田中角栄から小沢一郎に引継がれた魂
小沢氏の疑惑で報道が盛り上がっていた。本質を追究することなく、表面的で瑣末なことにハマっているからこの国は沈下を続けていく。これも必要なプロセスだ。表層に答えはない。ただ反応があるだけだ。
マスメディアはそれが仕事だ。大衆を愚民化することが一番の仕事なのだから、憤るほうが間違っている。そうした情報に振り回されることなく、自ら疑問を求めて行動する人に道は開かれる。
小沢氏騒動の信号は、一つの時代の終わりを象徴している。
彼は田中角栄に最も可愛がられた。その原点は、角栄の息子が5歳で夭折したことにある。小沢一郎の父も政治家だったつながりで、幼いころから角栄と出会っていた小沢氏は、角栄のなくなった息子と同じ歳で似ていたことから可愛がられたのだ。
小沢一郎も田中角栄を慕い、その政治手法は田中角栄を真似ている。彼と一体だと考えてもよい。田中角栄は偉大な人間であった。日本列島改造と称し、大胆なやり方をする一方で、細やかな気遣いを身近な人間にまでする人間味ある男だった。
ファンも多いが敵も多い。田中角栄が行った列島改造で、この国は目に見える形で変った。国土が破壊され、見えない心も変わった。それは時代の要請で必要であった。
小沢氏は不起訴になったが、時代の終わりを象徴しているから、仕事を成し遂げたのちは、やはり師の角栄と似たような結末を迎える予感がする。角栄は国土の破壊、小沢氏は国体の破壊といえるかもしれない。
角栄は、ゼネコン献金システムを作り上げた。その一方で本気で国を憂いていた小沢氏も角栄のシステムとある仕組みで力をつけ、角栄よりも選挙での大勝を得た。どぶ板選挙のプロであった角栄システムは今こそ効果があったのだ。
角栄的なものがいま集大成を迎えている。あとは崩壊するのみだ。角栄も小沢氏も本気で国を憂いている。しかし、その一面は知られることなく、大衆はわかりやすい図式を求める。
大衆は金のことばかり考えている。だから、それと関連付けると納得する。やっぱり金かと思うと理解が早い。金丸氏もそう見られて失脚した。
この世は何をするにも金がかかる。金で動く人が多いからだ。しかし、時代を作る人は金では動かない。それが空虚なものと知っているからだ。しかし、だからこそ金の使い方、重要性を心得ている。金を得るためではなく、金を使ってやりたいことがあるから金を得る。
小沢氏問題の本質は、角栄システム的な献金システムではなく、彼がいくつか潰してきた政党の資金問題だ。無くなった党にあった政党助成金はどうなったか?政党の金庫番をしていたのは小沢氏だ。政党助成金は税金である。
企業に仕事をふって献金させるより、直接税金から資金を得られる助成金のほうが、集金システムとしては進化している。角栄システムより一段進んだわけだ。間接から直接へ。これは金融でもITでも叫ばれたことだ。これ以上のシステムは望めまい。
今の政治はパワーゲームなのだから、金や権力といった力がなければ何もできない。しかしパワーを得ると叩かれる。横並びで何もしないでいたら叩かれないだろう。
疑う方は楽だ。しかも一見大義があると、大衆はそちらに流されるのだから。しかし、疑われるほうは大変だ。それはいわゆる「悪魔の証明」を考えたらすぐわかる。小沢氏に何もないといっているのではない。
資金問題を追求するより、いったい彼は何をしたいのかを考え、その行動で判断したほうが結局は皆の得であろう。瑣末的なことに拘りすぎて大局を見失う恐れがある。
自分自身の大局を見失わないよう、自分の本質を問い続けよう。
2 comments