イメージの力
災害は非日常を意識する。社会の変革期には天災も連動して起こりやすい。そうしたどうしようもない圧倒的な自然の力によって、人間の小さな概念(考え)は壊される。自分から概念を壊せる環境にない人間は、自然によって壊されるのだ。もはや、何が起きてもおかしくはない。富士山の噴火さえも不思議ではないと感じる。
概念が壊されたら、新たな概念、世界を生み出せばいい。311以降、古くて新しい「絆(きずな)」という言葉をよく耳にするようになった。私が以前から訴えてきたことだ。我々の仲間の絆は、試練を通して更に強くなった。心の財閥は着実に広がっている。
普段会わない人同士でも、お互いを想ってイメージできるなら、そこに絆はある。それこそ、会ったことない人同士でさえも、想いで繋がっているのが我々の世界だ。勿論、この文章を読んでくれている方とも絆は存在する。
相手を想ってイメージする。現代の人が忘れてしまった、祈りという行為。私は、この文章を読んでくれている人たちをイメージしている。顔が浮かぶ人もいれば、まだ見ぬ人へのイメージもある。コメントを書いてくれている人を私なりにイメージする。そのイメージで書き始めることもある。
シンクロが起きて、何かの気付きとなりますように。
少しでも、自分と戦う勇気が湧いてきますように。
怠けたい時、人が信じられないとき、辛い時、諦めたくなるとき、新たな世界からモノゴトが見ることができたら、その瞬間に世界は変る。なんであれ光を感じてもらえたら幸いだ。
歴史を学ぶと、同じような想いで世界を進化発展させようと努力してきた先人達を知る。
今日が宮沢賢治の命日だと、友人が「農民芸術概論綱要」を送ってくれた。以前この文章に触れたとき、賢治の世界観の大きさを感じさせる、この言葉がずっと私の心に残ってきた。それは、
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉だ。
絆によって、人は感じることが出来る。なんてこの世界は素晴らしいのだろうと。人類全体が幸福になることはすぐには実現できない。だからこそ、世代を通して、想いのバトンを渡していくのだ。賢治も勿論菩薩である。彼は法華経によって開花したのだ。
求めなければ開花もない。時代が後押ししている今だからこそ、真剣に人生を求める時期ではないだろうか?真剣に自分の人生をイメージして欲しい。
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