想いという繋がり
この世界が本当に美しいと感じたことがあるだろうか?
日常の概念から解き放たれ、素直に世界に触れたとき、自然と涙があふれるほど感動する。
なかなかそんな心境にはなれない。人間はちっぽけな存在だ。どんどん小さいほうに嵌っていく。小さく小さくまとめようとする。
それは安心したいからだ。けれども、安心なんていうものは幻想だ。ただ生きることが安心であるならば、死ぬことが最大のリスクなのであろう。しかし、人間はみな死ぬのだ。
だから、死が身近になると、自分が宇宙(大きな世界)の一部に過ぎないことを実感する。本当はこの世界は驚きと感動で満ちているはずなのに、つまらないものにしているのは自分の常識、概念なのだ。
人は感動しているとき、憎悪の感情を持つことは出来ない。いつも感動している訳にはいかないが、一度でもこの世界は素晴らしいと感動したならば、生きることに前向きになれるだろう。
どんなにビジネスが上手でも、想いがなければ空虚なだけだ。現代の価値観から見て、自分が無能だったり常識的でなかったとしても、それが活かせる方法はあるし、それが活かされる場所もある。
またそれが活かされなければ次の世代では発展しない。どんな人にでも持ち場がある。
それを作れる生態系こそが新たな国づくりの礎となる。
かえって、いま仕事ができないと思われている方が価値がある。
(堕落と諦めで仕事をしないということとはまた別の次元だが。)
今の価値観に適応している人は、次の価値観には適応しづらい。
時代が変われば、価値観も変わる。今の価値観に適応できていて、一般的に仕事ができると思われている人はそこに執着しやすい。
逆に、もっと頑張りたいのに、今の価値観に押しつぶされて、こんなはずじゃない!
と思っている人のほうが次の時代にすぐ入っていける。
純粋な想いだけを大事にしよう。そして、その想いで繋がっていこう!
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