猫寺-祐天寺庵
猫寺を開けてから1年以上経過した。この間にどんどん猫の時代がやってきた。そもそも、私は猫アレルギーだったのだが、猫寺を始めてから猫アレルギーが治ってしまった。
しかし、猫アレルギーだった私がなぜ猫寺をやったか?それは時代だからである。これからは、猫に象徴される時代となっていくのだ。
猫は古来エジプトの時代より神聖視されてきた。人間に一番近い霊的動物として、人間のそばに存在していた。映画「コンスタンティン」でも、猫の目から霊界に入っていく。
ちなみに沖縄に猫の文化というものがあり、そこでもやはり猫が象徴するものは霊なのだ。
大体、猫はよく何もいない空間を見つめていることがある。霊が見えるのだろう。何を見てるのかなと不審に思った飼い主は多いに違いない。
また、よく猫と女性は似ているいう言い方もする。自由気ままで、媚びない様子のほかに、霊感が鋭いという意味もある。
これからは、「霊と女性の時代」なのである。もう時代は、予想を越えたスピードでまっしぐらに進んでいる。
以前に、20世紀は攻めの時代、21世紀は守りの時代といったが、守るのは女性が得意分野であるのは疑いもない。
こうしたテーマのほかに、猫寺では修行も行っている。沖縄で修業した方が、更に深めるために修行しているのだ。仏像を彫ったり、絵を描いたり、写経をしたりと幅広い。ちなみに、猫寺での仏像作りの修業を入れたあたりから仏像ブームがやって来た。それまでは仏像描く人がいた程度だった。ほとんどの人が猫寺で仏像彫りは初めてだった。
猫寺ではアート的な修業が中心だが、こうして真剣で神聖な空気を維持するようにしているからこそ、ここでは普段と違う深い話をすることができる。
私は、深く内面の話や時代の話をしたいときは、ここで会うようにしている。ここでなら、お互いに心の壁が取り払われ、余計な説明が少なくて済むのだ。
多くの著名人が猫寺を訪れている。それもあって、猫寺は完全予約制として運営しているのだ。完璧にプライバシーは守られる。ここは現代の志士が集まる、池田屋・寺田屋のようなものなのだ。ビットバレーの時の同様に、やはり自分自身は魂が来るべき時代を受け取り、未来に橋を架け続けたいと思う。
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