九死に一生

九死に一生を得た。ひょっとしたら、前回の記事が最後の記事になるところだった。人生何が起こるかわからない。死ぬときはあっけないほど簡単に死んでしまう。何の予感もなく。

生れて育つには、時間と労力、資源がいる。死ぬのに時間も労力も資源もいらない。作るのは大変だが、壊すのは簡単だ。
死を目前に感じた時、とてつもない恐怖を感じ、心に葛藤が起きた。死は眠りと同じだと頭で理解したことなんて吹き飛んでしまう。ただ天の助けにすがりたくなる。少しだけ死が先延ばしになり、助かるかもと感じたら、途端に自分中心のエゴの考えが浮かんでくる。
自分との闘い。追い込まれて心の強さが試される。自分は弱い人間だ。焦りや動揺を表面的には隠せたとしても、心はすべて知っている。自分自身の弱さと向き合い見えたことがある。一人だけでは超えられない困難もある。
助かった今だからこそ言えるが、貴重な体験をした。いざというとき、人間にできることは少ないが、それでも出来ることはある。必死に生きた分だけ天はその想いに応えるのだと感じた。
生きているだけで感謝だ。これからはおまけの人生。死んでいたらなかった人生。であるならば、些末なことに思い煩うことなく、思い切り生きるのみ。
死んでしまえばすべて無だ。だからこそ生きているうちに思い切りやるのだ。
先日アメリカで、乱射事件で九死に一生を得た後に、再度乱射事件に会って亡くなった方がいるというニュースを見た。一度助かったからと言って、次も助かるとは限らない。
本当に人生は何が起こるかわからない。
奇跡としかいいようがない体験をし、計り知れない見えない働きを感じた。
感謝とともに精一杯生きるのみである。厳しい自然を身近に感じる環境にいる人は、そうした活かされているという感覚を肌で感じているのだろう。
今回の経験では大きな愛に守られて、
思い切り生きるように!
決まっていることなど何もない!
無駄なことは何一つない!
本当に大事なことは何か?
真剣か?

と、問いかけられ、励まされたように感じた。

人生一度きり。死んでしまえば残らないようなものに一喜一憂するのではなく、本当に大事なことに注力する人生でありたいと改めて原点を再確認させられた。
そして、危機の時にこそ頼りになる仲間、体験を共有共感できる仲間の価値も、再度認識し、沖縄に出会ってからやってきたことが何一つ無駄ではなかったと誇りを持って言える。人生の幸せは自分の周囲の人間によって影響される。その環境を選び、作るのもまた自分なのだ。
波瀾万丈の人生を自分は求めているから、こうした体験ができるのだろう。天の演出には驚かされるばかりだ。映画のような体験を求めている人にはおススメの環境だ(笑)あー生きてて良かった!!!

1 件のコメント

comments user
sei

凄く伝わってきました。最高の記事ですね‼
先日、話を聞いた時には、様々な事を感じた中で胸の高鳴りもありました。
ほんと映画の主人公だなって思います。恐怖も感じますが、同時にワクワクしています。
あー‼っ感じです笑

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