錬金術の秘密

2012年に入ってから、今まで封印してきたモノゴトを解禁しだした。情報を公開したり、自分からアクションしたりと、新たな流れを作ることを意識している。
今までは、あえて真っ向勝負でやってきた。まずは人生を賭けて一緒に戦える仲間を創ろうとしてきた。これに限らず、とにかくやり方も難しいことから挑戦してきたので、どんな問題も余裕を持ってむかえるようになった。仲間が面白い例をあげていたので紹介しよう。
「今までは、ただの紙コップを100万円で売っていたようなものですよね。でももう既に100万の価値があるコップなら、余裕で1億円で売れるくらいの実力がついたと自信がありますよ」
誤解のないようにいうが、価値のないものを伝えていたわけではなく、真に価値はあるけど、価値がわからない人にとってはただの紙コップと同じにしか捉えられないからだ。
まさに豚に真珠、猫に小判である。しかし、そうした人にさえも、価値を伝える努力をしてきたのだ。由緒書きとか保証書、血統書など、わかりやすい表面的な形式が揃っていると誰でも納得しやすい。しかし、そうしたものをなしで、人間力だけで価値を伝える努力をしてきた。
わかりやすい説明をしない、もしくはできない(真理は体験するまでわからない)ことで、真に信じるとはなにか?を追求できた。情報を与えて、それで信じるというのであれば、それはただの取引だ。取引で大事なことは、人を信頼するのではなく、その情報やモノが信頼できるか?だ。第三者機関や裁判所といった組織が保証していたら信頼できるというのは、要は情報が大事で、人は誰でもいいということだ。
その人を信用出来ないから、契約書が欲しいのだ。とことん信じたくないのだ。限定で信じたいから、限定された契約という形にして、そのことだけを信じる形を取る。契約期間が終了すれば、あとは知った事ではないということだ。
「こいつは価値あるコップではなく、紙コップを売りつけているのだろうか?」モノゴトの価値もわからないし、人も信じられないから、
「鑑定書見せろ」となる。だとすると、売る方だって、
「信じてくれない人に売りたくないな」とか、
「だったら高く売りつけてやれ」となるのが人情だ。
人の気持ちを悪用した詐欺があるから、契約や目に見える保証を欲しがる気持ちもわかる。信じるものはバカを見るということわざがある。しかし、それは途中で信じるのをやめたからだと言いたい。自分も途中で沖縄詐欺にあったのかもと悩んだものだ。しかし、詐欺にしては真剣な熱を感じたので、
「もうこうなったら信じ続けるしかない」と決めた途端に、道が見え出した。信じるものは救われる、のだ。
例え、最初は紙コップの価値だったとしても、それを特別な紙コップに出来るということも学んだ。それがわかった途端に、実はそれが紙コップなどではなくて、とてつもない聖杯だったと気がつくのだ。聖杯は一見、紙コップに見えるのだ。これが真の錬金術の秘密だ。
インチキをやろうとしても、すぐに化けの皮は剥がれる。しかし、本物の価値ある人間になれば、紙コップでさえも価値をつけられるようになる。わかりやすく言えば、レディーガガが飲んだ紙コップだとしたら、欲しがる人はたくさんいるとわかるだろう。
真の錬金術で創った価値であれば、時代を超えて残る。錬金術を表面だけ悪用して作ったモノは、消え去るか、価値がわかる人の元へと流れていく。いずれにせよ、この世に無駄なものはない。
いま住んでいる庭にある、お気に入りの苔の生えた岩。雪化粧してるのは初めて。この庭も長い間、たくさんの人の想いを入魂してきて今がある。今も変化を続けている。こうした価値がわからず、時代を超えて残るモノなど創れるわけがない。庭全部を紹介したいが、それは実際に見てのお楽しみにしておこう!

1 件のコメント

comments user
OSOS

かわらず、
blog内容が難解すぎて、
ビックリですービビりますー
体が熱くなりますー
です。
ありがとう~~
尾関菩薩!

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