嫌なことに価値がある

人間関係のストレスで悩む人は多い。相手と自分、違うからこそ価値があるのだが、やっぱり自分は正しい、相手は間違っているとなりがちである。また、自分が間違っている、相手が正しいとだけなっても、自分のほんとうの人生を歩めない。
自分の時期や相手によって、自分の信念に従うときなのか、相手を受け入れるときなのかと自問自答して、悩み苦しみ、間違っているかもと恐れを抱きながら、勇気を持って進むしか無い。魂から納得して進む限り、どんな失敗も失敗でなくなる。それは学ぶべき課題となる。
 「いい人」というのは大抵揉め事が苦手だ。
 揉め事を好む人間は、揉めたら見返りがあることを知っている。
 自分の思い通りにしたい時には、相手を嫌な気分にさせるのは有効な手段だ。
 いい人やお金で問題を解決しようとする人は、妥協して解決を図ろうとする。しかし、それは相手の思うつぼである。毅然と対応しなければ、身も心もすり減ってしまう。
 輩が、この世は揉めたもん勝ちだと思ってしまうのも無理も無い。
 良い人間ほど、信念を持って戦わなくてはならないのだ。誰よりも争いを嫌う人間だからこそ、 争いを起こして利益を得ようとする人間には毅然と立ち向かわなければならない。 
 いい人にとっては、それは苦痛なことだ。自分さえ我慢すれば良いと考えてしまう。それが相手に付け入る隙を与え、増長させてしまうのだ。間違ってる人間に、あなたは正しいとお墨付きを与えているようなものだ。
「あいつはそういうやつだ。しょうがない」は逃げである。
 勿論、ただ喧嘩すれば良いと言っているのではない。向かい方も千通りある。一番大事なのは、方法論よりも、
「相手のためにも、自分の心とも戦って、問題に向かうぞ!」という自分の心のあり方なのだ。
 自分が嫌だなと思うことこそチャンスなのだ。今回は、揉め事を例にしたが、嫌なことは何でもヒントになる。お掃除が苦手とか、料理が苦手とか、書類作成が苦手といったことでもそうだ。
 自分の思い込みを超えて、新たな自分を創造するチャンスだ。
最初はどうしていいかわからないだろう。意識高く実践する内に体験することだが、それでもわからなければ、このブログからヒントをつかんでほしい。

コメントを送信