復帰ではなく、出発の日だ
今日は沖縄の本土復帰の日だ。41年経った。沖縄を取り巻く環境が加速度的に変わりつつある。つい最近の橋下氏の発言は、普通の感覚で言えば軽率だと思える。普通でない感覚で見れば、軽率だから神輿には最適だとなる。軽率な発言を繰り返してきている石原氏を見ればいい。世間体など気にせず吹っ切っていることはかなり大事な資質である。
今日は沖縄の本土復帰の日だ。41年経った。沖縄を取り巻く環境が加速度的に変わりつつある。つい最近の橋下氏の発言は、普通の感覚で言えば軽率だと思える。普通でない感覚で見れば、軽率だから神輿には最適だとなる。軽率な発言を繰り返してきている石原氏を見ればいい。世間体など気にせず吹っ切っていることはかなり大事な資質である。
忙しさは伝染するものです。
先週わたしも働き過ぎで倒れ、救急車で運ばれ死の淵をさまよったのですけれど、果たしてそれが信仰の告白になるのかどうかは、聞いたものが恵まれるかどうかという結果にかかっています。
何も学ばなければ、また同じことを繰り返すでしょうし、学べば、また、次のフェーズにあがるための苦しみが待っています。
人の話しを聞くこと、言われた通りにすることが如何にむつかしいことか、ひとりでできると思い込んで無理をしてしまうことや、簡単に落胆してしまうこと、神を単純化してしまうことの危険性を病を通して悟らせていただいたことは大変な恵です。
辛い時こそ世界観が創られ、心に真の確信と平和に対する希望が湧いてきます。
畏れるべきは神であり、気をつけるべきは生ぬるい信仰です。
ある者が霊に満たされ過ちを指摘したとしても、心が定まっていないのであれば水を手で打ち砕くことと同じです。
一見柔和なようでいて心の定まっていないものは、精神が腐っており、信仰の失格者です。
よく祈って見たのですが、真理の、それも極意を尾関さんのブログを通して聞いている人の中にも、戦争の雰囲気に飲まれ、大衆と同じように浮き足立っているものがいます。
このような、目先の出来事に流されるものがどうして神の子と言えるのでしょうか。いえ、特に日本人の恐怖とは金と性的な欲求からきているので、戦争の気配を通して、心の中で犯し続けた罪がはっきりと表に現れたと言えます。
ですから、まだ耳のあるものがわずかばかりでも神の寂しさや、孤独を感じることができるよう、オワリに向けてあなたがたにこうして場をお借りして証をしているのです。
すでに心で堕落をしたもの、戦争で名をあげようというものは争いによって滅ぼされます。
まだわずかばかり船に残っているものに告げ知らせます。
ただ、神を信じなさい。そうすればあなたがたの全ての行いは義とされ救いに授かる恵みをいただくことができるからです。
こんばんは!
沖縄に移住した人間として、尾関さんと同じ事を考えます。
資本主義の限界、環境の限界。
資本主義を続ける為に開発と破壊を繰り返しやってきたけど、もうその受け皿である環境が限界に来ている。
統治論的な立場で行う破壊。
ヒットラーだからできた事。
小泉さん、安倍さん、橋下さんだからできる事。
今回の橋下さんは、自分のバックボーンやブレーンがあっての発言であり「マッチポンプ」を繰り返しているある方面からの指令でもあるような。
何れにしても日本の花火は打ち上げられたので、あとはそちらの方向へ進んで行くのでしょうね。
沖縄という外国の繋がりから透けてくる日本のこれからの姿が、少しでも良くなるように願い貢献したいですね。
「お金の稼ぎ方より、信用の作り方を学んだほうが価値がある」
このフレーズ、自分の心に頂戴します。。
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