坂本龍馬、実像と虚像
坂本龍馬がNHKの大河ドラマで放映されているため、各地で話題になっている。私も坂本龍馬は昔から大好きで、時代の例え話に明治維新や維新志士たちを取り上げて話したりしている。
では、いったい坂本龍馬とは何をやり遂げた人物なのだろうか?先日、日本の歴史を専門とする大学の教授と話をした。そのときに、明治維新の話になったのだが、以下の事実を知るに至った。
実のところ、龍馬はたいしたことをやっていない。
「いいや、大政奉還を誘導したじゃないか!」
「いいや、船中八策を書いたじゃないか!」
という声が聞こえてくるが、事実は多分に怪しいという。
ほとんどの人は、「竜馬がゆく」(著:司馬遼太郎)でのイメージでしかない。その教授はそういった著書ではなく、歴史的文献を研究しているので、一番事実に近いことを知っているのは明白だ。船中八策にいたっては、写本も原本も存在しないのである。
教授は語る。「龍馬は実のところなにもやっていない」
だとしたら、なぜこれだけ現代において龍馬が英雄的に扱われているのだろうか?
龍馬は生前より死後に有名になったのである。最初は、死後16年たって高知の新聞に小説で取り上げられたものが、挿絵の人気もあって好評を博したという。小説なのだから事実を脚色している。無論、血沸き肉躍る風に書かねば人気も出ない。
それでは、全国的に人気が広がったキッカケは何だったか?
それは誰かが意図的に創り上げられたものだとしたら?
そうしなければならない理由があるとしたら?
例えば、西郷隆盛を英雄にさせないために、龍馬を英雄に創り上げたのだとしたら?
坂本龍馬は日露戦争における日本のナポレオンと言われていた。当時、日本は大国ロシアとの戦争に恐れを抱いていた。そこでこんな事件があった。
日本海海戦の前に、皇后が夢を見た。「日本海軍は勝ちます」と侍の男が語った。宮内大臣が、「この男ですか?」と龍馬の写真を見せたら、「この方です」と言ったという。
このやり取りが新聞に載り、実際に海戦で勝利したことから、一気に龍馬は有名になった。しかし、これが事実かどうか誰もわからない。当時の宮内大臣は、土佐出身で陸援隊出身の田中光顕だった。ちなみに彼は、龍馬と一緒に事件にあい、後に死んだ中岡から事件の様子を聞いている。龍馬が人気を得るまで、賊軍の大将であった西郷隆盛の人気は圧倒的だった。龍馬が出てきたことで、人気は二分された。
結局、龍馬という人間に対する信仰、偶像を創り上げることによって、生きている人間の戦闘士気を高めたといえよう。
最近での例では、急に人気が出た白洲次郎も同じだ。彼も何もしていない。だから逆にいいのだ。好きなようにイメージを作れる。創作の余地があるほどいい。忠臣蔵もよい例だろう。
人間とはイメージの動物なのだ。イメージできれば、それは真実になる。
例えば、恐怖とは「見えない」から恐怖であり、恐怖と感じているモノが見えたら、それは悩みか何でもないモノでしかなくなる。見えないモノを想像し、イメージし、それがその人の世界の中の真実となる。
大衆には、そのイメージがウイルスのように増殖していくのである。なにかを成し遂げるのであれば、大衆にイメージさせる、もしくは自然にイメージしてしまうように、想像させることが重要だ。その思念、想念は何かしらの物質があるとしたらどうだろう。
それがウイルスのように伝搬していく。それが良いイメージだろうと、悪いイメージだろうと関係ない。利己的遺伝子論を唱えたドーキンスも、そうした概念を情報遺伝子ミームとして提唱している。そういう法則があるのだ。
だから、坂本龍馬がなにもやっていなくても、「龍馬」という言葉のイメージのみで人は判断する。自由闊達で先進的、度量が大きいというイメージを求めているから、それに合致する龍馬を支持する。
龍馬は今まで女性には人気がなかった。しかし、坂本龍馬を福山雅治が演じることによって、女性に人気がなかった龍馬像が、現在では「龍馬が好き」という女性が増えてきている。
面白いことに、それを演じた福山雅治も年配の人間には、何者なのか知られていなかった。それにも関らず、キムタクといつも人気を競っていたのだ。キムタクは年配の方にも知られていた。一方福山は年配に知られていないのにも関らず人気を競っていた。今回大河ドラマに出演したことで、若い女性に人気が出た龍馬と年配に知られるようになった福山は人気も増すであろう。
そして、この時代にNHKが龍馬をもってきたことにも、理由がある。今の日本には龍馬がイメージしているような人物、英雄が必要なのだ。日本人という民族全体を引っ張ってくれるヒーローを人々が求めている象徴なのだ。
龍馬が、実際に活動したのは何年間だろうか?
世界で一番有名人であるキリストが活動したのは何年間だろうか?
世の中を震撼させる人物、後世にずっと名が残るような人物が、本気で彼らの活動をおこなった年数は、実は5年間そこそこでしかない。
龍馬も歴史的な意味では何もしてはいないとはいえ、当時の時代魂、民族魂の間を泳ぎまくっていたのだ。だからこそ、後にストーリも作られる。そして、実際彼のような人間が千人ほど死ぬ気で動いていたから時代は動いたのである。評価は後世に任せよう。
まずは動かなくては始まらない。今こそ志士が必要だ!
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