因縁の戦い
魂の進化のために因縁は存在する。因縁との相互作用で人は進化をする。人は人によってしか磨かれないというが、どんな人でも磨かれるという訳ではない。例えば、知りもしない人から欠点を指摘されても、感情的に受け取ることはないだろう。他人からみたら、そんな風に映っているのかと冷静に受け取れる。
でも、その意見が親や兄弟、恋人、夫婦、親友からだと、途端に感情が入り、冷静に意見を受け取ることが出来なくなる。普通、全く頓珍漢な指摘であれば、「それは違うよ」と冷静に受け取れるのだが、因縁からの指摘は正しいかどうかより、その人にとって一番指摘されたくない部分を指摘してくるので、更に厄介になる。これは、良い悪いではなく、その人が傷つく部分を無意識に理解しているのだ。
だから、因縁ほど言葉に気をつけなくてはならない。言葉で、人を救うことも殺すこともできるのだ。日本は特に因縁間の殺害事件が多い。たった一言で、相手の感情に火をつけて、逆に刺し殺されたりする。傾向として、女性は言葉で、男性は暴力で表現しやすい。
言葉の暴力、肉体の暴力。どちらも愛があれば、愛のムチになるが、それには感情を制御できなくてはならない。大抵は相手を傷つけるだけだ。心に長く残る傷になるので、こうしたことは避けたいが、これこそが因縁の学びでそこから人は成長する。嫌なことだと避けていては、何も得られないのだ。
また、因縁の関係でよくあるのが、意味が分からない言動をするということだ。鳩山兄弟がいい例だ。兄と弟、肉親なのだから不利なことをしないようにするのが普通と思うが、因縁だから逆をしたりする。
今まで何度も話題を振りまいているが、今回も弟が発端で、自分の母親までまた巻き込んで、兄を傷つける。これはかなり吹っ切っている例だが、どんな人にでもこういう例はある。しかし彼らは親不孝ものだ。
ここでこんなことして、誰も得にならないのに何故こんなことをするんだろう?と思ったことはないだろうか?もうこれは普通に理解しようとしても無理だ。ストレスがたまるだけだ。
その背景には、二つの原因がある。一つは、発言した本人の魂が自分の人生に納得していないためストレスを発散している。二つ目は、相手の魂の進化のために、気づきを与えるための例。
どちらも、大抵は無意識だ。だから厄介なのだ。当事者同士も本質的な理由がわかっていないのだから、いくら議論や説明をしても解決をすることはない。また違う理由で意味が分からないことをしだす。
一見、意味がわかることでも、それは表面的な問題で、それを解決してもまた違う表面的な問題がおこるだけだ。例えば、親が子供に勉強しなさいという。子供はおとなしく勉強したと思ったら、次は部屋が汚いと言い出す。といった具合だ。どんどんあら探しをする。他人の子供と比べたりすればいくらでも問題はでる。
人を非難する前に、自分に向かうべきなのだが、それはやり方がわからないし、面倒で大変なのでそれを避け、他人のあら探しをしてしまうのが多い。先ほどの例では、子供に向かう前に親自身が自分の人生に満足をしていないことの方が重要だ。本当に子供(相手)のことを想って、愛から出た言葉であれば、子供(相手)には素直に通じる。
しかし、指摘されたことにも真摯に向かうことが大事だ。それは、言葉通りではなくて、その言葉の奥にあるメッセージを受け取れたら、自分の進化につながるヒントを得られる。
よく仕事では摩擦に向かう人は多いが、本当に人間的に学べるのは、因縁の相手なのである。仕事の相手は、ビジネスとして割り切って我慢できるからだ。
大抵の人は、因縁の相手とは諦めの関係になる。すると、一番身近な赤の他人となってしまう。因縁は、最大の味方でもあり、最大の敵でもある。
一番エネルギーを吸われる相手でもあるし、
一番エネルギーを与えてくれる相手でもある。
自分が成長すれば、相手も成長する。相手も成長すれば、自分が成長する。こうした相互作用で人は進化することが出来る。
こうした特性を理解し、魂の成長に役立ててほしい。相手が因縁だと理解するだけで、ストレスは減るだろう。
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