ニッチな世界の時代

正直かなり驚いている。コメントの質が高すぎて、私の代わりに菩薩Blogを書いてもらいたいくらいだ。

このブログでテーマにしている話は、普通の世間では怪しがられる類いの話だ。こうした話題を出来る相手がいることは幸せなことだ。ましてや、何人かは深いコメントを頂いたのだからなおのことだ。コメントをしてくれた方々、本当に有り難う。心から感謝する。
映画「悪霊喰」は、日本語の題名ではホラーを意識していて、内容と違和感を感じるのではないだろうか。我々の世界では、日常で悪霊という言葉が飛び交うので、まさに!というタイトルなのだが、ドイツ版の「The Sin Eater」のほうがシックリくるかもしれない。
この題名も二転三転してやっと決まった題名だ。この映画は、エクソシストのときもそうであったように、関係者が謎の事件や事故に巻き込まれている。一説によると、スタッフの二割が何らかの事故にあったという。そして、最終的には主演であったヒースレジャーも死去している。ポストブラッドピットと呼ばれ、オーストラリアのヒーローであった天才俳優が、事故なのか自殺なのかよくわからない形で亡くなっている。彼はどんなに疲れていても二時間ほどしか眠れず、不眠症に悩まされていた。まさに映画の中でSin Eaterは「他人の罪で眠れなくなる」とされていたことと一致する。
劇場公開もミレニアムに合わせて公開する予定が、事件や事故のせいで5回も公開延期になっている。最終的に映画シーズンを外して公開したのだが、そのような悪条件においてもヒットした映画なのだ。しかしそれでも知らない人は多い。
宣伝では、
「エクソシスト」「スティグマータ」そして、「悪霊喰」。
信じることさえタブーとされる三つの存在、最終章。
とある。最終章と言い切っているのだから興味深いだろう。
この映画は、実話をもとにしているとしたらどうだろう?
いまや、バチカンもエクソシストが足りないとして、堂々とエクソシスト養成の学校を開校している。この映画は、そのエクソシストを超える秘密を公開してしまえと作られた映画なのだ。その世界を知っている人間が、こうした映画を作ろうと実行できるところに凄みがある。こうした裏の世界を求めている人間が実はかなりいるのだ。興行的にも成り立っているところが面白い。演歌の世界と似ている。ニッチなファンがいるのだ。
何度も繰り返して見る価値のある映画だ。その度ごとに学びがあるだろう。
世界観を共有できる仲間のコミュニティが時代を作っていくようになる。
我々の世界では、映画の中の登場人物に周囲の人物を当てはめて理解している。すると、その人間の役割や性質がよく見えてくるのだ。知識だけを追い求めがちな彼はドミニクだなといった具合だ。しかし普通の世界では、この映画に出てくるような人物に例えられるほど、キャラクターの濃い人間は少ない。
我々の世界では、キャラクターの濃い人間も多いが、一見普通の人間もいる。どんな人間にも役がある。無駄な人間などはいない。普通ぽい人やいわゆる世間的な出来る人ではなくとも、熱い志や愛がある。そうした人間は天使なのだ。
このBlogを読んでいる人は観客だ。しかしながら、その気にさえなれば、舞台に上がり出演者となることも出来る。どの道を選ぶのも本人次第である。
次回はいよいよ本編の話に入っていく。私が書く解釈だけが唯一の正解というわけではない。時と場合によって解釈も変わるし、その人にとっての理解が一番のヒントになる。あまり正解不正解に拘らずに楽しんでほしい。
さぁ、その前にもう一度「悪霊喰」を見てみよう!

2 comments

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Azuma

再考。
死にたいイーデン、教皇になりたいドリスコル、
神秘的な知識の探求のために資力が欲しかったドミニク、この3人の
私欲的な利害が一致して、アレックスとマーラの生涯は画策された。
そう考えると、アレックスを Sin Eaterにするために、
利用されたマーラは天使?‥イヴ?
アレックスはやはり菩薩。
友達と称し近付いてくる、弱みや欲望に付け込んでくるあたり、
イーデンは悪霊(輩)であり、アレックスの因縁か?
ドリスコルも悪霊。
ドミニクは‥如来???
少年と少女の霊は、アレックスとマーラに対する
ドミニクの罪の意識が呼び起こしたものだと思う。
当ブログ引用、
「本物の成功者(菩薩の道を極めた者)は、愛で世界を創る。」
映画冒頭、アレックスの言葉、
「人生は謎。だが、私にとって答えは闇からもたらされる。」
これらのことから、愛の死んだ世界を生きる Sin Eaterという任務は、
アレックスにとって、好奇心が禍となりもたらした魔界とも考えられる。
ただ、 Sin Eaterという任務は、原子力と同じように、
それ自体は巨大な力に過ぎず、全ての結果は使いように依存する。
事実、イーデンは富の蓄積のために力を使った。
そして、アレックスは、力を持つ者としての自覚と責任を持ち、
イーデンとは違った姿を予期させるような描写がなされている。
それに向かい続けること、
己という「人間」が試されることが、菩薩道なのか。

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ドミニク

「悪霊喰」二回目拝見しました。この映画を観て感じたことは、素直に話すことがどれだけ大切かということです。素直に話すことはとても勇気が要ります。
私自身、先日ある出来事がきっかけで素直の大切さに気付くことができました。しかし、ここ数カ月のうちに起きた出来事から自分が次にどのような一歩を踏み出したらいいのかわかりません。
映画を観ているときは疲れ果てていたからだが少し楽になったような気がします。ただ話を聞いてくれる人が欲しかったんだと思います。

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