悪役の存在意義
北朝鮮が話題を振りまいている。恐らくほとんどの日本人は危ない独裁後進国家という視点で北朝鮮を捉えているだろう。別にそれを否定するつもりもない。確かにそう見える。良い悪いを言いたいのではない。ただ、その視点でかつて日本が見られていたかも知れないと、北朝鮮を見ることで我が身を振り返ってみたらどうだろうか?
大日本帝国の3代目である昭和天皇は、25歳で最高権力者になった。同じ3代目の金正恩よりも若いくらいだ。まぁほぼ同世代で、カリスマ化もかつての天皇を真似ている。大日本帝国の日本は、今の北朝鮮より国力もあったわけだから、さらに恐ろしかっただろう。
大日本帝国も自衛のためにとアジアのためにという大義で戦ったように、北朝鮮も自衛と民族統一という大義で戦っている。北朝鮮にとっても、韓国にとっても、周辺国にとっても、実は膠着状態が続いていてくれたほうが良かったから、こんなにも長い間体制が維持されてきた。元々は大日本帝国の領土であったことを忘れてはならない。因縁付けしてしまったのだ。関係ないことはない。
世代が変わるということは、過去の経験がリセットされることでもある。また、因縁は繰り返すのは、個人でも民族でも同じ事がある。繰り返すといっても、必ずしも同じ事が繰り返されるわけではない。攻撃側が守勢側に回ったり、男が女になったりと、逆のことを魂が体験することもある。もし、自分が相手の立場だったらと想いを馳せるだけで二倍学べる。
日々連続しているから、いつから流れが変わったのかはわかりにくい。振り返ってみたら、あのへんからおかしかったとか、あとからしかわからないから面白いのだ。
人によっては、世界は平成7年7月7日から変わったという見方もある。日本は世界の最先端を走っている。世界の実験場でもある。原爆も原発も高齢化社会も、そして0金利も。日本のあり方が世界に考える材料を提供できるのだ。沖縄問題は少数派をどう扱うかというテーマだ。中国のチベット問題に対して、提案するのと同じなのだ。
これからどんな社会を築きたいのか?量を追求することだけではなく、どのような質を目指すのか?世代間のギャップをどうやって埋めていくのか?世界にどう貢献していくのか?我々はそれだけの資質があることを誇りに持ちながらも、世界の中の一員としての自覚を持つべきではないだろうか。
ある意味、北朝鮮は悪役という自己犠牲をしてくれているとも言える。天使とも言える。悪役がいなければ学びは少ない。でも本当は悪などないのだ。理性を持って冷静に見た時、相手に振り回されることなく、相手のウワテをとれるのだ。そうして導いてゆくのが菩薩道だ。
文句や非難は簡単だが、それでは相手は頑固になってしまうだけだ。身近にいる北朝鮮のような人間にどう接するかで、自分の成長が試されるのだ。目先の人間関係の延長線上に、民族の関係もある。
いまあなたならどう接するだろうか?
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