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優しさの罪

「あの人はそういう人だからしょうがないよ」とか、
「そういう見方もあるかもね」と相手を理解し許すことは勿論大事だ。

だが、時には、厳しく向かうこともなければ、その人に対して愛がない。すべてを許していて、相手も自分も気付きがなく、お互いに成長はない。それは自分がラクしたいだけだ。

優しい人ほど、喧嘩や言い合いが嫌で許してしまう傾向がある。しかし、その優しさは自分が傷つきたくないという理由もあるだろう。喧嘩して傷つくのが嫌とか、言い合うのは疲れるとか、自分が傷つきたくなくてそうしてる場合もある。相手のためより自分のため。

全部受け入れれば良いというものではない。金持ち喧嘩せずというが、金持ちの子供が好きなだけ甘やかされた結果、どんな子供に成長するか?想像すればわかるだろう。

とかく、声が大きい人の意見が通りやすいものだ。だからこそ、人の気持ちがわかる優しい人が強くなり、毅然と立ち向かわなければならないときもあるのだ。

そして、立ち向かうには信念がいる。信念がなければ、相手に語る言葉もない。優しい人ほど謙虚な気持ちを忘れないものだ。だからこそ、そういう人が強くなり発言をしなければならないのだ。そしていつも穏やかな人が、信念を持って語るとき、芯の強さがしなやかな強さとなり心を打つ。

向かわなければ、ただ優しいだけの人には見逃した罪がある。気付いていても、相手を認める論理(言い訳)で頭を納得させ、本心を隠す。立ち向かうには勇気がいる。優しい人なら尚更だ。相手を傷つけたくない気持ちがあるのもわかる。しかし、自分が向かわなければ、相手から成長の為の機会を奪っているともいえるのだ。

出会いはご縁。ご縁を活かしきるためにも、後悔のない関係を築くほうがお互い幸せではないか?

最小単位で最大効果

革命は3人から始まるという。真剣な人間が3人いれば十分なのだ。キューバ革命でも上陸後12人からのスタートだった。その中でも中心人物は、カストロ、カストロ弟、そしてチェゲバラの3人だった。

何かをしようとするとき、人数や資金など、とかく少ないよりは多い方が素晴らしいと錯覚してしまう。企業においても、規模の拡大追求がこれまで是とされてきた.
確かに、大きいからこそできることはある。しかし、大きいから何でも出来るという訳ではない。むしろこれからは、規模の大きな組織は恐竜のように身動きがとれなくなる。
時代の変化が激しいからである。変化に対応するには大きいと不利なのだ。 我々は、最小の単位で、最大の効果を目指してる。 1万人の真剣でない人間を集めるより、一人の真剣な人間と連帯をくんだ方がよほど価値がある。
大きくなると守らなくてはならないものが増えてくる。小さければいつでも捨て身になれるのだ。失うものがない方が強い。
いざという時、
「家族のことで用事がありいけません」
「お金がないので難しいです」
「仕事の都合で・・・」
などと言い訳を始めるのが普通だ。
突然、「明日からベトナムいくぞ!」といっても、すぐにいける人間じゃないと革命などできるわけがない。
本気ではない人間は、選択を迫ればすぐにそれが透けてくる。我々は選択を迫り、本気でない人間は脱落していく。
来るもの拒まず、去る者を追わず。
しかし去ったものでも、またいつでも受け入れる。
小さくても、まるで核爆弾のような効果を生み出していくのだ。

最低でも一石三鳥を狙え

我々が普段から意識しているやり方がある。それは一つの行動で、副次的な効果を狙うということだ。

何をするにしても、ただそれをするのと、一石三鳥以上の効果を狙ってするのでは、全くその効果が違ってくる。どちらが発展するのかは言わなくてもわかるだろう。

例えば、一番わかりやすい例が「投資」だろう。ただ投資するのであれば、投資時点で終わり。あとは成功か失敗かしかない。

その先をイメージして、そこがゴールではなく、経過点として意識できるかどうかが重要だ。

最初は「投資はただの手段だ!」と言っていた人が、いつの間にか「投資で儲けることが目的」になってしまっていることは多々ある。

「儲け」を目的にしてしまうと、投資から得られるモノは必然的に限られてくる。儲けなんていうのは、ただの付加価値でしかない。その本当の価値を意識できているかどうかで、その投資のリターンは劇的に変化する。金銭的にマイナスになったとしても、それ以外の本物の価値を得ているので、絶対に失敗することがないのだ。

儲けが目的になってしまっている人は、それこそ価格の上下に一喜一憂し、すぐに魔界入りする。私から言わせれば、そこで成功しても失敗しても、人間的には常に失敗である。

投資することで特別な情報が入るとか、人間関係が広がるとか、その他にも色々な付加価値を求めていれば、副次的な効果は得られるし、それが本質だ。

これは投資に限った話ではない。あなたが行動することすべてにおいて意識することで、あなたの人生が180度変わる効力を持っている。

自分が今から行動しようとしていることには、一体どんな効果があるだろうか?

一つのことだけを目的にしてはいないだろうか。

最低でも、その行動に対して、3つ以上の付加価値がついてくるように最初は意識してみよう。

段々とこれを極めていくと、一つの行動で無限の価値を生み出せるようになる。意識することが大事だ。イメージするのだ。

「最低でも一石三鳥を狙う。」

日常に生きる人にとって、これを意識し続けることがどんなに難しいことか。これは特別な世界のテクニックだから、日常で実行することは、あなたが思っている以上に不可能なのだ。

それは、あなたの能力的に、できる、できないの問題ではなくて、普通の世界ではそれができないように成っているのだ。

だから、このブログで書いても何の支障もない。普通の世界では「できない」のだから。これを実践したいのであれば、特別な世界に踏み込むしかない。

我々はいつでも受け入れる。

特別な投資をされたい人へ

この記事は、題名通り「特別な投資をされたい人」のための記事であり、それ以外の人は誤解してしまうかもしれないが、できるだけ本質だけを読み取ってほしい。

「菩薩の仕事」でも少し触れたが、投資されたい人、つまり「資産を持たない者」へ、その極意をお教えしようと思う。

勘違いしないでほしいが、「お金を流す」ことが菩薩の仕事ではない。ここでは、「特別な投資」の話で、普通の世界の金融業界的投資の話ではない。その本質を感じ取ってほしい。

まず大前提として、お金の世界の矛盾を頭に叩き込むことが重要だ。

「資産を持つ者」は、お金など求めていない。つまり、すでにお金に興味はない。
「資産を持たない者」は、お金を求める。つまり、お金にものすごい興味がある。(気をつけるべきは、ベンチャーキャピタルやファンドなどは投資する側だが「資産を持たない者」だ。)

つまり、両者は、まったくと言っていいほど違う世界に生きており、その両者の世界では、「常識」というものが全く異なるのである。だから、「持つ者」と「持たない者」がお互いの世界の常識で話をしたとしても、かみ合うはずがない。

例えば、「持たない者」が投資をしてほしい!と考えたときに行うプレゼンなるもの。そのプレゼンは、自分が考えた事業が如何に儲かるか!を根拠をつけて説明したものである。

しかし、そんなものには何の意味もない。「持つ者」は、儲かろうが儲かるまいが知ったこっちゃない。

だから、その人がどんなに一生懸命お金が儲かるかを説明しても、興味がない。プレゼンが終わったときには、「・・・で?」という感覚しか抱かないのだ。ただ単に、「また儲け話か、つまらないな」と取られるだけだ。

プレゼンした人のほうも、「反応が薄いな、何か気に障ったかな?」と意味がわからない。ものすごい頑張って考えたプレゼンに対して、全く反応が薄いのだから。そして、プレゼンの何が悪かったのかを探そうとする。そこに正解はない。

また、「社会貢献」という言葉も一つ気をつけなければならない罠である。「社会に貢献するために!」という大義名分を持って、事業を説明してくる人が多い。

実際、本当に社会のために!と思っている人もいるのだろう。しかし、「資産を持つ者」にとって、「社会貢献」などはどうでも良く、興味がない。というよりも、本当におもしろい事業であれば、「社会貢献」などという大義名分を持ち出さなくても、それが社会貢献に繋がることを知っているのだ。だから、「社会貢献」を堂々と表に出して事業をやろうとする人が、「嘘」をついていることも知っている。(こんなことを言うと、「みんながみんなそうではない!」と反駁されそうだが、それも正しい。これは「資産を持つ者」の視点であり、それが良いか悪か、という議論に意味はない。)

では本題に入ろう。どうしたら「資産を持つ者」から特別な投資をしてもらえるのだろうか。

簡単なことだ。「資産を持つ者」が何を求めているのかをわかれば良い。間違ってもお金ではない。

だが、これが意外と難しい。「資産を持つ者」の世界は、「持たない者」の世界とは全く違うので、普通の「常識」や「概念」は通用しない。ある人間が全く違う世界の常識や概念を身につけるのは相当難しい。いや、難しいというよりも、「勇気がいる。」なぜなら、今まで自分が生きてきた常識や概念を一度ぶち壊さなければならないからだ。自分の生きてきた人生を全て否定する、と言ってもいいし、自分が今まで培ってきたもの全てを捨てる、と言い変えても良い。

それには、相当の「勇気」と「覚悟」がいる。半端に何かを身につけてしまった人のほうが、抜け出せなかったりする。

まずここで、「自分の人生を否定できない」人は、脱落するしかない。次に「自分が培ってきたことを捨てることができない」人も、脱落するしかない。一生、自分の世界だけで小さく縮こまって生きていくしかない。

そして、自分の人生の否定を行い、培ったものを捨て、常識や概念をぶち壊した人間にしかいけない領域がある。そこでは、不思議なことに、今までの自分の人生、培ってきたもの、常識や概念が全て活きてくるのだ。

一見、矛盾しているように思えるが、何の矛盾もなくそうなのだから仕方ない。

それが、私がいつも言う「特別な世界」であり、それを求めている人を繋げるのが、「菩薩の仕事」なのだ。

話を戻すと、その世界では「資産を持つ者」が求めているモノが手に取るようにわかる。普通の世界の常識や概念を超えた世界だからだ。だから、自分の常識や概念を捨てられない人に、特別な投資は100%ない!と断言する。

逆に、自分の常識や概念をぶち壊し、特別な世界の法則を掴んだ人間は、100%特別な投資がある!と断言できる。

そして、この「特別な投資」というモノが、お金だけではない、ということを言えば、少しはこの記事の本質が伝わるだろうか。

その本質がこの菩薩ブログの至るところにちりばめられている。全ては用意されているのだ。

常識や概念をぶち壊す方法もあるし、特別な世界の法則を掴んでいる人もいるし、それを実践するための「資産を持つ者」も大勢いる。

正直、みんななぜ飛び込んでこないのか、不思議でしょうがない。自分ももっと菩薩の仕事を加速して行わなければ!!

信頼の絆

最近、NHKスペシャルで自動車革命を見た。
それを見て昔を思い出した。会社辞めて、試行錯誤していた頃にアニメAKIRAに出てくる金田のバイクが欲しくて作ろうと電気自動車やバイクを調べたことがあった。当時はタカラが
実際に乗れるチョロQの電気自動車を出したころだった。

調べたら、面白そうな市場だなと感じて投資を考え、周囲の人脈から自動車関係の人たちに会って話を聞いたことがあった。

タイヤそれぞれにモーターがつけば、今の自動車とは全く違う動きが可能となること、既存の自転車が抱えている構造的問題から解放されることによるデザインの自由度のことなど興味深い話があった。

結局は、時期尚早としてやめたのだが、時代というものは早すぎても駄目だし、もちろん遅すぎても乗り遅れる。

時代を感じても、タイミングを掴まないと時流には乗れない。そのためには、人間関係が大事だ。どんな人に会って話をするかで決断に影響してくる。

いま政治の世界で、普天間基地移転問題がよく報道されている。しかし、それだけでは現実はわからない。私は先日、ある大臣の関係者に会って沖縄問題を話したり、また私が委員を務めている対米請求権事業協会の委員会では、沖縄側からしか見えない基地に対する視点を拝聴して時代の把握に努めている。

なぜ米軍は沖縄に基地を置きたがるか?一面として、教会・宗教の問題もあるという。いろんな立場の人と話をしなければ現実は見えてこない。

他にも、我々は官僚や大企業、専門家などの方の御子息を預かって一緒に働いたりしている。その親御さんたちとはご専門の裏事情の深い話もお聞きできる。これも家庭の問題解決に我々が役立っているからこそである。

政治、経済、文化、宗教といった、様々なジャンルの方々と意見交換してタイミングをみている。本当に大事な情報はネットには出てこない。リアルで会って、信頼されてこそ話せるものだからだ。

では信頼ってどうやって生まれるのだろうか?
時間をかけることか?契約書を交わすことか?

どんなに長く付き合っても信頼できない人もいれば、短時間でも信頼できる人もいる。契約書は取引の関係だから、条件付きの信頼だ。

一緒に戦争に行って、背中を任せられる相手が今いるだろうか?
また、初めて会ったとしたら、どうしたら任せられるようになるだろうか?
絆の作り方がわからなければ、これからは生きるのが大変だろう。

我々は、
自殺志願だった子が、生きる喜びを感じた!
ひきこもりが治った!
親子や夫婦関係が良くなった!
といったことをお手伝いしてきた。深く関わらなければお手伝いもできない。関係が深くなれば、自然と信頼できるものだ。

今こそ、組織や人種、国籍といった枠組みさえも超える信頼の構築が必要だ。そして因縁こそが絆の原点である。因縁の法則についても徐々に書いていきますね!

ノーベル賞の裏

ノーベル平和賞がオバマ大統領におくられた。異例の受賞だ。今までなら、業績があり、時間の試練を経た生存者だけが受賞してきた。業績もなく時間も経っていない彼になぜ賞がおくられたのだろうか?

物事には表と裏がある。そして、そのまた表と裏にも、さらに表と裏があると言われている。どんな見方も可能性の一つとして捉えることから見え方が変わってくる。

人はみな自分なりの常識、概念を持っている。
しかしそれはある見方の一面でしかない。
オバマは菩薩である。というのも一つの見方だ。

さて実は、日本人初のノーベル文学賞は三島由紀夫におくられるはずだったと聞いたらどう思うだろうか?

彼もまた菩薩だった。しかし、彼は魔境に入ったために、本来向かうべきところを間違えた。そして何でも実現できた彼は、老い、病に自分が負けることが許せなく、死さえも自分の手でコントロールしようとした。才能ある人がなぜあのような死を選んだか?
私には、菩薩が道を間違えたからだとするとすっと納得ができる。

話をもどそう。オバマ大統領に賞を与えた理由も、菩薩だと考えたら理解できる。いま彼に賞を与えることで、更に菩薩の道を邁進させようと応援してる人がいると聞いた。遅く与えては遅いかもしれないからだと。この意味がわかるだろうか?これも一つの解釈だ。

このように、たとえば菩薩という概念一つをとってみても、人それぞれ連想することが違うであろう。自分なりに、菩薩とはこういうイメージだという定義があって、世界をイメージできる。これは菩薩という概念だけに限らない。世界に対して自分なりの解釈、価値観の柱がないと、状況に振り回されるだけである。

表面だけを見ていては、物事の真相は見えてこない。人間も、心・魂・霊といったものから見ていかないと説明がつかないことが多々ある。

人は思考で生きているように見えるが、実はその奥にある無意識、霊魂といったものに動かされている。

霊=概念といってもいい。
人とは違う概念・違う見方から見たとき、多数の人は違和感を感じる。人と違うより同じでいたいからだ。それはそれでいい。何も悪いことではない。

たとえば、お金が欲しい人は好きなだけ追い求めたらいい。その人の修行だ。で、私は数多くのいわゆる成功した人や著名人に会う機会に恵まれてきた。

先日のShihoちゃん結婚式でも、数多くの方と再会したり、紹介されたりした。K1の石井館長やパソナ南部社長とは、農業の話や障がい者アートの話をした。神田うのさんのBlogにも写真が載っているよと教えてもらったが、こうしたことも今まで、多くの人に会いすぎて、いちいち書くのが大変なので、あえてあまり書かないようにしていた。

今後は相手を特定すると問題があるような会話も多いので、誰かというよりは、話の中身を書いていこうと思う。オバマ大統領の話も、会話の一部として話している。菩薩を説明する際にわかりやすいからだ。

前回書いた因縁もその一部だ。
それらを書けば、私が感じた時代というものをよりわかりやすくお伝えできるかと思う。

温かいコメントを頂きありがとうございます。
涙がでます。なぜかわからないけど、泣いているときが
一番素直になっている感じがします。
私も人間ですから、欲もあり、辛いことに負けそうになったり
目先のことに右往左往したりもします。
そんなとき、こうしたコメントの数々を思い出し、皆さんの想いと一緒に
動いていると思えば力に変わります。
志半ばで倒れた人の気持ちはどうだったのだろうか?
愛と平和のために命をかけた人たちの想いはどうなるのだろうか?
自分の大事な人々を守りたいという願い。
こうしたことを想像します。
自分はひとりではない。繋がっているんだという感覚が勇気を与えてくれます。

菩薩宣言

今も続くブッダの教えは、ある一日の悟りから始まった。
また、キリストが活動した時間はたった数年だ。
準備が宿りし心にはチャンスが訪れる。
たった一日が人生のすべてに匹敵することがある。
極めれば、一日にすべてがある。
人が変わるのに時間は必要ないのだ。たった一瞬で変わってしまう。
如来の方に沖縄でお会いしてきた。
これまで何回かお会いさせていただき、自分は菩薩だと教わってきた。
私はIT企業を創業し、サラリーマンの生涯賃金と同等の資金を
得たために引退した。それ以上稼ぐことに意味を感じなかったからだ。
それから、自分の使命や心、魂とはなんぞやと探し続け、
沖縄でその答えに出会った。
すでに時代は変わった。
これからは環境と医療福祉、農業が大きなテーマになってくる。
これらが象徴するものは、「守る」ということだ。
自然を守る、体を守るなどなど。
20世紀は攻めの時代だった。21世紀は守る時代になる。
今までカッコ良かったものが、カッコ悪くなり、
カッコ悪かったものが、カッコ良くなる。
時代の力は大きくて、例えば昔は目が細い人がモテた時代もあったように
感覚が変わってくる。
今は農業が主産業になるとは想像もつかないだろう。
石炭の時代から石油の時代へと変わったように、時代は確実に変わっていく。
人は、安心・安定を求めて行動をし、そこに成長という軸をもって
三角形を形どり動いている。成長するから安定し、成長するから安心する。
ところが、それがいつしか、やりすぎて、必要以上の成長、安定を求めだ
したからおかしくなった。
必要以上のお金を欲しがるのは餓鬼道。
求められているのは、物質的な成長から精神的な成長に変わった。
これからは、あえて、今まで表現してこなかったことを書いていこうと思う。

心の財閥

心の財閥という言葉に反応がありましたので、
少し書いてみようと思います。
現代企業は、資本構成により企業の所有権が明確になっています。
所有権の割合によって、決められることが変わって来ます。
しかし、それでは働く人や取引先、株主以外の利害関係者の存在は
どう位置づけられるのかということで、「会社は誰のものか?」と
いった論争があったかと思います。
法人も、人と同じで、企業それぞれの状況があるので、本来は
一まとめできないですが、それでは色々と不都合があるので、
法でルールを定めています。
何のためにその会社が存在するのかが不明なとき、
分かりやすい目的として利益をだすことにされがちです。
利益は栄養のようなものですから、なければ餓死してしまいます。
しかし、ただぶくぶくと太るためだけの人生では満足できないのが
人間です。体力をつけて何がしたいのか?それがなければ、
社会常識として広く信じられている価値観を満たすためだけに
生きることになります。金を儲けて、物質的に満たし、多様な
サービスを受けたいといった欲求でしょう。
それで満足する人もいるでしょうし、しない人もいます。
私はどちらが良いか悪いかを判断し扇動したいのではなく、
「ただ儲けるためでは面白くない!今生きている時代を少しでも
素晴らしい社会にしていくことに関わりたい」という志と大義のある人々が
絆を作り連帯することで幸せを感じる社会の実現可能性を高めたいのです。
人はそれぞれ違う存在で、それぞれに価値があり、お互いを認め
力によってではなく、対話によって問題から新たな可能性を見つられる
社会をみてみたいと夢想しています。
志を同じくする人々が、法によるからではなく、
自主的に連帯できたら、きっと何か面白いことができるでしょう。
信頼と絆を確認できたとき、人は幸せなのではないでしょうか。
それは人間だけに限らず、人を包む生態系とも通じる概念だと信じています。

できない?

地球環境のことを考えると絶望的になってくるだろう。
人間が永続的に暮らしていくには、大幅な変更が
予想されるができないだろうなと。
現実に解決できる方法はたくさんある。
できないのではなく、やりたくないだけ。
車を捨てられないよとか、便利な生活を
維持したいとか、そちらの感情が先にたって
やりたい気が起こらない。という人が多数では
ないだろうか。
そんな時、高校生のときにボランティアに行った
タイの山岳民族の村を思い出す。
彼らは未来を悲観して麻薬に現実逃避していた。
他に方法論を知らないし、新しい生き方を選択
することに恐怖があるためやる気が起こらな
かったのだろう。
日本の人々も、資本主義や科学という宗教に
逃避している。環境問題も実は解決方法は
あるだろう。だが、それを求めなければ
発見もしない。鶏が先か、卵が先か。
どうやったらできるか、わかったらやると
多くの人はいう。それは逃げだ。
わかろうとしていないだけなのだ。
もっというと、わかりたくないのだ。
現実に悲観することはない。
求めたら答えはやってくる。
環境問題の解決方法も、求めて行動していけば、
必ず見つかります。実際、少しずつ見えてきました。
実践していきます。