希望

中学生の頃、何故かわからないけど、癌におびえていた。
いま、癌になったらどうしよう?とか、
若い時の癌は、進行が早いからあっという間に死んでしまうとか、
余計な情報を調べては怖がっていた。今思うとほほえましいくらいの
アホさ加減だけど、当時は怖くて眠れない日もあった。
次第に死に対する恐怖が鈍感になっていったのだけど、
ふとそんなことを思い出していたら、昨年末あたりに教わったBlogを
思い出してのぞいてみた。
晴海22歳の闘病日記 ~死ぬまで生きた~
http://toubyou.ameblo.jp/
人生は有限だ。当たり前だけど、いつも気にしていたらとても生きられない。
「いつ死ぬかわからないから面白いのだよ」と多摩大学名誉学長の野田一夫さんが
楽しそうに語っていたのを思い出す。
いつかその日は誰にもやってくる。
その時に、またその後に、幸せだったと思える人生にしたい!
古代ローマ人は、死んだといわずに、生きたと墓碑に表現した。
自分の生き様が、未来の人に希望を与えるような人生にしたい。
感傷的な快晴の一日のはじまり。

8 comments

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セイン

今日の日記は、珍しく?
すばらしいですね。
生きた!と墓石に書けるような生き方にしたいよね。
おぜっきぃが先に逝ったらセインが墓石に
サインペンで書いてあげるよ。
「いきたぁああ~。」って・・・・。(笑

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kita

私も、マイナス思考のヘタレスパイラルになる時があります。そんな時、ジョジョの奇妙な冒険28巻にあるワンフレーズを思い出します
「条太郎は考えるのをやめた」
結局のところ、考えても考えても、それでどうにかならないのなら、思考を停止させるのが一番  お気楽、極楽ですね

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junsai

人生を一本の映画にしてみると、これは撮りなおしのきかない映画だと思う。私達は、今、ここで、という、時間、空間の制約をうけて生きていくしかない。いま、ここで、を生きていく事が、自分の人生を彩り、証を立てていくものなのだろう。あの時のあの言葉は言わなければ良かった、あの時ああすればよかった、と思っても、カット、編集できないのが人生なんだろうね。でも、そういう思いを持ちたくないなぁという願いが我々の中にはあって、その願いがあるから、我々の「生き方」が問題になっていくのだと思う。一所懸命に生きること、それはガムシャラに、訳解からずに突っ走る事では無くて、悟って生きる事なのでしょう。今日一日、今この一瞬を行きぬく事が自分の人生の証だからね。

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junsai

訂正
最後の一文。「今この一瞬を生き抜く事が」です。失礼しました。

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プリンセス

エゴではなく(そこが人間は難しいんだけれど)次の世代に勇気を与えるような生き方を
したいです。
ありがとう。

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たむたむ

「自分の生き様が、未来の人に希望を与えるような人生にしたい。」
まったく「同感」です!素晴らしい。

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MRB

愛を貫いてください。

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manna

はじめまして、お邪魔させていただきました。
野田氏の言葉、すごいなあと思います。
TBさせていただきました。

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