人は我欲だけでは限界がある。自分のことだけでは頑張れない。大義や人を背負うことで、自分の潜在能力が引き出される。人は人の生きざまを見て感じる。恥ずかしくない生き方とは何だろうか?美意識が問われる。
「徒然なるままに」カテゴリーアーカイブ
現代病
お気楽から菩薩道へ
想いの連鎖
閏日に雪が降る。この時期の雪というと、226事件を連想する。そして昭和11年2月29日に彼らは想い敗れた。青年将校はどんな想いで決起したか?現代のぬるま湯にいる我々にはその悲壮な想いは理解できまい。
貧困に苦しむ地方の農民のために、純粋だからこそ葛藤し行動を起こした、止むに止まれぬ想い。
それが良いとか悪いとかではない。浅はかだったかもしれないが、純粋に何とかしたいという想いに自分は感動する。
その想いは儚く消える雪のように見えて、時代を超えて伝わっていく。行動を起こすまでにどれほど思い悩んだろう。そんな葛藤がない時代の幸せと不幸。見方によっては、ダラダラとただ生きるよりは、短くても真剣に生きた分幸せだったとも言える。
自分と照らし合わせて考えてしまう。俗にいう世間の幸せの良さもわかりつつ、自分の内なる想いは何を表現したいのか?生きた証を残したいのか?子供に恥ずかしくない生き方とは何なのか?
愛する子供を残し、革命に殉じたチェゲバラの想いと青年将校たちの想いは、どこかで繋がっているように感じる。家族を想って、特攻に散った若者たち。彼らの想いを忘れてはならない。
ただ惰性で生きるのではなく、意識的な生を全うした人々を励みにし、今世を精一杯駆け抜けたい。後世に想いの連鎖を引き継げるよう、いまの時代を生きる人間の責任がある。
義をみてせざるは勇なきなり。
小さいとか大きいとか関係なく、目の前のテーマに向かう。いまを生きるにはそれしかないし、いまを真剣に生きることだけが、想いを残すことができる道なのだ。
1940年に宗教家出口王仁三郎が無期懲役の判決を受けた宗教弾圧の日でもあり、1952年アメリカにより琉球政府の設立が公布された日に記す。
無量無辺な世界
まだ弱い太陽の薄明かりの中、男が目を覚ました。一瞬、自分はどこにいるのかわからなくなるが、寒さと布団の感触で、いま自分がどこにいるか理解した。目が覚めた時、無意識からの贈り物である、夢のお告げを書き留める習慣があった、偉人の話を思い出す。さっきまで覚えていたのに、もう次の思考へと変化していて、昨夜の夢はまた無意識の中に沈んでいった。
依存からの脱藩
選択するという意識
日々誰しも何かしら選択をしている。
今の想い
何度もBlogを更新しようと書いた。でも違和感が残り公開できなかった。
国つくり
朝、太陽がのぼり生まれる。夜、太陽が沈み死ぬ。
太郎菩薩
草食男子という言葉を流行らせたananが昨年予言していたのは、
彼の深層意識は、世界の深層意識とシンクロしていたのだ。
太郎は、芸術を呪術と捉えていた。世界に呪術をかけていたのだ。その成果が熟成されて表面化されてきたのだ。渋谷に復活した、「明日の神話」も勿論その一環だ。ちなみに、11月17日に設置された。
太郎が仕掛けた、世界を変革するための呪術という仕組み。それが発動している。信号をキャッチできるよう太郎が再注目されていく。
岡本太郎は若い頃、秘密結社にて神秘体験をしている。
世界の本質を体験したのだ。
世界はすべて見えない部分にこそ真理がある。人間の心だって見えないではないか。
世界の深層意識と自分の深層意識は繋がっているんだ。自分が世界だ。自分の深い部分の葛藤を見つめれば、世界を見つめているのと同じなんだ。
一見、世界は政治家など表に出ている人間が動かしているように見える。しかし、必ず裏方の人が介在しているし、もっというと、そういう人たちも含めて、全人類にこっそりと深く影響を知らず知らずに与えている人間がいるのだ。
その一人が、間違いなく岡本太郎なのである。太郎を知ろうと知らなくても関係ないのだ。彼の残した、見えない物質が飛び回り、意識されることなく時代を創造していくのだ。