以前紹介した読谷村のカフェが、Birth Lilac(ライラック)となり
OPENいたしました!!めでたいめでたい!
■http://birth-okinawa.com/
製作した新たな看板。58号線から見えるところに設置されます。
記念すべき、お客様第一号は、ミュージシャンのこの方!
http://birthlilac.ti-da.net/e2459830.html
ここの売りは、手作りの庭と洞窟!!
本当に全部手作りです。皆の精魂込めた念が入っていて
雰囲気がいいですよ。是非ご覧下さいませ。
名護まで来るのは辛いというあなた、読谷村までなら来れるでしょう!
是非、お待ちしておりまーーす!!
現代の自己犠牲
自己犠牲というと、イエス=キリストのことが思い出される。
わが身を捧げるという行為は、当たり前だが簡単に出来ない。
特攻隊のように仕組みがあって捧げるのも辛い・・。
個人的には、自己犠牲というと、中学時代に読んだ、三浦綾子さんの
「塩狩峠」を思い出す。大人になってからは色々と突っ込みたくなるが
当時は純粋に感動した。
で、生命を捧げるのが究極の自己犠牲だとしたら、
それ以外にどんな自己犠牲があるだろうか?
私はよく、人、物、金を相手に賭けるのは自己犠牲だという話をする。
今日はその話ではなくて、現代だからこそ自己犠牲となる行為があるなと
つくづく感じたので書こうと思う。
現代は、人との直接交流なしに生きていける時代だ。
ネットや電話で、注文したら食料は宅配され、何年も引きこもる人も居る。
そこまでしなくても、嫌な人との交流は簡単に避けられる。都会に居たら
尚更、人を選んでコミュニケーションすることができる。
昔であれば、村八分のようなものもあり、村から出ること自体が
難しかったので、話さずに生きるということは逆に辛かっただろう。
人は本来コミュニケーションを求めるから、物理的接触を絶っても、
ネットで繋がろうとするのかもしれない。
こうして自分も避けられるし、相手も避けることが簡単な時代において、
人に向かい続けるということは苦痛を伴うものだ。
会いたくない人に敢えて向かい続ける。
嫌われてもやり続ける。
また、辛抱強く待ち続ける。
人に対して、大義と愛を訴え続けるということは大変だ。
馬鹿にされたり、理解されなかったり、伝わらなかったりするのが
当然の世の中だからこそ、やり続けることに価値がある。
私も嫌な奴はどうでもいいやと思ってしまう。
しかし、ご縁があった人たちだ。向かい続けなければならない。
情けは人のためならずである。
でも、想いのない行動は傷つく。
強くなりたいナー。
塩狩峠 (新潮文庫)
三浦 綾子
ビーチ
外人だらけで日本とは思えない風景だった。
生きる意味
昔は生きる意味を求めて、瞑想したり、読書したり
旅をしたり、あらゆることを体験したりしてみた。
今は、そういう探求に魅力を感じなくなった。
自然と今していることが、自分の使命なんだと実感する。
意味すら考えなくなっている。
生きてるから意味があるのか?意味があるから生きているのか?
そうともいえるし、そうともいえない。
禅の公案みたいになってくる。
コメントをいただいた。
>しっかりとした目標・目的、強い意志があるから
>そう出来るんだと思うんですね。
>現段階での、目指しているもの、意味などを聞かせていただけたらな。。
>と思いました。
自分の場合、背水の陣に追い込んだことが大きいと思う。
やるしかないという環境に追い込んだから、やらざるを得なかった。
どうなるかも自分も周囲も分からず、ただ無我夢中に模索していたら
道が開けてきて、気づいたら面白くなってきていた。
以前は、あんなに真剣に自分の人生に何の意味があるのか?と悩んで
いたのに不思議だ。
気づいたことは、私は社会的なことに関心があり、
世の中を少しでも良くする活動を、独自の路線でやりたい!
なぜ、高校生の時に、アメリカ先住民の話やベトナム戦争、
タイの山岳民族の村に興味を持ったのか?
今になってすべてつながってきた。
改めて思うことは、先進国の中でも日本に生まれたことを追及したい!
日本人である宿命を生かして、どう運命を運んでいくか?
自分のすることがどう影響していくかわからないけど、
関わることを恐れていたら、死んでいるのと同じだ。
せっかく生かされて生まれた命を活かしきりたい。
リスクを負った分だけリターンがある。
私たちと一緒に新世界創造に賭けてみませんか?
ベトナム報告
ベトナムの世界に触れて感じたことを一言で言えば、
「意識が高い」に尽きる。
10年以上前から沖縄からベトナム入りしているメンバーや
特にここ一年、仲間が頑張ってくれたお陰で、深い人脈が
できてきた。
ベトナムは共産圏なので、簡単に集会などできません。
集合するには届出が必要です。またNPOもありません。
学生集めてセミナーもしたのですが、これも公安が介入し
国外退去処分されてもおかしくないことです。
多くの日本人は、逮捕されるかも?と聞いたら、すぐに弱腰に
なってやろうとはしないでしょう。しかし、現場でベトナムの
ためになることを切々と訴えて戦ってきたのです。
そのお陰で、ベトナムのメンバーの魂にも火がつき、
自分たちでこの国をよくしようと燃えています。
ベトナム人のエリート層の人でも、公安から逮捕される
危険もあるのに応援してくれたりしています。
あるベトナム人の大学教授は、
「当時国内問題であった枯葉剤の問題を、世界の問題に広げて
くれたのは、日本女性の写真がキッカケだった。本当に感謝して
いるし、日本人のお陰で大変助かった」といってくれました。
我々の先輩方の貢献のお陰で、良い印象を得ているのは
とても大きな財産です。我々の世代は何を残しているでしょうか?
まだ貧しい国で、経済成長を優先してもおかしくないのに、
社会のことを考え実践する人々が多いことに驚きます。
それに引き換え、豊かなわが国では、まだ経済成長のことばかり
語られているのが気になります。
しかも、本当に成長したいのなら、国内はもう限界が見えているのに
なぜ海外に真剣にでていかないのか。引きこもり国家なんだなと
改めて実感しました。
本土を出て、アジアを目指そう!
我々が伝えられるものを持っているうちに・・・。
Ps;本日はとってもいいことが会った日!!記念日だー。
死ぬ瞬間も思い出すだろうなー。ありがとう!!
ホーチミン市友好連合委員会
ベトナム日本友好協会副会長兼事務局長のタインさんと。
ベトナム戦争の裏話が興味深かったです。トンネル掘った土をどう捨てたか?とかアメリカ軍が何してたか?とか、出版したい内容でした。
革命世代はやはり違いますね。刺激を受けます。
BLOG IT! from bjリーグ、琉球キングス日本一
【電子号外】bjリーグ、キングス日本一 東京に89―82 – 琉球新報 – 沖縄の新聞、地域のニュース
プロバスケットボールbjリーグの琉球ゴールデンキングスは17日、東京・有明コロシアムで東京アパッチとリーグ優勝決定戦を行い、89―82で勝ち、初優勝を飾った。リーグ参入2年目のキングスは今シーズン、開幕から9連勝を飾るなど、西地区の首位を独走し、リーグ歴代最高勝率の41勝11敗でレギュラーシーズンを終えた。
大塚社長おめでとう!!
設立前に会ったことが懐かしい。
破竹の進撃でしたね。
沖縄Power恐るべし!!
琉球ゴールデンキングスと東北楽天ゴールデンイーグルス。
どちらの社長もたまたま知ってますが、共通点は
ゴールデンがどちらもついてる。ゴールデンはいいのかな?
終末のコンフィデンスソングス
今日は色々あった!自らの不注意により災難があったが、これも信号だ!この程度で済んでよしとしよう。
ミスチルライブが最高だったから、終わりよければすべてよしですな(‘-^*)ok
沖縄本土復帰記念日
沖縄の日本入りから37年。
いろんなことがありました。
復帰の日生まれのJobwe佐藤氏、おめでとうございます!
年まで同じとは縁がありますねー。
彼とは、会社を創業した日が同じというご縁もあります。
40年の節目に向けて、貢献できたら幸いです。
夜明けのブレス
今は台風の前の静けさ、そんな感じがします。
時代が変わっていく時はどんな感じなのでしょうか?
明治維新や戦争終結のように、明らかにそれとわかる場合と
携帯の普及やネットの浸透のように徐々に変わっていって
気づいたら変化が当たり前になっている場合がありますね。
政治が変わるとき、経済が変わるとき、文化が変わるとき、
宗教が変わるとき、、人が変わるとき。。。
どんな場合も、このままでは駄目だという危機感が先に
立つことが多いのではないでしょうか。
現代は経済の時代ですね。
上場企業も国家も、右肩上がりの成長が当然でした。これからは
こんな時期だからこそ、新たなアイデアやサービスによって成長
できる企業・国家が選別されていきます。そして、どんな主体も
自分だけは違うと思い込んでいます。しかし、右肩上がりを永遠に
志向することは、がん細胞のようなものです。
かといって、数字が成長しないのは納得いかない御仁も多い
ことでしょう。こういう文節で語ると、二元論になりがちです。
成長するかしないかどっちだ!というように。
人間だって、身長という目に見える成長のあとは、
目に見えない、心や頭の成長があります。どんな軸を基軸に
据えていくかが問われるでしょう。大人がいつまでも身長や
体重にこだわって無理やり伸ばそうとしたらおかしくなります。
また逆に子供が、栄養を疎かにしたら健全な発達はないでしょう。
今は何を大事にすべきなのか?そんなことをじっくりと自分に
問いかけていく時期のように感じています。
変化を希求するとき、それは逃避ではないかと自問して欲しい。
経済の在り方の変化を求めるとき、単純に経済活動を捨てて、
自給自足だ!エコだ!といった話に逃げがちです。
巷で語られている危機話に賛同して、その時を待つのではなく、
いま自分はどんなことを体験したいのか、自分は何を求めて
いるのかをもがいて、人を頼って、あがいて、悩み苦しんで
やっと掴めるものでしょう。
簡単に手に入れたものは失いやすい。苦労して得たものが
本人にとって本物です。安易に逃げずに、今の持ち場に向かう
ために、大きなビジョンを持つべきです。
自分の周囲にしか答えはないのですから。