえば、その台風をどうとでも動かせてしまう気持ちになる。
普天間の話も、北朝鮮の話も、もちろん最近よくある会社経営の危機的な話も、すべての問題の真中心には完璧無風状態の場所があると感じている。その周りが荒れ狂っているだけなのである。台風の目に入らなければ始まらない。
この意味、イメージが伝わるであろうか?
そこから受けるイメージは千差万別で、どれも正しい。
例として、一つの解釈を示す、もう少し具体例をもとに説明しよう。
結局は北朝鮮の問題や普天間の問題などは、出来レースでしかない。その問題=台風ということで例えるなら、その問題の浅い部分ばかりみていると、いかにも相当荒れている問題のように(一般には)捉えられがちだが、さらに深い部分(問題の中心)では、すでにその問題(台風)を操るためのテーブルが用意されており、そこでその問題の本質をいかに大衆にわからないようにするか、いかに本当に問題が起きているかのように見せるか、ということが決められているのだ。
事実を隠蔽するために、問題を起こすのも解決するのも上の世界ではすでに決まっていて、それを決める中心のテーブルは常に穏やかに物事が進んでいる。メディアなどで放映されている、「対立」は実は対立していない、ということがほとんどだ。
上の世界では、みんな繋がっている。
大衆はそれに踊らされているだけだ。
こういった事実を知ることで、苦しい時の助け、ヒント、きっかけにして欲しい。
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