背負っているもの

今週末も、沖縄に出かけてきました。
今回は知人を紹介するのが主な目的でしたが、
引き続き現地の方にご案内いただき、
素晴らしい人々と場所を巡ることができました。
しかし、前回より更に理解が進んだゆえに、
無邪気に素晴らしさに感動できなくなりました。
素晴らしさの裏にある、一言で言えば「苦悩」を
知ってしまったからでしょう。
過去のしがらみに取り付かれ、肯定的な未来を
自力では描けなくなっているように見受けられました。
家族、会社、地域、国、それぞれレベルは違えど
皆、何かしらを背負って生きています。
一時的には逃げるのが簡単です。逃避。
安易な道を選ばずに立ち向かおうとする
勇気のある方を尊敬します。
自分はまだまだ、軸がしっかりしていないなと
そういう方々を拝見して感じました。
じっくりと消化していきたいと思います。

国家の品格

遅ればせながら、「国家の品格」を拝読しました。

情緒と形を大事にすべき
武士道精神の復活
共感の持てる主張です。
特に、資本主義が抱えている時限爆弾
そして、論理の問題はためになりました。
?論理の限界
?最も重要なことは論理では説明できない
?論理には出発点が必要
?論理は長くなりえない
そして、自由、平等、民主主義を疑うも
心のもやもやを払拭してくれる爽快さです。
話し言葉で理解しやすく、新書サイズで
簡単に読めるので是非お読みください。
お奨めです。

もののあわれ

本日、出雲大社にお参りにいってきました。
ご紹介頂いたので、案内していただき
出雲大社の貴重な場所を見ることができました。
歴史ある場所に来ると、時の流れに想いを巡らせ
もののあわれを感じます。
趣のある建物と自然の気を堪能して
今年の会社の成長を祈念してまいりました。
今の季節には今の楽しみがありますね。
そうそう、平成20年に大遷宮が行われますので
今のうちに毎年お参りくださいませ。

ファッションチェック!

雑誌を見ていて、この商品欲しい!!と思ったことありません??
雑誌に掲載されていて、Zeelで扱っている商品を紹介している
Blogをご紹介しまーす。
Zeel的ファッションチェック
欲しい商品探しにご活用くださいましー。

極端にご用心

いつも素敵なコメントを皆様ありがとうございます。
一つ一つ返信すると、出来なかったときに申し訳ないかなと
不精している私をお許しください。皆様のコメントが継続する
力となっております。今後ともよろしくお願いします。
今日は好きな言葉をご紹介します。
「幸福であるためには、人は幸福を追い求める必要なんかない。
ときには人は、それを忘れなくてはいけない。ときには人は、
不幸を楽しむことすらしなければならない。
私は、幸福であるためには、人は時として不幸も楽しまなければ
ならないといっているんだよ。それもまた生の一部であり、
ビューティフルなものだ。このようにしてバランスが保たれる。
もしあなたが24時間笑っていたら、あなたの笑いは神経症的に
なってしまうだろう。それはもう笑いじゃあるまい。
あなたは気が狂うだろう。笑いを生き生きとした正気のものに
保つには、涙もまた必要だ。
24時間幸せでいられるものじゃない。不幸せというのは
ひとつのリラックスだ。24時間不幸せでいられるものでもない。
幸せというのがひとつの安らぎになる。」和尚
いつもピークを追い求める自分に自戒をこめて。

玉露

打ち合わせというか、なんというか、
よく説明できないが、とにかく中目黒の
HIGASHIYAにでかけた。
HIGASHIYA
緒方社長さんは元々インテリアの人なのですが、
レストランもやりだして、今はこのHIGASHIYA ブランドで
お茶菓子もやっています。
坂井さんに呼ばれて伺いました。何度もお邪魔しているのですが
初めて、玉露をいただいて、その味に感動!!!
是非、お試しください。
ほんの一口しか抽出できないのですが、
出汁のようで、深みのある味です。
本当に美味しい。感動します。
40度のお湯で出すのが一番うまいそうで
二度ほど愉しんだ後、普通の玉露になり
最後は茶葉も美味しくいただけます。
久しぶりに味で感動しました。
どうも、脳みその制約が強くていけません。
本来、同じ味などないのですから、
普段のご飯も、ありのままに味わえるように
悟りたい今日この頃です。
写真撮り忘れたのが残念・・・・・。

無用の用

「無用の用」
〔荘子(人間世)〕一見、何の役にも立たないようにみえるものが、
かえって大切な役割を果たしていること。不用の用。
無駄なものなどありません。
無用に見えるのは、視野が狭いから。
私はすぐにラベルをつけて、判断しがちなので
自戒をこめて書いてみました。
でも、
実は、
ある人の、
カツラをみて、
「無駄だなぁ」と判断したのを
「いかん、なにかとてつもなく意味があるのやもしれん」と
心を振り替えたのでした。。。。。お粗末さま。

時計

この方のBlogを読むときは、PCを前にしてニタニタしてしまうので、
周囲から怪しまれることになる。その愛読Blogで、
去年の買い物ベスト3」というエントリーがあり、
その中で、プロジェクター時計が紹介されていた。
これ欲しい!と営業に聞くと、ちょうど入荷するというので
ご紹介。目覚めて、いま何時か知りたいときに、
プロジェクターで映し出されていたら便利ですよねぇー。
かっこいいし!
520001463-d01-l.jpg
フィリップ・スタルク デザインの時計をお楽しみください!
http://www.zeel.jp/disp/itemlist.jsp?dispNo=001022021
Ps:公開アルバムの写真については、ちょこちょこ説明文書き込んでいきますね。
ご質問のあった箇所などは書き込みました。ご覧くださいませ。
今後はそちらに書いていきます。

意見の相違

仕事をしていると、意見が対立することが多々ある。
Aさんの主張も、Bさんの主張も、
各自の過去の経験と思考から、ある主張が生まれる。
頭脳から生まれるものは、相対的だ。
その主張は一部分しか表していない。
よって、どちらも正しいといえる。各自の中では
まったく正しい。
だからといって、それを他者に押し付けると、
押し付けられた側は苦しくなる。正しさを主張すると
戦争になる。(アメリカとイスラム諸国が良い例)
私は、正しいことより、どうやったら楽しくなるかと知恵を出したい。
Aさんのアイデアは、あくまでAさんにとっての最適解で
あって、会社全体から見たら、AさんBさんのアイデアとも
最適ではないこともある。
最適ではないかもしれないけど、限られた資源の中で
現時点でのBest(楽しそう)を選択し、実行して
検証していくプロセスが仕事であろう。
現時点でのBestを判断するためには、冷静に客観的に
どの意見も(自分の意見も)他人事のように観るとよい。
本当は、研ぎ澄まされた直感が一番間違いない。
次第に経験を積めばそうなるだろうが、内面の洞察が
不十分なうちは、頭脳の力も借りたりする。
客観的にアイデア検証すべきだが、そこに負の感情が入ると
やっかいなことになる。自分のアイデアが採用されないと
不愉快に感じたり、やる気を失ったりする人がいる。
そうなってしまったのは、自分の力不足だと思える人は
不愉快にはならない。
よく考えれば、自分の頭の中で、違ったアイデアがでても、
怒らないだろう。相手のアイデアも自分のアイデアだと思えたら
会社いる人全員の脳を活用できる。自分の脳力は、全体の
一部だと俯瞰することができれば、意見の不一致による
感情のもつれはおきなくなるだろう。
どんな意見も、相対的であるのだから、絶対だと思い込むことほど
周囲と自分を不幸にすることはない。
ある言葉を紹介しよう。
「私は矛盾を包含するほどに広大だ」
sabaku.jpg

会社の存在

会社のあり方を考えていた。
個々人を大事にする、それは大切なこと。
しかしそれは野放しで良いというわけではない。
求めよ、さらば与えられんである。
下記の文に出会う事が出来た。
「何らかの責任は自由を犯すものではない。
実際、責任ある人々なしには自由は存在できない。
誰かが庭の面倒を見なければ、花々は咲かない。
  中略
コミューンは、個々人を尊重する。尊重するとともに、
責任も与える。その責任とは、他人に迷惑をかけないよう
気をつけること、そしてコミューンに貢献するということだ。
もしコミューンの井戸から水を汲むのであれば、
何らかの貢献をしないといけない---自分にできることを。
  中略
望ましいのは論議ではなくて、対話だ。誰かに何かを
押し付けるのはよくない。知性ある人々なら、その理由は
自分で見つけられる。押し付けるものではない。
ところが中には、放恣(ほしいまま)のことを自由だと
思っている人々がいる。放恣(ほしいまま)は自由ではない。
  中略
自由というのは、より大きな責任だ。それはあなたに
尊厳と矜持をもたらす。それによってあなたは、
自分が意味ある生活を営んでいると気づく。」和尚
自らに由る人間の集まり場つくりをお手伝いできたら
幸せに思う。皆が、誰かの奴隷ではなく、上下もなく
ただ役割が違うだけ。
愛と調和に満ちていたら美しいのだろうなと
まずはイメージしてみました。

The way of every day and a bodhisattva