輩
沖縄のホテルで食事も兼ねて打ち合わせをしていた時のことである。元大臣が後からやってきて、近くのテーブル席に座った。最初はこちらに気がついていなかったが、気付いた途端に気まずそうな顔となり、席を移動していった。
気を使ってくれたのだろうが、ちょっと寂しくなる。逆に親しげに来られて辟易する人もいるが・・。
仕事柄、人には多く会うが、中には、輩(やから)も多くいる。
「輩」とは、人を利用することで自分の価値を高める人間のことだ。例えば、誰それを知っているとか、仲が良いとか、こんな情報があるよ、と話す感じだ。
一回会って写真を撮っただけで、「自分はこの人と特別な仲だ。」と言って他人から見た自分の価値を上げる手法をよく使う。大衆も行為は似ているが輩は確実に利益を狙う。
別にこれが悪いといっているわけではないが、「諸刃の剣」となることが多い。
これはいわばゴシップ記事を話しているだけのようなものだ。最初は相手も面白いかも知れないが、最後はそれでどうしたの?となるのが関の山だ。
輩はそういった手法で金を稼ごうとするが、結局大した額は稼げない。もっと稼ぎたいなら、小さく利用しないで大きく利用すべきだ。
ゴシップ話をしているだけでも、快感現象で面白いかも知れないが、その人の価値は上がらない。
間に入って自分の存在を高めるよりも、直接つないだほうが、皆でHappyになる。
だが、繋いだら自分の存在価値がなくなるのではないかという、深層意識の不安から無意識に人を繋げることを避ける。
今のご時世、恩を忘れる人が多い世の中だから無理もないと思うかもしれないが、本人はそれを意識しているわけではない。輩は、無意識に金の匂いに敏感なのだ。
金しか信じていないから、人も自分も信じられないのだ。しかし本来、輩だからこそ、時代の変化に敏感に気づくことも多い。
誰よりも先に、美味しそうな匂いがするところに集まれば、それだけ美味しい思いができることを知っているのだ。
しかし、輩には限界がある。結局それで運よく成功しても知れている。金額的には5億くらいが関の山であろう(私の知る何人かの方々参考)。しかも、金しか信じていないから金を失うことを極端に恐れる。
だから、いくら稼いだとしても満足できない。
そして、いつの間にか結局金を失う。
どうしたら自分が満足するのか?と根源的な問いを考えるよりも、金を無くさないで増やすにはどうしたらよいか?ばかり考えるようになる。いつも不安なので、何かしらの取引をして、魂を売り渡し魔界に落ちていく・・・。
本物の成功者(菩薩の道を極めた者)は、愛で世界を創る。その世界に生きる人間は愛に包まれているので、自分の特性を活かした能力をフルに発揮することができる。そうすることによって、一般的に言われる経済循環なるものが活性化する。
別にそれを狙っていなくても自然とお金が集まるようになる。
特別な世界には何の矛盾もない。
一例を挙げるとすれば、輩は「人を利用して自分の価値を高める」が、菩薩の道では「自分を利用して人の価値を高める」のだ。人を信じなければそれはできない。また裏切られる痛みにも耐えなければならない。だから、いつも心が痛い。
しかし、それで人が喜んでくれるのなら、この心の痛みも耐えられる。そして、何よりそれを理解してくれるたくさんの仲間達がいるから突き進んでいける。
輩は一人だ。
しかし、菩薩にはいつも多くの仲間達が存在する。
とても単純でわかりやすい。
良い悪いではなく、時代に先駆ける人は、どちらにせよ山師的要素を併せ持つものだ。
だとしたら、それを活かして自分を輝かせてほしい。
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