真の悪党とは
綺麗ごとの世界を成り立たせたいのなら、どこかが悪を引き受けなければならない。悪を必要以上につぶして回ると、結局は自らのもとにそのつけは回ってくる。誰かしら汚れる役目が必要なのだ。正義のヒーローが成り立つには、悪役がいなければ始まらない。そのバランスが大事なことは、生態系という自然の教師に学べることだ。
衛生状態を気にしすぎて無菌にこだわり続ければ、免疫がなくなり結果として病気になってしまう。多少のばい菌は必要なのだ。また、消毒しすぎて、その消毒が効かなくなり、更に強い毒性を持つ場合だってある。過ぎたるは及ばざるがごとしの言葉通りだ。さらに言えば、細菌がいなければ、細菌がつないでいた連鎖の輪がなくなることになり、全体が崩壊してしまう。
その他にも、ブレーキだって遊びが必要なように、無意味と思われる余白が社会には必要だ。無意味だからそんなものはなくてもいいと切り捨てていけばいくほど、社会の余裕はなくなり、ぎすぎすしたものとなっていく。効率化だけを求める社会はそうなるしかない。
ITによって加速された経済が、多数から少数へと富を移転する動きをしている。絆を利益に変えてきた。そして、深く考えもせずにスピード優先で企業活動を邁進していると、回りまわって自分の首を絞めることになる。利益の極大化を推し進めるならば、スピードこそ命だ。だが、肉食動物だけでは生態系が成り立たないのは明白だ。草食動物が育つには時間がかかる。それを無視して、スピードを追い続ければ、すべてを刈りつくして自らのエサもなくなる。
世界を人と例えるならば、癌細胞は際限のない拡大を目指している会社だといえよう。しかし、成長期であれば、一見際限のない拡大をしていると同じように見える。正常な細胞なのか、癌細胞なのか、自分では判断つかないものだ。気付けばミイラ取りがミイラになるようなものだ。
悪党というものは、既存の秩序を脅かす存在だ。だからこそ叩かれやすい。しかし、その性格ゆえに、新しい秩序を作り出す芽が眠っている。実体世界からすれば、ITや金融、革命家などは悪党に見える。この悪党がそのまま秩序を崩壊させたとしたら、どんな秩序が待っているのか?それは今よりも幸福なのだろうか?次の世界をイメージできていないと、自分の行為が地獄への高速道路を作っていることになるかもしれないのだ。
そしてITによって加速された金融こそが、世界の秩序を破壊しつつある。その先には、持つものと、持たない者の二極化された世界だけが残って、持たない者は諦めと一瞬の楽しみだけを追い求める人生となる恐れがある。夢も希望もない社会だ。
夢や希望は、バーチャルの中にしかない世界ともいえる。ある意味完成された世界だ。しかし、そこにはドラマがなく、自分が主人公にはなれない世界だ。この病に対するワクチンは、悪党の中にあるのだ。ただの悪党で秩序を破壊するだけなのか?それとも、新しい秩序を創造する英雄になるのか?真の悪党とは、悪党に見えて実は正義の味方だったというのが面白いドラマではないだろうか。
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