出会いと別れ

「出会いの数だけ別れは増える」とミスチルが歌っていた。

 我々の場合、別れる理由はただ一つ。
「信じる」か、「信じない」かしかない。
 信じることや、人に向かう事の本質は、自分との戦いである。
周りに何を言われても、一度信じたことをつき通せるか?
感じたことを相手に問い続けられるか?
テンションが高い時にはそれは簡単だ。
気分が落ちている時こそ、自分との戦いがやってくる。
 今やらねばと感じているのに、
「ああ、疲れたから怠けたい」とさぼるか、
「よっしゃー、今こそ自分を超える時だ!」と燃えるか、自分次第だ。
 人は人で磨かれるが、相手と自分、お互いが高い視点で向き合えることは少ない。
高い視点を維持するのは大変だ。それに引き換え、低い視点は勝手にほおっておけばそうなる。
すると、低い視点の人間は、高い視点の人間を無意識に引っ張って落とそうとする。自覚がないのが厄介だ。自分と戦って相手に向かうのではなく、
自分から逃げて、相手の粗探しをする。
 例えばこんな感じだ。
意識が高いAと、意識が低いBがいたとする。
AはBに「Bさん、あなたは怠けぐせがあるよ。自分に向かうことが大事だよ」と説明し、Bもそれに納得をして信じて努力する。
時間が経ち、また怠け始めた時、ことの経緯を知らないCにBはこう言われた。「Bは頑張っているよ。Aって普通じゃないし、極端なこと言うよね」。BはCの言葉が心地よいために、そのとおりだと考えて、Aに不満を持つ。そして、Aに対して、「Aは普通じゃないよ。極端すぎるよ。あなたがおかしいのだ。私は正しい」と攻撃する。
それに対して、Aは相手のために戦う。そしてまた、Bは納得し、謝罪する。そしてCは決して騒動の責任を取らない。
 意識がある人間は、意識が低い人間を意識が高い状態へと引っ張り上げようと努力する。相手も気づいたら謝罪し、感謝する。でも人は戻りやすい。一時的に意識が高くなっても、努力しなければすぐにまた元に戻る。それを繰り返して、徐々に意識が上がっていく。しかし、努力し続けることが嫌になり逃げる人もいる。
 高い意識へと引っ張る方は大変な仕事なのだ。そのことへの感謝を忘れて、教えてもらったほうが、教え方が悪いと文句をつける。教える方は何度でも伝えるが、本人が学ぶ気にならなければどうしようもない。学ぶ気がなければ、意識の引っ張り合いを何度も繰り返すことになる。
一体、何度繰り返せばいいのか?
相手が逃げる場合はそこで終わるが、因縁の場合はそう簡単ではない。
成長したい気持ちと、ただ相手に構ってもらいたい気持ちが混じり合っていると、問題を起こすことで構ってもらうパターンを創りだす。これでは相手も自分も疲労して、お互いに落ちて行ってしまう。
 トコトンまでやったとAが納得できるまでやった上で、まだBが同じ事を繰り返すようなら、敢えて別れを選択しなければならない。この世は有限なのだ。自分の今の力では限界だと感じたならば、一度別れることでわかることがある。離れて、失って、初めて気づくことがあるのだ。
悲しいし、切ないが、お互いのために別れが必要な時期もある。
真剣に目の前の人に向き合っていくことで、次の出会いのレベルが変わってくる。こうして、出会いと別れを通して、人は螺旋状に進化していくのだ。

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