原点想起
ある時、ひたすら自分を見つめていた時があった。答えの無い自分を見つめる作業はとても辛くて逃げ出したくてたまらなかった。それでも必死に内省を続けていると、感謝が足りなかった自分が見えて来た。今まで周りの人のお陰でここまで来れた事を当たり前と捉えている自分がいた。感謝が出来たからといって、そこで終わりではない。
それでも内省を続けていると、今度はすぐに飽きてしまう自分に気がついた。事業がわかりやすいが、軌道に乗ってきて、さーこれからという時になると、途端に興味を無くしてしまうのだ。ある程度で満足してしまう癖。トコトンを追求できなかった自分がいた。半端な自分。
追いつめられていると力を発揮するが、追いつめられていないと途端に怠けてしまう。他にも、嫌な事から逃げて来た自分もいた。楽な方へと逃げて、そうした自分に合う言葉ばかり、心に入れて、「しょうがない」「そんなものだ」「その方が良いんだ」と逃げて来た。
そんな自分を卒業しようと、目の前の事から逃げずに向かって来た。向かう喜びも覚え、仲間も出来て軌道にのって来た。そんな今だからこそ、原点を思い出す時なんだと信号を受けた。
新しい展開も見えて、本来なら更に飛躍する時だ。かつての自分はそんな時に一歩引いてしまう癖があった。最近、沖縄に関わり始めた時と同じような事をしていた。御嶽を巡り、なぜ沖縄に関わったかと改めて考えた。
最初の動機は目の前の人間を助けたいだった。沖縄の為に必死になっている人間を支援したい気持ちから始まり、応援していくうちに、それが自分の為でもあることに気がついた。弱者救済をしたいと思っていた気持ちと沖縄の現状が繋がり、自分の人生のテーマとなっていった。
御嶽巡りをしていたとき、とても珍しいセミの脱皮に出会った。
「生まれ変わった信号なのかもしれないな」と実感もないままに考えた。これからはまた違うモチベーションで仕事を行っていくことになると感じている。
なぜか最近は昔の友人知人と偶然あったり連絡が来たりしている。これまで沖縄で磨いて来た成果を伝えるべき時期に来たのかもしれない。
人生のテーマを見つけてる人は幸せだ。大半はそれがわからずに右往左往している。しかし、テーマがわかっている人でもそこから逃げてしまう人もいる。やらないことで損はないはずなのに、なぜか躊躇してしまう。その気持ちはよくわかる。
結果がわかるのが怖かったり、今までの自分に執着があったり、吹っ切れない理由は自分では気がつきにくい。なんかモヤモヤして、映画や浮き世ごとに逃げていた自分を思い出す。
若さも金も時間もあって、人からは羨ましいと言われる状態であった時こそ、
「なんか面白い事ないかな」が口癖だった。
生まれ変わったのかどうかはまだわからない。それは行動して証明していくしかない。チャンスの時こそピンチでもある。このチャンスを活かす為に、原点を見つめて、その時の気持ちを胸に向かっていく。
行動して初めて、生まれ変わった実感が湧くのだ。体感するまではわからない。新たな自分を体験するのが楽しみでもある。かつて内省していたときには答えが見つからなかった。これからの挑戦で見えてくるのではないかと感じている。
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