人間の原点
困ったとき、迷った時、同じ問題が繰り返される時、すでに枝葉にハマっている可能性が高い。一生懸命にやればやるほど、ドツボにハマっていく。幹という原点を見逃し、枝葉に意識が行ってしまう。
今年に入ってから、キチンと向き合ってきた人間は結果も出てきたことだろう。いい調子の人も、そうではない不調な人も、今は原点を意識するときだ。更に飛躍するために、好調に戻すために、自分の原点を見つめ、深める時期だ。
どんな人間も修行の時代がなければ、飛躍はない。それは、一度やったら終わりというものではない。例え成功していたとしても、原点への意識を通して新たな気付きを得る。修行に終わりはない。感謝を忘れなければ、更なる機会に気がつける。原点を思い出せば、ヤル気が更にみなぎってくる。
今後、人間の原点を感じたいという人間が益々増えてくる。アニメ脳やバーチャル脳が増えれば増えるほど、インターネットの世界も発展する。発展すればするほど、その逆のものを求めだす。ヴァーチャルにハマればハマるほど、リアルを求める。リア充なんて言葉が生まれるのも当然だ。
仮想現実の世界は、死後の世界と同じなのだ。どちらも、自由に何でも思ったとおりに出来る。抵抗のない世界。イメージが創りだす世界。何でも実現できるからこそ、そこには実感が伴わない。マトリクスの中で、ネオが感じた違和感もそこにある。どんなにリアルに見えても、何かが違うと感じる。
どの道をたどろうとも、半端をせずに、極めれば極めるほど、本物がすぐわかるようになる。わからない、不安なのであれば、それは半端だからだ。半端に行うのが一番苦しい。トコトンやるわけでもなく、トコトンやらないわけでもない。チョコチョコと様子をみるかのようにやっても、何も見えなくて余計に自分が辛くなる。もしくは半端に見えて、誤解をして否定的にモノゴトを見てしまう。
徹底的にトコトンやるのは大変なように考えてしまう。辛そうだなとか相手に悪いなとかイメージして、ほどほどの所で自分に妥協して、自分を偽る。自己欺瞞をすると、自分以外のすべてが悪い原因となる。
引きこもるなら徹底的に引きこもるのだ。飽きるまで体験すればいい。迷惑をかけるならトコトンかけるのだ。半端な優しさは自分にも相手にも良くない。時間の無駄使いだ。我慢の限界は早く来たほうがいい。
金を稼ぎたいのならトコトンやってみる事だ。自分の限界も欲望の深さも見えてくる。言い訳などせずに、自分に正直に生きたらいい。綺麗事や良い人などやめて、摩擦を起こすのだ。摩擦を体験するために生まれてきたのだから。今の時代、そうしなければ、自然災害で嫌でも摩擦が起きるだけだ。だとしたら、トコトン摩擦を起こせばいい。
摩擦こそリアルだ。人はぶつかり合いの中でしか、真理の体験をすることはできない。慣れ合いや綺麗事の世界は、ヴァーチャルの世界にいるのと同じだ。摩擦のない世界の究極がITの世界だ。
話していて嫌になれば、接続を切ればいい。人との摩擦はゼロ。
どこの誰かもわからないのだから、やりたい放題、言いたい放題。自分との摩擦もゼロ。
露骨なのは霊の世界と一緒だ。だからこそ見えるものもある。ITが悪いと言っているのではない。
芸能人のオセロ中島氏のニュースがいい例だ。芸能界で極めたあと、突然の引きこもり。霊能者に何と言われたのだろうか?家族との縁も絶ち、家賃も払わない吹っ切りぶり。すごいことだ。なかなかできることではない。一体なぜそこまでのことができるのか?
芸能界は元々、以前にも書いたが河原者や穢多非人(えたひにん)と呼ばれる差別された人たちが担当してきた仕事だった。本来は恥ずかしい、笑いものにされてきた仕事で、決して尊敬される仕事ではなかった。そんな歴史的背景も知り、だからこそ良い影響を与えたいと自分の原点を深める。なぜこの仕事に関わったのか?自分の使命は何なのか?
深めれば深めるほど、以前のように単純な仕事として割りきって仕事が出来なくなる。芸能界の世界で極めたからこそ、その先を求めての苦悩。真剣だからこその悩みだ。真剣に人生に向き合っていなければ、適当に半端に仕事をし続けて、何の問題も報道されることなく生きる選択も出来ただろう。
だがそれで魂は納得するのか?世間で何と言われようとも、自分の魂と正直に向かい合う人間は少ない。若いのに急逝したホイットニー・ヒューストン。彼女もまた、生きることの葛藤で苦しんだ人間だ。辛い、悲しい、嫌な事のように見える苦しみこそが、魂にとっては貴重な体験なのだ。極めたからこそわかるものがある。
極めてないものには、絶対に一生理解出来ない世界がある。これから、彼女たちのような人間が益々増えてくる。だからこそ、その受け皿を作っている。人間の原点に気がつくことが出来る場所。それが沖縄であり、我々の拠点であるライラックなのだ。
沖縄で人間の原点である体を動かすことをし、汗を流す。そこから気がつくものがある。原点に戻れば、今までの経験を活かして飛躍が出来るのだ。本来この世に善悪はない。差別にも善悪とかそういう次元を超えた意味があるのだ。
パワーがあるから差別される。それについてはまたにしよう。
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