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命の学校 あおいけあ加藤忠相氏講演

田舎にいると知的刺激を受ける機会が少なくなります。気軽にセミナーなどを受けられませんからね。命の学校行ってきました。3時間眠くならずに飽きずに聞き入りましたよ。

今回は私と同じ年の加藤忠相さん。介護などの世界は程遠い世界でしたが、やられていることは、人を人として尊重するという、人として当たり前のこと。他の組織などの状態を聞くと、どうやら当たり前のことができていない世界のようです。

老人にサービスをしてあげているという態度ではなくて、一緒にどうやって地域に貢献するかを考えているのが素晴らしいです。弱点を見るのではなく、強みを活かしていく。強みを伸ばしていくと弱点も補強されていくとも。興味深いですね。

まるで会社の人事の話として聞いても勉強になります。いろいろテクニック的なことも面白かったのですが、加藤さんが想いを込めて話されているのが伝わり、目頭が暑くなるしシーンがありました。

真剣に想っていると伝わります。最後まで命をどう使うか、自分の人生も頂いたこの命を全うして死にたいものです。加藤さんの想いが聴衆に伝わったのか、講演が終わった後は挨拶しようと人が並んでいましたね。

死と真剣に向き合っているからこそ、一期一会、悔いのないように接する、真剣勝負ができているのだと感じます。

知らなかったですが、彼が話していたハンナ=アーレント

労働:消える価値のための
仕事:人の役に立つ
活動:やりたくてやる事

という分類。確かうろ覚えですがこんなだったような。

https://1000ya.isis.ne.jp/0341.html

今読むとちょっとニュアンスは違うようですが、自発的な活動が増える方がいいことには賛成です。

より良い人間関係を作るのがトップゴールというのが刺さりました。共有共感の持てるトップゴールを設定できれば、自然と人は自発的に動いていくのでしょう。自分のトップゴールは愛の実践かなと考えてました。

あと、食事の重要性にも触れられていました。きちんとした食事は生活の質を高めるし、健康にもつながります。

よく生き、よく死ぬために!

加藤さん、貴重な経験のシェアをありがとうございました。

 

人の関心に関心を持つお話

命の学校 第5回目講義

定期的に自分を見つめ直すいい機会になっている、命の学校に行ってきました。前半は、琉球大学医学部附属病院長で、大学院の教授でもある藤田先生のお話は、想像よりとてもフランクで、ユーモアがあり、スピリチュアルな感じでした。後半は、主催者の樋口先生の講義です。

藤田次郎先生の講義感想

あくまで個人の感想ですが、女性の体に例えて作られた琉球大学病院の庭の話が印象的でした。設計の意図を知らずに、余計に植樹されて、本来の意図通りではなくなっていた庭。その木を切ることで戻そうとするのではなく、本来あったカナメの木の欠損を植樹され戻したら、自然と不思議と他の余計な木が枯れてきたと。説明下手ですいません。

一部のバランスを整えれば、自然と全体も整ってくるようなお話をされていたように私は感じました。これは後に樋口先生が触れていた最も根元的で本質的な一手と通じる話だと感じました。問題ごとに対処する方法では、本質を見ないから、手を打つごとに他の問題がまた起こってくる。生態系の中で、自然も人体も社会も同じことが言えるのでしょう。

医学的な話では、ウイルスの話をされていました。同じ人間に見えても、実は違う人間ということで、沖縄だけに多い疾患、はたまた宮古島だけに多い疾患など、知らない話で勉強になりました。

その地にとどまる人、その先に行く人、同じ人間でも違う性質があることを証明しているのがウイルスと言えるんですね。港町に多いウイルスというのが面白かったですね。

医学ぽい話はあまりなかったのですが、毒を薬にするのはタイミング次第という話が印象に残っています。同じ薬でも、受け取る側の状態で効きも変わってくるのは当たり前ですね。

言葉も、毒にも薬にもなります。子供の方が言葉の意味に敏感で純粋なのも、その場に学びにきている小学生の子から学びました。一言一言、素直だから、それに対する大人も下手な言葉は言えないことを忘れてました。

樋口耕太郎先生の講義感想

根元的でかつ本質的な言葉。適切な言葉を見極めるには、樋口先生が後半で話されていたように、相手に関心を持つだけでなく、相手の関心にまで意識を向けなければわからないこと。

相手は何に興味があるのかな?例えそれがつまらないことでも、意識を向け続けることができるか?自分はそれが苦手でした。つまらない話や興味ないことだと、途端に上の空になっていました。得手すれば、早く話やめろオーラを出していましたね。

自分のことばかりで生きてきた人生ですので、後半戦は他人のためにと思って、人の関心に関心を持つ訓練をしています。

そして、それがただ関心持てばいいわけではないので、また難しいです。その関心が本物でなければ、相手に見抜かれてしまう。言葉では説明できなくても、感覚的にはわかります。雰囲気に現れますからね。

自分のいうことを聞かせるために、関心を持っても相手には響く言葉は出てこないでしょう。私に限らず、多くの人がエゴから相手を見ていると思うので、この訓練は大変です。

経営者ほど、自分を変えずに相手や環境を変えることで望む結果を得てきているものでしょう。だから経営者は孤独だというのです。相手には関心を持たず、自分には関心を持ってもらいたい。私はそういうタイプであったので良くわかります。

自然の中にいると、土や植物のことを無視して、自分の都合で動いてもうまく生きません。人を機械のようにみると、自分だけの関心になってしまうのでしょう。人も自然の一部ということを忘れがちです。

関心の話から自尊心への話へと続いて行くのですが、これはまた面白いので、興味ある方は下記のリンク先もどうぞ。しかし、ヤクーバの話は何度聞いても心打たれるなぁ。

沖縄から貧困がなくならない、本当の、本当の理由

http://politas.jp/features/14/article/616