坂本龍馬、実像と虚像

坂本龍馬がNHKの大河ドラマで放映されているため、各地で話題になっている。私も坂本龍馬は昔から大好きで、時代の例え話に明治維新や維新志士たちを取り上げて話したりしている。

では、いったい坂本龍馬とは何をやり遂げた人物なのだろうか?先日、日本の歴史を専門とする大学の教授と話をした。そのときに、明治維新の話になったのだが、以下の事実を知るに至った。

実のところ、龍馬はたいしたことをやっていない。
「いいや、大政奉還を誘導したじゃないか!」
「いいや、船中八策を書いたじゃないか!」
という声が聞こえてくるが、事実は多分に怪しいという。

ほとんどの人は、「竜馬がゆく」(著:司馬遼太郎)でのイメージでしかない。その教授はそういった著書ではなく、歴史的文献を研究しているので、一番事実に近いことを知っているのは明白だ。船中八策にいたっては、写本も原本も存在しないのである。

教授は語る。「龍馬は実のところなにもやっていない」

だとしたら、なぜこれだけ現代において龍馬が英雄的に扱われているのだろうか?

龍馬は生前より死後に有名になったのである。最初は、死後16年たって高知の新聞に小説で取り上げられたものが、挿絵の人気もあって好評を博したという。小説なのだから事実を脚色している。無論、血沸き肉躍る風に書かねば人気も出ない。

それでは、全国的に人気が広がったキッカケは何だったか?
それは誰かが意図的に創り上げられたものだとしたら?
そうしなければならない理由があるとしたら?
例えば、西郷隆盛を英雄にさせないために、龍馬を英雄に創り上げたのだとしたら?

坂本龍馬は日露戦争における日本のナポレオンと言われていた。当時、日本は大国ロシアとの戦争に恐れを抱いていた。そこでこんな事件があった。

日本海海戦の前に、皇后が夢を見た。「日本海軍は勝ちます」と侍の男が語った。宮内大臣が、「この男ですか?」と龍馬の写真を見せたら、「この方です」と言ったという。

このやり取りが新聞に載り、実際に海戦で勝利したことから、一気に龍馬は有名になった。しかし、これが事実かどうか誰もわからない。当時の宮内大臣は、土佐出身で陸援隊出身の田中光顕だった。ちなみに彼は、龍馬と一緒に事件にあい、後に死んだ中岡から事件の様子を聞いている。龍馬が人気を得るまで、賊軍の大将であった西郷隆盛の人気は圧倒的だった。龍馬が出てきたことで、人気は二分された。

結局、龍馬という人間に対する信仰、偶像を創り上げることによって、生きている人間の戦闘士気を高めたといえよう。

最近での例では、急に人気が出た白洲次郎も同じだ。彼も何もしていない。だから逆にいいのだ。好きなようにイメージを作れる。創作の余地があるほどいい。忠臣蔵もよい例だろう。

人間とはイメージの動物なのだ。イメージできれば、それは真実になる。

例えば、恐怖とは「見えない」から恐怖であり、恐怖と感じているモノが見えたら、それは悩みか何でもないモノでしかなくなる。見えないモノを想像し、イメージし、それがその人の世界の中の真実となる。

大衆には、そのイメージがウイルスのように増殖していくのである。なにかを成し遂げるのであれば、大衆にイメージさせる、もしくは自然にイメージしてしまうように、想像させることが重要だ。その思念、想念は何かしらの物質があるとしたらどうだろう。

それがウイルスのように伝搬していく。それが良いイメージだろうと、悪いイメージだろうと関係ない。利己的遺伝子論を唱えたドーキンスも、そうした概念を情報遺伝子ミームとして提唱している。そういう法則があるのだ。

だから、坂本龍馬がなにもやっていなくても、「龍馬」という言葉のイメージのみで人は判断する。自由闊達で先進的、度量が大きいというイメージを求めているから、それに合致する龍馬を支持する。

龍馬は今まで女性には人気がなかった。しかし、坂本龍馬を福山雅治が演じることによって、女性に人気がなかった龍馬像が、現在では「龍馬が好き」という女性が増えてきている。

面白いことに、それを演じた福山雅治も年配の人間には、何者なのか知られていなかった。それにも関らず、キムタクといつも人気を競っていたのだ。キムタクは年配の方にも知られていた。一方福山は年配に知られていないのにも関らず人気を競っていた。今回大河ドラマに出演したことで、若い女性に人気が出た龍馬と年配に知られるようになった福山は人気も増すであろう。

そして、この時代にNHKが龍馬をもってきたことにも、理由がある。今の日本には龍馬がイメージしているような人物、英雄が必要なのだ。日本人という民族全体を引っ張ってくれるヒーローを人々が求めている象徴なのだ。

龍馬が、実際に活動したのは何年間だろうか?
世界で一番有名人であるキリストが活動したのは何年間だろうか?

世の中を震撼させる人物、後世にずっと名が残るような人物が、本気で彼らの活動をおこなった年数は、実は5年間そこそこでしかない。

龍馬も歴史的な意味では何もしてはいないとはいえ、当時の時代魂、民族魂の間を泳ぎまくっていたのだ。だからこそ、後にストーリも作られる。そして、実際彼のような人間が千人ほど死ぬ気で動いていたから時代は動いたのである。評価は後世に任せよう。

まずは動かなくては始まらない。今こそ志士が必要だ!

台風の目は恐ろしいまでの無風

沖縄で何年か前の夏に、超大型台風の目に入るのを経験した。感動体験だった。台風の目は実際に入ってみると、まったくの無風状態である。雲一つない。どこまでも抜けた青空!

その中に入るまでは、ものすごい雨と風、嵐が襲ってくる。もちろん去った後も逆の方向からの強烈な雨風だ。しかし、問題の台風の中心には、まったく風のない晴天、一時の楽園にも似た場所、時間が存在する。まったく揺るぐことのない場所がある。そこに入ってしまえば、その台風をどうとでも動かせてしまう気持ちになる。

普天間の話も、北朝鮮の話も、もちろん最近よくある会社経営の危機的な話も、すべての問題の真中心には完璧無風状態の場所があると感じている。その周りが荒れ狂っているだけなのである。台風の目に入らなければ始まらない。

この意味、イメージが伝わるであろうか?
そこから受けるイメージは千差万別で、どれも正しい。
例として、一つの解釈を示す、もう少し具体例をもとに説明しよう。

結局は北朝鮮の問題や普天間の問題などは、出来レースでしかない。その問題=台風ということで例えるなら、その問題の浅い部分ばかりみていると、いかにも相当荒れている問題のように(一般には)捉えられがちだが、さらに深い部分(問題の中心)では、すでにその問題(台風)を操るためのテーブルが用意されており、そこでその問題の本質をいかに大衆にわからないようにするか、いかに本当に問題が起きているかのように見せるか、ということが決められているのだ。

事実を隠蔽するために、問題を起こすのも解決するのも上の世界ではすでに決まっていて、それを決める中心のテーブルは常に穏やかに物事が進んでいる。メディアなどで放映されている、「対立」は実は対立していない、ということがほとんどだ。

上の世界では、みんな繋がっている。
大衆はそれに踊らされているだけだ。

こういった事実を知ることで、苦しい時の助け、ヒント、きっかけにして欲しい。

パワースポット巡りの無意味

多くの人は、神社仏閣に行く時に御利益を期待する。エゴの為に参拝するのだ。本来は現世的な利益を期待する場所ではなく、自分と向き合うことのできる特別な場所である。

様々なつながりから、今生きて存在していることに感謝を捧げ、自分と向き合う。感謝と内観は日常でも大事であるが、特別な磁場があるからこそ、更に深いものとなる。

経営者の中にも信心深い人は多い。昨今は、パワースポットめぐりと称してパワーをもらいに行くという。

そんなパワースポット巡りが大好きな経営者や政治家から、パワースポットの案内と、沖縄の霊能者であるユタを紹介して欲しいと頼まれることが多い。それは別に構わないのだが、いつも注意をする。

「ご利益を外に求めて何かを引き寄せても、その分代償を支払うことになりますよ。パワーを得たと思ったら、知らぬ内に魂を売っていたり、悪霊を身につけてパワーと勘違いしたりします。」

そういった人たちが抱える問題への答えは、自分自身の内側に既にある。それを知るためのヒントとして霊的パワーを活用するのであれば意味がある。また、ヒントを得たとしても、助言する第三者がいないことには、自分のエゴの為にどんなパワーも悪用してしまう。

霊的なもの、神秘的なものというのは、興味深いものだ。しかしながら、霊的知識はただそれだけを探求しても、好奇心が満たされるだけでキリがない。パワースポットを周り、エネルギーを貯め、自分の殻を破っていくことが本当の目的なのに、いつの間にかパワースポットを回ること自体が目的になってしまったりする。(ほとんどの人がそうなのではないだろうか。)

結局は、感性を磨き、信号を得て、今どんな行動をするかにかかっている。ただ、それだけだ。その信号を感じるために霊的なエネルギーを使うだけ。それ自体はきっかけに過ぎない。問題を解決するのは自分自身なのだ。

霊を商売にしている人は多々いる。彼らは自分でもどこまでわかっているのかわかっていないが商売だから適当なことをいう。そうした商売に依存は危険だ。頼ることで自らの光を弱めてしまう。

本当に何でもわかるなら、その人自身が政治家や経営者にでもなればいいが、霊的な人は常識的なことが苦手だし、全部わかるわけでもない。

よく言われる例えだが、グラスに半分入った水をみて、「あと半分もある」というか、「あと半分しかない」とみるかで印象が大分変わる。同じ事象を見ても、占い師・霊能者の立場によっては全く違うことを言ったりするのだ。

見えない世界のほうがより慎重さが要求される。言葉通りでなかったり、言葉の概念が双方で違ったり、とにかくお手軽なものではない。

というものの、その人に合った段階が用意されているので、心の赴くままにして段々と深めていけばいい。当たり前かもしれないが、大成功している人ほど、陰にユタや官僚などのアドバイザーが付いている。

そして実は、神社仏閣などは堕天使と呼べるような人たちが大口寄付していたりする。映画「コンスタンティン」で大天使ガブリエルが堕天使になったように、何かに秀でている人は表裏一体の要素があるのだ。

よく私が、「善悪はない」というのは、こういうことを考えてみてもわかるだろう。

有事に生きる人と、あくせく働く人

沖縄にはすぐそこに米軍基地があり、その中はアメリカ合衆国である。

柵の外にいる日本人が、柵の中にいて優雅に芝生刈りをしているアメリカ人を見てこう思った。
「なんか自分たちは毎日毎日あくせくと朝から晩まで働いているのに、あいつらはいいよな~。しかも、彼らは自分らの税金で暮らしているわけだろ。納得いかないよな~。」と。

しかし、これは納得いくとか納得いかないとかの問題ではない。これが全てなのだ。人間は生まれる前と死んだ後は選べない。選べるのは、生まれてから死ぬまでの間だけだ。唯一、生きている間だけ選択をすることができる。

人間は生まれる場所も時代も選ぶことはできない。
「なんでこんな家に生まれてしまったのか?」などと考えるだけ無駄である。そのときその場所に生まれたのだから受け入れるしかない。また、死ぬときも選ぶことはできない。突然事故にあったり、病気になったりする。

全てをありのまま受け止め、それをどう活かすかが大事なのだ。というより、どう活かすか、しかない。

今の時代、本当にやりたいこと、自分に合っていること、自分の使命を全うしている人は、極わずかである。

今しか選択して生きることはできないのに、流れに流され生きている人がほとんどだろう。
「それは本当にやりたいことなのか?一生そのままでいいのか?」

究極は一日に全てが凝縮される。
朝、目覚めとともに生まれ、
夜、眠るときに死ぬ。

その中で自分は何ができるだろうか?本当にやりたいことはなんなのか?それを常に、考え、葛藤している人間に、流れに流されている人間が勝てるわけがない。100回人生を繰り返したって、それは真剣な人の一日に過ぎない。

柵のなかにいるアメリカ人は、有事のときに命を懸ける。だから、別に普段は優雅に過ごすことが許される。一般人が毎日あくせく働いて納めた税金で生活することができる。

有事とはどういうことか。
50年、100年に一回あるかないかの戦争。
一方は人生に一回あるかないかの大勝負に賭ける人間、
一方は毎日をつつが無く過ごすために面倒が起きないように生きている人間。

この両者が何を話し合ったとしてもわかりあえるわけがない。住んでいる世界、見ている世界が違うのだから。次元が違うと言ってもよいだろう。

一瞬の大勝負に命を懸けて魂を燃やす生き方をする人生と、日々をつつが無く過ごして毎日あくせく働く生き方をする人生。

どちらを選ぶかは、自由であり、選べるのは「今」しかないのである。

情報が出てくるときには飽和状態

世界の投資家にとって、ドバイは堅実な花形投資先であった。その逆に、北朝鮮はハイリスク・ハイリターンの投資先であった。投資とは、そのリスクの大きさによってリターンが決まってくるものだ。

しかし、昨今では投資家からのファンドに対する要望として、ローリスク・ハイリターンを求める声が多くなってきた。そんなことあり得るはずがないのに。しかし、ファンドも商売だ。口八丁手八丁の営業文句により、集められるだけ集め、後は額面割れしようが、

「預かってやってるんだから感謝しろ。自己責任だろ。」と思っているのが現実なのだ。

本来であればドバイは堅実なローリスク・ローリターンの投資先である。今までの金融工学的常識では、ポートフォリオを組んで資産を分配投資する一環で、ローリスク・ローリターンのドバイ、ハイリスク・ハイリターンの北朝鮮、の両方に投資するのが理論的に当たり前の世界であった。

しかし、今回の北朝鮮のあり得ない出来事によって、連鎖反応が起こり、堅実なドバイまでも潰れてしまった。これは、もうすでに今までの常識の投資の仕方では世界で通用しないということが証明されてしまったようなものだ。

例えば、私が尊敬するある投資家は、10年も前から風力発電に力を入れてきた。

10年前は「そんな風力発電なんかが流行るわけない!」と、散々言われてきたらしいが、今この時代になって、環境問題が取り上げられ風力発電はなくてはならないものになっている。

しかし、今から風力発電を始めようと考える人は星の数ほどいるので、今からやっても儲からない。市場はすでに飽和状態にある。投資するには、流行になってからでは、すでに遅いのである。

「これが儲かりそうだ!」
と情報が出てきたときには、そこはすでに飽和状態なのである。

ITバブルのときもそうだった。
「これからITが来そうだ!」という情報が一般に流れるようになったときには、すでにその世界は飽和状態であったのだ。

投資とは、そういうものだ。自分の目に見えるモノ、聞こえるコト、それだけを気にしたって何も始まらない。

大事なのは、時代の流れを読み、先の時代を見ること。そして、そういう世界に関わる人たちと関係を持つことなのだ。価値ある情報は人づてでしか流れない。

目に見えないモノ、そんなはずはない!と思わせるモノほど、大事なのだ。本当の投資についてもまたいずれ書こうと思う。

北朝鮮のデノミとドバイの崩壊

昨年12月の初め、北朝鮮が通貨切り下げ(デノミ)を行った。一世帯あたり15万ウォンまでしか交換できないことになり、それ以上持っていた者はすべて失った。これは、国民の隠し資産や不正蓄財の富を没収する意図もあったが、北朝鮮国民以外の世界にも衝撃を与えた。

ある日突然、日本政府が円を新円に切り替えます。100円が1円となり、30万円までしか新円に切り替えられません。となったら、皆さんはどう思うだろうか?恐らく国民と日本に投資している人は怒り狂い、政府を信用しなくなるだろう。

これを実施したのだから、失うもののない、ふっ切っている国だと改めて実感する。

今回は、以前香港で会った華僑の投資家に聞いた話を書こう。北朝鮮は2002年以降、限定的ではあるが経済自由化を導入したり、外国からの旅行客も受け入れるようになったりと、資本主義、経済自由化に向けての動きが進められてきていた。

それを見ていた世界の大投資家たちは、ここぞとばかりに北朝鮮に投資をした。北朝鮮がどん底であればあるほど、そのリターンは大きいことを知っているからだ。日本の投資家たちもどれだけ北朝鮮に投資をしただろうか?想像を絶する金額を投入しているはずだろう。

しかし、今回のデノミにより、その投資がすべてパアになった。世界中の投資家たちが度肝を抜かれた。だれも予想していなかった。

そして、これが起こる前の11月末に世界で何が起こっただろうか。そう、ドバイの破綻である。ドバイの破綻はこの北のデノミにより、起こった。という事実を知る人は少ない。

それまでは、ドバイも債務過多で失速していたとはいえ、世界中からお金が集まっていたので、乗り越えられないはずがなかった。ドバイが発展するのはどの投資家もわかりきっていたことなのだ。ドバイに投資をしていないと、
「え?ドバイに投資してないの?」と、言われるくらい堅実で、花形の投資先であった。

しかし、北のデノミにより、投資家らの投資資本がただの紙くずと化した。それにより、ドバイ債権に耐えうるはずだった資金がなくなってしまったのだ。だから、ドバイは破綻した。これも計画的だが・・・。

時間軸で見れば、ドバイショックがあり北朝鮮のデノミがあるため、関連するとしても、ドバイのせいでデノミがあったと思うだろう。しかし、実は逆なのである。世界に発表される前に、投資家にはすでに情報は流れているのだ。

当然のように世界の動きは国境を超え、すべてが繋がっている。北のデノミとドバイの破綻は世界的にみて時代の転換点ともいえるべき出来事であるが、あまり日本では取り上げられなかった。

実際に、この真実を事実として知ることができるのは、世界を創造している大投資家だけだ。

北朝鮮=閉じられた国(共産国)が、開かれたときにどれだけの莫大なリターンがあるのかを知っているのも、またそこに投資できる繋がりを持つのも、そういった人たちだけだ。

大衆には見ることができない、知ることもできない、特別な世界というものが存在しているのである。どこの世界も入ってしまえばインサイダーだけで動いているものだ。

なぜドバイショックが時代の転換点か?それは、年初にニュースとなった、世界一高いドバイタワーが開業したことを思い出してほしい。ドバイショックは開業前に起こった。これは信号である。何かに似ていないだろうか?

古代メソポタニアのバビロニアの首都バビロンにあったバベルの塔の話を思い出してほしい。

つまり、霊的に見れば、ドバイタワー=バベルの塔である。バベルの塔も、完成前に神よって言葉を混乱させられて、結局街から皆去って行った。同じようなことが起きるわけではないが、絶頂を極めた石油時代はもう終わりということだ。もっといえば、世界共通語だった、資本主義・会計・ドル・バレルといった概念がバラバラになっていくと言えるだろう。

世界共通の概念は崩壊し、世界観(コミュニティ)単位の概念が勃興してくる。想像もつかないから面白い。

さて、二度あることは三度あるというが、今まであり得なかったことが起こる時代である。
ドバイや北朝鮮で起こったことが、アメリカや日本、いわゆる先進国で絶対に起こらないとは言えないのである。

信じる信じないは自由だが、こうした見方で時代を捉えていったほうが面白いのではないだろうか?現実の世界も漫画のようなものなのだから。

運命と宿命の出会い

人生には、運命と宿命がある。自分で変えられるのが運命。変えられないのが宿命である。人生のスタート地点は宿命で決まる。アジア人とか日本人とか男か女とかである。

人生が始まり、宿命のターニングポイントがある。いつそれが起こるか?それを求めて占いも発達した。知ってもしょうがないことを求めるのが人間だ!

さてその宿命の出会いともいうべきポイントとポイントの間が運命だ。命を運ぶと書いて運命。命が宿るで宿命。言葉って面白い。

人生はあみだくじのようだ。分かれ道が必ずあって、その選択で人生は変わっていく。だから人生は自分で好きなように創造できるのだ。

人それぞれが自分の課題や体験したいことを持って生まれてきている。その中で、運命の出会い、宿命の出会いがある。この出会いはどちらだろう?などと気にしても意味がない。好奇心を満たすことより、その出会いから信号を受け取り人生に活かすことのほうが大事だ。

先日こんなことがあった。1週間以内の出来事だ。

1.道端で偶然Aさんに会った。
2.イベントを主催しているBさんからお誘いを受けた。
3.メールやニュースで占いという言葉が頻繁に目についた。

私は頻繁に偶然人に出会うことが多い。突然の連絡などもあるのだが、こうした出来事に出合った時、私はそれを信号と捉える。その時点で、その出来事を中心としたマンダラを描く。

3の時点で、1と2のマンダラを思い出し、ぱっと連想したのが占いという言葉だった。Aさんはかつて占い会社勤務だった。Bさんは占いが得意だった。それから、下記出来事が続く。

4.待ち合わせた場所の目の前に占い屋があった。
5.前から約束していた人にあったが、その人にあった時、占い師の話をされた。

といった具合で、「あ、占いのことについてBlogで書こう」と思った。信号は連鎖的で、また意味も一つではない。そうした信号を受け取り行動に変えていくと、更にシンクロが起きることがある。そうすると、その信号の理解はそれで良かったのだと感じる。

他にも、先日はふと気になって入ったお店で、10年前に行きつけだったお店の板前さんに会った。10年前にそのお店からいなくなって、その時どこにいったのかな?と思っていたら、10年後に会うとは!この信号は、10年近く前に出会った人たちから連絡がくるようになると捉えている。ここ数日昔の人からの連絡が続いたからだ。

ふとお店に入ってみたら、隣に知人や著名人がいたことも結構多い。出会いというのは不思議なものだ。私はご縁に恵まれているなといつも感謝する。

不思議なことなのだが、人のつながりがクモの巣のように絡んでくるのだ。5年ぶりに会った友人が連れてきた人の親が、沖縄に絡む官僚だった!といった具合だ。昔は気軽に人を紹介していたが、それが仕事になったり、会社になったりしたことが多かった。しかし、そういう人たちは成功しても、原点を忘れてしまう人が多かった。

「私はただ紹介しただけだ。あとは本人の頑張りだし、キッカケを作ったことは覚えていてくれればそれでいい」と思っていたが、それでは小さく利用されただけで終わってしまう。

また、キッカケの価値も軽く見ていた。0から1がなければ、その先はないのだ。宿命のキッカケだとしたら、とてつもない価値があるのだと感じるようになった。

私自身もっと大きく利用されるために、考えて紹介するようになった結果、今のいい循環が生まれるようになった。紹介が紹介を呼び、更なる発展をお互いがして、更に応援するという具合だ。

今年も益々、人の出会いが楽しみだ!

日本航空破綻に見るヒトとモノの本質

日本航空の出来事は何を意味しているだろうか?これはとても重要な信号だ。この信号が意味していることを考えてみよう。

JALは私にとっても思い入れが深い会社である。親戚、友人、知人と関係者が多数いるし、飛行機といえばJALだったのだ。

そもそも、もとは国の肝いりで作られた国策会社で、ブランド価値も高かった。テレビドラマの「スチュワーデス物語」はドラマ界の歴史に残る作品だった。最近ではCAと呼ばれているが、女性が憧れる職業になったのもこのドラマの影響が大きいだろう。

ラジオ番組の「ジェットストリーム」もとても好きな番組で、ナレーターの声と定番の音楽は耳に残り忘れられない。旅への気持を掻き立てられたものだ。

ビートルズが来日した時に着用していた、JALのロゴ付きハッピを着ている姿は何度も放映されている。

とてもブランド力のある会社だし、実際就職ランキングでも数年前まで一位だった。長年の人気企業ゆえ、優秀な人材も揃っており、数年前のJASとの合併で更に力が増すのではないかと思われていた。

そして日本の富豪のベストテンに入るであろう、投資家糸山氏が勝算もなしにあれほど投資するだろうか?誰よりもよく調べて、価値があると踏んだから投資したはずだ。

ほんの一年前まで、一般の人は誰も今の現状を予測できたものはいないだろう。

もっとも5年ほど前から、警告を発していた人もいるが、危険かもしれないがJALだから大丈夫だろうと誰もが高をくくっていたのだ。

ところが、去年くらいから、まるでタイミングを合わせたかのように映画「沈まぬ太陽」が公開され、この会社は問題なのではないか?という機運が高まった。そして、現在JALはすでに1兆円近い債務超過に陥っており、会社更生法が適用された。実質の破産。1兆円の債務超過など、幼稚園生が経営してもそこまではないだろう。

人間とはそういうものだ。ここで面白い例え話がある。
「茹で蛙」と「逃げ鼠」

■茹で蛙とは、カエルをいきなり鍋の熱湯に入れると火傷はするだろうが、必ず飛んで逃げ出す。しかし、常温の鍋にカエルを入れ、だんだんと温度を上げていくとカエルは逃げずに、茹であがって死んでしまう。

この例えは、カエル=大衆であり、水の温度=景気である。だんだんと悪化していく景気に大衆は反応することができずに死んでしまう。

■逃げ鼠とは、鼠が敵から逃げるときに、周りのネズミも一斉に逃げ出す。そして、前に走るネズミの後姿しか見えずに走り続け、前のネズミが消えたと思ったら、自分も谷底に落ちている。

この例えは、鼠=大衆であり、敵=バブルである。大衆はみんなが走る方向に走り、いつの間にかみんなで谷底に落ちている。

JALの話は、時代の転換を説明するのに根拠ある証拠であり、これほど今の日本という国、そこに安住する人間の本質を表している例えはない。

私には、一気に追い込まれた、太陽のロゴマークを付けたJALの行方と日本の行方がダブって見える。これは日本の将来を示した信号だろう。日本航空=日本国なのだ。

日本も同じように、価値があり大丈夫だと思っているけど、一気に追い込まれるだろう。株価の推移をみれば、価値なんてものは相対的なものだと否が応でもわかる。わずかの間に、200円が60円になり2円になる。お金の価値もそんなもんだ。

しかし、だからといって悲観することはない。世の中はよく出来ていて、器が備わってない場合は取り上げられて、器がある人に移っていくものだ。

芸術品が良い例だ。古代よりの価値ある資産は、長年その価値を守れる人を伝わって残ってきた。価値のないものは時代によって淘汰され、価値あるモノだけが残っていく。どんな富豪が所有していても、それは一時的に借りているのと同じだ。

必要な人が必要な時に借りられる(所有する)ようになっている。

皇居を見てみよう。今では誰も江戸城だとは思わない。徳川家の城であったことは知っているだろうが、江戸城とは呼ばないし、思いもしない。完全に天皇とイメージは一体化している。

まるで今では、天皇のために徳川家が作っておいたかのようだ。JALもJALが似合う人の手に渡るか、もしくは淘汰されることになる。

真に価値あるものだけが歴史の重みに耐えるのだ。

占いの功罪

占いが好きな人は多いだろう。古今東西、あらゆる時代で占いは活用されてきた。戦争から恋愛までその守備範囲は幅広い。かくいう私も昔から占いにご縁があって、学生時代に関係した会社は、占いコンテンツ制作会社の草分けだった。今では、占いコンテンツは儲かるとわかっているので多くの会社が制作しているが、時代に先駆けて占いコンテンツを作っていた会社だった。その会社を通して知り合った人たちは、今も様々な分野で活躍している。

何故か私は、昔から占い師や霊能者の方々を紹介されることが多く、そしてそういう人たちに私は好かれることが多い。例えば、見てもらったら普通はそれで終了だろう。しかし、のちにあなたに紹介したい人がいるからと人を紹介してくれたり、こういうことをやらないか?と奇抜な話を持ってきたり、はたまた占い師ゆえに知り得た内緒の話をしてくれたりする。

今はもう有料で占いにいこうとは全く思わない。当たるも八卦、当たらぬも八卦の世界だなと体験から理解した。占いの話は面白いけど、エンターテイメントでしかない。ゴシップと似たようなものだ。

確かに四柱推命などは統計学だから、確率的に参考になることは多い。そういう傾向にあるなと納得することはある。でもそれがわかったからといって好奇心が満たされるだけで、魂の進化や幸福とは何の関係もない。むしろ遠ざかるかもしれない。

外部の知識に判断を委ねると、自らの中にある直感を弱めてしまう。

また、言われたことに縛られて、自分でその予言を実現化してしまうこともある。不安なことほど人は気になって、不安に感じている事柄を引き寄せてしまいがちだ。予言の自己成就である。

心理セラピーとして占いを活用している人もいるから、それで救われている人もいるだろう。しかしながらそれで立ち直って人生を歩んでいく人は少ない。大抵は、益々占いにハマって人生をおかしくしたり、依存心が強くなったりする。好奇心、エンターテイメントで楽しむ程度なら良いだろう。

良くあたるという人ほど要注意である。蛇やキツネの霊が関わっているかもしれない。

それにしても、最近久しぶりにテレビである霊能者をみたが、随分と悪人顔になっていてびっくりした。彼のお陰で霊の世界もスピリチュアルと呼ばれて随分と世間の抵抗感がなくなった功績は大きい。そんな人だからこそ、魔界には気をつけないといけないのだが、それが一番難しいのだ。

成功者がその成功体験で失敗するようなものだ。

進化成長への早道は、目の前の出来事に思いを巡らし、自分の中の直感に照らし合わせて行動し、仲間に検証してもらうのが一番だ!

オウムの時代背景

過去の歴史を調べると、いつも歴史的大事件の背景には時代魂の存在が影響している。先日、六本木にてある有名なジャーナリストの方と「時代と魂」の話になった。その話を書こう。

1980年代後半、日本中がバブル経済に狂っていた。誰もが浮かれて、享楽と自信に満ちていた。多くの人間が、
「今、株を買わない者は馬鹿だ!借金しても土地を買え!こつこつ働く者は取り残される!」と。右肩上りの景気に正気を失っていた。日本中が今では考えられない程クレージーなそういう時代(サラリーマン、主婦、農家すら走った)だった。

そんな最中、真剣に
「これはおかしい!このままでは大変な事になる!日本が、未来が危ない!」
と感じる人々が必然的に現れ始めた。

世間の風潮に流されずに、
「みんな餓鬼のように金の亡者になっている。亡国となる!このままではいけない。とんでもない国になる。今、日本を変えなければ!」と感じた人たちの中で、かなりの優秀な人間たちがオウム真理教へと流れて行った。

東大を中心にトップクラスの大学の学生(事件当時はキャリア官僚まで)を始め、インテリも多かった。最初はヨガの先生の麻原であったが、ダライ・ラマなどを巧みに使ったことと、バブルという時代背景からインテリ中心の原理宗教運動が始まり、オウムは日本中が注目する勢いのある宗教団体となっていったのだ。ある意味、麻原は時代魂を持っていたのだ。

当時のオウムは、社会がバブルで金に熱狂している中で、真逆である精神的充実の世界を真剣に創ろうとしていた。それは傍から(大衆側)みたら麻原の風貌や布教活動から異様な集団であったが、マスコミ、財界、知識人も始めは、多少なりとも(バブルのお祭りに走れない人は)興味を持っていた。

勿論怪しいという見方も多々あった。それは、決定的に麻原が美的センスに欠けていたことが影響しているのではないか。麻原は目が不自由だった。今いるお洒落なオタクではなく、ダサい不潔な初期のイメージにあるオタクのようなものだ。

当時、知識層からは、今日の危険な「地下鉄サリン事件のオウム」でのイメージはもちろん無く、『インテリで精神修業などを真剣にしている特別な集団』という見方がされていた。

オウムに魅かれ、入ってくる人たちは、若いインテリ系、また女性達もたくさん入信し、可愛い子たちも大勢いた。信者が増えてきたころ、90年代に入りバブルが末期的な段階を迎え、彼らは政治の世界から世の中を変えようとした。

そして選挙。もちろん信者の票もすべて計算し、これだけの議席は必ず取れる!という予測を行い、それを上回る候補者を立てた。その選挙活動も、歌やキグルミ、アニメなど使ったオタク文化の総動員だった。よってマスコミも興味本位でこぞって取材し、ニュースなどからその選挙運動は社会現象にもなった。

その反省、もしくは政治的圧力からか、昨年の衆議院選挙で、幸福実現党は意図的にマスコミから取り上げられなかったほどだ。

そうした状況から麻原は自信満々に立候補したのだ。

しかし、結果、一人も当選しなかった。前回の衆議院選挙の「幸福の科学」と同じだ。代表一人も当選出来ない事実。彼らにしてみたら、岩より堅い「信者の票」が消えたのである。
まったく想定外の結果。あり得ない結果。

彼らは選挙から堂々とソフト革命を起こそうとした。しかし、なにものか(国家システム)によって、阻止されたと考えた。国家権力によりこの日本を変えることを拒まれたのだ、と。

選挙後、彼らは沖縄へ行った。沖縄にきて、最高幹部会を行い、特別幹部合宿を行った。

そこから彼らは劇的に変わった。日本という国は、もう手遅れになりつつある。生易しいソフト革命では変えられない局面まできていると確信した。自分達はまだ魂が未熟であると。

沖縄で何らかの、信号(啓示?)を麻原は受け取ったのであろう。しかし、向かったのはあの悲惨な全面戦争!攻撃は化学兵器「サリン」でターゲットは国家の中心、国会~霞ヶ関である。更に言うと、首都圏全体に散布しようとしていた可能性もあるのだ。

「サリン」は国家にとって、この世には存在しない事にしたはずの物質(第二次大戦での秘密化学兵器)であった。「存在しない」のだから、法律等(医学的にも)の対応も出来ていなかった。地下鉄サリン事件が起こった(直前の情報でも)時、国家はそれを真剣に恐れたのだ。

その物質が最初に開発されたのは、ナチス・ドイツ軍であった。ナチスでも結局使用しなかった毒ガスを世界で初めて使ったのだ。(余談だが、ナチスの英雄ヒトラーの妻の名は「エヴァ」である。)他にも、人類が作った化学物質の中で最も毒性の強い物質といわれるVXガスなども世界初で使用した。

ただでさえ作るのが難しい毒ガスを、オウムの信者達は創りあげ、実際に使用してしまったのだ。

まるで破壊神であるシヴァ神のようだ。怒りと破壊のエネルギーを国家に向けて、霊(パワー)が降りてきた証明でもあった。

麻原彰晃は沖縄で幹部に宣言したのだ。
「もうこの日本を変えるには、破壊しなければいけない!シヴァ神が降りてきたんだ」と…
この啓示、沖縄で受け取った啓示はなんだったのか?何故沖縄だったのか?何故今でも沖縄は基地問題等でニュースの中心なのか?

そして、あの歴史的悲惨なテロ、霞ヶ関地下鉄サリン事件が起こってしまったのであった。

今、日本はバブルから20年が過ぎ、いまだに政治経済も後遺症に悩んでいる。しかし、彼らの方向性(一番大事だが)が間違っていなければ、その情熱を社会のために貢献でき、ある意味、今の日本はもっと精神的に豊かな国になっていたのかもしれない。

少なくとも、あれだけのことを実行出来る(911テロも同じ)ほどの熱意と能力が別方面に活かされていたら社会にとっても・・・。

客観的に歴史をみると、新世紀の前には破壊が必要だ(スクラップ&ビルト)。まるで、その役割を担っていたかのようなテロ行為。

戦争行為は人間最大級の悲劇で、原爆のように人の心に長く残る。いつの時代も破壊のエネルギーは地獄の世界そのものである。私達は過去のあらゆる犠牲者の念の為にも、時代を考え真剣に生きていかねばならない。

オウムから始まった日本の崩壊が、いよいよ現象化しだしてきた。日本航空はその象徴だ。また詳しくこれについては書こう。

さて‥新年は坂本龍馬のドラマが話題。彼の時代は幕末から明治維新。シンクロするように、まさに現代も幕末のような雰囲気だ。時代が劇的変革を求めている。時代魂に注目しよう!

あやまちを繰り返さない為に今こそ冷静に、過去の事件と歴史から罪と罰を切りはなし、時代背景をしっかりと受け止めなければならないと思い、オウム真理教の事件を挙げた。いつも歴史から学ぼう!この出来事から学ぶことはたくさんある。
未来の人類、地球のために。

The way of every day and a bodhisattva