この世界とは?

 白鳳龍

写真ではその素晴らしさの一端しか伝わらないが、想いの詰まった作品なので掲載した。いつか実物を見て欲しい。圧倒的に伝わるものがある。
日頃、自分たちは沖縄でも東京でも、アートを通してみずからの心に向き合っている。この作品はどれくらいかかったように見えるだろうか?勿論全体像をみていないのでわからないだろうが、この部分だけでも相当細かいのがわかるだろう。
テーマがあり、その時とのシンクロもあり、一つの作品となる。場所との調和、想いの込められたストーリー。価値を高めあい、更なる高みへと目指していく。どんなに綺麗事を言ったとしても、作品になるとすべて内面がでてきてしまう。
この作品は3人の仲間が三日間徹夜して制作したものだ。その中には、筆の使い方すら知らなかった全くの素人もいる。仲間の感想を紹介する。
「過酷な数日間であったと共に、猛烈な感謝がありました。本当にいろいろな自分との葛藤が有りました。直ぐに限界を作ってしまう自分の弱さが嫌でたまらなかった。
沢山の苦しみを感じて、自分がもっとブレずに強くならなければ、人を救うことなんて出来ないのだと改めて痛感しました。私はまだまだだなぁ。弱いよなぁって、まざまざと、感じました。
と同時に、この数日間を乗り越えることが出来たのは、仲間がいたから。共にアートを出来る仲間がいることや、アートを一緒にできなくても、繋がっている仲間たちの想いを本当に沢山沢山感じました。だから、とっても幸せで、その幸せを噛み締めています。
猫寺という、素敵な場所に自分の触らせていただいた作品が残ることの喜びを感じ、感謝すると共にやっぱり、この世界ってスゴいなぁって。愛の深さを改めて感じています」
「この世界」という言葉に閉鎖的な印象を受けるかもしれない。宗教ぽいと毛嫌いする人もいるだろう。我々は特定の教義や神がいるわけではない。宗教を超えようとしているのだから、そこにハマってはしょうがない。表面の言葉に囚われずに、「この世界」という言葉に抵抗があるなら「この会社ってスゴい」「この漫画はスゴい」なんでもいい、理解しやすい形に置き換えてみたらいい。

会社だって漫画だって、そこはひとつの世界だ。いま生きているこの三次元の宇宙をどういう世界観で捉えるか?ただの物質のみの、何の神秘もない世界ととるか、世界は奇跡の表れと見るか。愛を感じることができる世界か?愛などないと感じる世界なのか?
我々の「世界」の本意は、経済の世界も、政治の世界も、宗教の世界も、宇宙の世界も、すべてと繋がっている世界なのだ。決してそれは閉鎖的でなく、かつ上下関係があるわけでもない、役割の相違と尊敬と智慧と愛と感謝がある世界を意味している。
同じ言葉でも、意識が違えば、伝わり方も違う。そこから誤解も生まれる。誤解がまた進化のキッカケになる。この世は何のムダも矛盾もない。目の前の現実をどんな世界として解釈するか?それが他人にも共感されて、真剣に広げようと感じたならば、その世界は発展する。資本主義という世界がここまで広がったのも、現世利益というわかりやすい共感があったからだ。
折角日本は世界の最先端なのだから、面白い世界観を創造し、世界をトコトン楽しんだら最高だ。自分は決して同じ世界観だけを要求しているわけではないが、創造の前には破壊があり、それを受け入れることから始まる。何かを感じるキッカケとして、アートを見て欲しい。自分はそれを見て何を感じるか?そこを大事にすることで自分が見えてくる。

因縁の島

人間に因縁作用があるように、国にも因縁関係がある。琉球は元々中国との因縁が深かった。首里城は紫禁城をお手本にし、王の名前である「尚」という性も中国からのものだ。関係深かった中国との関係も、日本によって因縁付けされ、更にアメリカによって因縁付けされた。

それだけ魅力的な島だとも言える。中国と暫く離れていたからこそ、また新たな関係が出来る。いま因縁が深い日本、アメリカとの関係を考える上で、中国との新しい関係が必要になってくる。因縁は敵にも味方にもなる。向かうことでしか、味方にはならない。
そうした流れもあり、中国北京へと行ってきた。そして、中華人民共和国と微妙な関係にある台湾の中華民国。台湾もかつては小琉球と呼ばれた国だ。沖縄が大琉球と呼ばれていた。この2つの島が今後どのような動きになるか注目だ。
因縁だからこそ、有り得ないことが起こる。因縁だから足を引っ張られていても気が付かない。お互いに良かれと思って、足を引っ張り合い、落ちて行くこともある。逆に、それを助ける縁もある。わかりやすく言えば、良い因縁・悪い因縁。時間軸を長く取れば、本当は良い悪いはないけど、ここではあえてそう表現しよう。
良い因縁ほど一見縁が薄そうでわかりにくい。それは愛で包まれているから厳しく見える。
悪い因縁ほど恋愛のようにわかりやすい。それは自己愛しかないから、情が入りやすい。
恋を愛に昇華できるか?自分の気持より相手を想えるか?国だって同じだ。自国の利益しか主張しないのであれば、だれが支持したいと思うものか。相手のために、あえて自分はいま目の前のことに集中する。自分を知ることが、因縁を超える近道だ。
自分を知れば、信念という力強い意志が育つ。それはエゴの強さと紙一重だからこそ、それを検証する仲間が欠かせない。常に信念が自己欺瞞へと変わる恐れはある。そうした恐れと原点への感謝を忘れないことでしか、真の強さは維持できない。
今こそ中国に感謝しよう。今の表面の中国にではなく、歴史や文化を創り上げてきた中国の魂に。その魂に火をつけることができるのは、熱い魂しかない。ここに熱い琉球魂によって、火がついた大和魂がいる。
魂が燃えれば、因縁は応援するか去るか、どちらかに別れていく。どちらにしても学びがある。それを背負って更に向かう。背負えば背負うほど、人は強くなるのだから。

人間の原点

 困ったとき、迷った時、同じ問題が繰り返される時、すでに枝葉にハマっている可能性が高い。一生懸命にやればやるほど、ドツボにハマっていく。幹という原点を見逃し、枝葉に意識が行ってしまう。

今年に入ってから、キチンと向き合ってきた人間は結果も出てきたことだろう。いい調子の人も、そうではない不調な人も、今は原点を意識するときだ。更に飛躍するために、好調に戻すために、自分の原点を見つめ、深める時期だ。
どんな人間も修行の時代がなければ、飛躍はない。それは、一度やったら終わりというものではない。例え成功していたとしても、原点への意識を通して新たな気付きを得る。修行に終わりはない。感謝を忘れなければ、更なる機会に気がつける。原点を思い出せば、ヤル気が更にみなぎってくる。
今後、人間の原点を感じたいという人間が益々増えてくる。アニメ脳やバーチャル脳が増えれば増えるほど、インターネットの世界も発展する。発展すればするほど、その逆のものを求めだす。ヴァーチャルにハマればハマるほど、リアルを求める。リア充なんて言葉が生まれるのも当然だ。
仮想現実の世界は、死後の世界と同じなのだ。どちらも、自由に何でも思ったとおりに出来る。抵抗のない世界。イメージが創りだす世界。何でも実現できるからこそ、そこには実感が伴わない。マトリクスの中で、ネオが感じた違和感もそこにある。どんなにリアルに見えても、何かが違うと感じる。
どの道をたどろうとも、半端をせずに、極めれば極めるほど、本物がすぐわかるようになる。わからない、不安なのであれば、それは半端だからだ。半端に行うのが一番苦しい。トコトンやるわけでもなく、トコトンやらないわけでもない。チョコチョコと様子をみるかのようにやっても、何も見えなくて余計に自分が辛くなる。もしくは半端に見えて、誤解をして否定的にモノゴトを見てしまう。
徹底的にトコトンやるのは大変なように考えてしまう。辛そうだなとか相手に悪いなとかイメージして、ほどほどの所で自分に妥協して、自分を偽る。自己欺瞞をすると、自分以外のすべてが悪い原因となる。
引きこもるなら徹底的に引きこもるのだ。飽きるまで体験すればいい。迷惑をかけるならトコトンかけるのだ。半端な優しさは自分にも相手にも良くない。時間の無駄使いだ。我慢の限界は早く来たほうがいい。
金を稼ぎたいのならトコトンやってみる事だ。自分の限界も欲望の深さも見えてくる。言い訳などせずに、自分に正直に生きたらいい。綺麗事や良い人などやめて、摩擦を起こすのだ。摩擦を体験するために生まれてきたのだから。今の時代、そうしなければ、自然災害で嫌でも摩擦が起きるだけだ。だとしたら、トコトン摩擦を起こせばいい。
摩擦こそリアルだ。人はぶつかり合いの中でしか、真理の体験をすることはできない。慣れ合いや綺麗事の世界は、ヴァーチャルの世界にいるのと同じだ。摩擦のない世界の究極がITの世界だ。
話していて嫌になれば、接続を切ればいい。人との摩擦はゼロ。
どこの誰かもわからないのだから、やりたい放題、言いたい放題。自分との摩擦もゼロ。
露骨なのは霊の世界と一緒だ。だからこそ見えるものもある。ITが悪いと言っているのではない。
芸能人のオセロ中島氏のニュースがいい例だ。芸能界で極めたあと、突然の引きこもり。霊能者に何と言われたのだろうか?家族との縁も絶ち、家賃も払わない吹っ切りぶり。すごいことだ。なかなかできることではない。一体なぜそこまでのことができるのか?
芸能界は元々、以前にも書いたが河原者や穢多非人(えたひにん)と呼ばれる差別された人たちが担当してきた仕事だった。本来は恥ずかしい、笑いものにされてきた仕事で、決して尊敬される仕事ではなかった。そんな歴史的背景も知り、だからこそ良い影響を与えたいと自分の原点を深める。なぜこの仕事に関わったのか?自分の使命は何なのか?
深めれば深めるほど、以前のように単純な仕事として割りきって仕事が出来なくなる。芸能界の世界で極めたからこそ、その先を求めての苦悩。真剣だからこその悩みだ。真剣に人生に向き合っていなければ、適当に半端に仕事をし続けて、何の問題も報道されることなく生きる選択も出来ただろう。
だがそれで魂は納得するのか?世間で何と言われようとも、自分の魂と正直に向かい合う人間は少ない。若いのに急逝したホイットニー・ヒューストン。彼女もまた、生きることの葛藤で苦しんだ人間だ。辛い、悲しい、嫌な事のように見える苦しみこそが、魂にとっては貴重な体験なのだ。極めたからこそわかるものがある。
極めてないものには、絶対に一生理解出来ない世界がある。これから、彼女たちのような人間が益々増えてくる。だからこそ、その受け皿を作っている。人間の原点に気がつくことが出来る場所。それが沖縄であり、我々の拠点であるライラックなのだ。
沖縄で人間の原点である体を動かすことをし、汗を流す。そこから気がつくものがある。原点に戻れば、今までの経験を活かして飛躍が出来るのだ。本来この世に善悪はない。差別にも善悪とかそういう次元を超えた意味があるのだ。
パワーがあるから差別される。それについてはまたにしよう。

世界の中心から愛を

今日の沖縄はポカポカと暖かった。一方、本土においては大寒波の影響により、特に日本海側は大雪で大変なことになっている。震災の影響で、ただえさえ苦しい予算のなか、除雪費用に苦しむ自治体が増えている。一方、アメリカのワシントンでは記録的な暖冬で、なんともう既に友好100周年の桜が咲いてしまったのだ。一体この差は何を象徴しているのか?

そして、花粉の時期が近付くにつれて、花粉=放射能と騒がれ始め、次々とやってくる情報で不安が増すことはあっても、不安がなくなることはない。ただでさえ不安なのに、追い打ちをかけるかのように、近いうちに大地震がくるかもしれないという予測を東大の地震研究所が発表してしまった。
きっと「危ないから準備しておけば助けになる」という親心から発表したのだろう。これこそ、情(じょう)で真面目脳である。真面目に何でも言えばいいのだろうか?また言わないとしたらどうするべきだろうか?責任と覚悟がないままに情報が垂れ流されて、その情報に一喜一憂するのが大衆だ。もしくは、何らかの意図のもとに情報が流されていたとしたらどうだろうか?
いずれにせよ、人々の不安がどんどんと積みあがる中、何もなかったかのように経済活動にはげめるだろうか?無理であろう。地震や放射能がやってくるかもという中で、誰が家を建てて車を買おうと思うのだろうか?新しく投資しようとするよりも、今あるものを守ろうとするのが人情だ。しかし、循環しなければ経済は回らない。こんな状況で経済が上がる要因が一体どこにあるのか?
これから益々不安が増す中、希望の地として沖縄が不安に比例して注目されてくる。地震も花粉も、雪もない沖縄。アジアのへそとしての沖縄。今は観光客が500万人を超えているが、これから人口を500万人にしようとしているのだ。
そして、次々と毎日のように報道される沖縄問題。何か一つ片付いたかと思うと、また新たな問題が出てきて、常に新聞紙面を騒がしている。日本人の意識に沖縄という言霊が刷り込まれている。
沖縄こそがノアの方舟になる。琉球の象徴である龍の年に、裏鬼門の方角にある沖縄。いろんな意味で面白くないだろうか?沈没しつつある日本がリセットされた後に、ではどんな社会を理想として作るのか?そのひな形に沖縄がなるのだ。まるで戦後日本のひな形が満州国にあったように。
日本の原点が残されている沖縄の地で、新たな光を感じてほしい。
新たな光とはどんなイメージだろうか?我々の世界は、嵐のように波風が立っている時もあれば、鏡のように澄み切って平穏な時もある。ただの平穏を求める仲良しごっこなどではない。真剣であるからこそ、時には嵐のようにぶつかりあう。
誰一人として同じ人はいない。世代やバックグラウンドもバラバラな人間たち。異質が共存する世界。皆が個性的であり、自分の才能や、役割を求めて徹底している。
それは、自分自身をより高めたいと同時に、世界をより良くしたいと言う強い気持ちから起きている。異質の中だからこそ、自分に気が付ける。自分の進化が世界の進化へとつながる。
だからこそ、誰一人欠けてはならず、大切な存在である。本来の社会のあるべき姿なのだ。 光を感じる世界でなければ、魂は燃えられない。今の日本で燃えられる対象があるだろうか?沖縄で自分が何に燃えるのかを、自分の中から気が付き、自分の持ち場を極めて欲しい。ただ極めるだけでは、それを分かち合えないからこそ、一緒に歩いて行ける仲間の価値がある。共に喜び、共に泣く。そうした体験を人は求めている。

空想が世界を変える

「新時代は、アニメ脳とかバーチャル脳とかいうような人種が世界を創っていく」と以前書いたのを覚えているだろうか?
新世紀エヴァンゲリオンの秘密」という記事だ。たまたま友人と、時代と若者についての会話をFacebookでしていたときに、アニメ脳について書いたら、面白い感想をくれた。
「コスプレは特殊な人だけの趣味嗜好だと思ってたけど、新たな時代の価値観を伝える先行指標であったのかぁ。」と。以前、エヴァンゲリオンを題材にアニメ脳の記事を書いたのはもう二年も前のことだ。
改めて、アニメ脳について書いてみたい。アニメ脳とは、現実より空想が優先される脳だ。3次元(現実)の人間より、二次元(アニメ、ヴァーチャル)のキャラクターに魅かれる。現実にいないからこそいいのだ。
ファッション誌のモデルに憧れて、同じような洋服を買うのと一見似ているが、キャラの内面や設定をより重視するのがアニメ脳だ。そのアニメの設定(自分の空想含む)と現実をシンクロさせたくて、コスプレをする。恰好だけでなく、その世界観の中で、キャラクターの性格も同期させたいのである。 
空想を現実とシンクロ(同期)させたいので、リアルなガンダムが登場すると動かなくても嬉しい。現実にいながら、空想にいる。が、自分のシチュエーションがつまらないから、空想に逃げている人が多いのも確かだ。現実よりも空想世界のほうが面白いのだから、夢中になるのも無理はない。
「あの世界に登場したい」現実の世界を、ディズニーランドにしたくてたまらない。その世界にどっぷりと浸ろうとする。空想に浸れば浸るほど、逆にリアルにそれを感じたくなる。
本当は現実ほど面白い物語はないのだが、目の前にありすぎてそれに気が付かない。空想世界は、作られた限りのある世界だから、すぐに消費しつくしてしまう。なので、その題材を借りて、新たにストーリを作っていくのが同人誌の世界だ。
しかし、空想はどこまでいっても空想である。現実の深みに比べたら、圧倒的な体験が情報量としてある。情熱的な仕事の例として、こんな話を聞いたことないだろうか?ただ石を積んでいる仕事とみるか、教会を作っているとみるかで、仕事のやりがいが違ってくると。
教会という偉大な存在を作るプレイヤーとしての自分。これも空想を現実に持ち込んでいる例だ。
ヴァーチャル物語の登場人物になりきる人が、燃えてその世界を更につくりあげる。たとえば 、菩薩劇場という物語が、現実に展開している。その意識がない人は、自分がその物語の登場人物であることに気付かない。現実の世界は即興劇のようなものだ。意識しない人がいても、その人は意識しない人の役を担うことになる。
この世界では、皆が役持ちで、自覚して動きだせる環境でもある。自覚したら、ただの脇役から主役へと躍り出る。大きな脚本のもとに、いまこの瞬間に物語がつくられている。役を譲り合ってたらストーリーにならない。
アニメ脳の人間たちは、現実世界の動きに興味を失っているが、現実が物語を超えることがわかったら途端に燃える。たとえわからなかったとしても、一瞬でもアニメの世界を現実に感じたら熱狂する。それが、単純に言葉のフレーズに惹かれ、その世界に酔っていただけだとしてもだ。
江戸時代の日本人もオタクのような職人が、あれこれ技を競っていた。そのお宅芸が世界に受けたのだ。葛飾北斎がいい例だ。今も昔も日本は最先端の視点を持っている。アニメ脳のなかにヒントがあるのだ。
今の自分の状況をどんなアニメや漫画、映画のシーンと同期させることができるか?同期できたら、その世界の中で自分が脚本を書けるのだ。こんな楽しいことはないではないか。イメージ持っている人間のほうが、現実をリードするのだ。これも錬金術なのである。

アルケミスト

 先日、「錬金術の秘密」を書いた。それを更に深めてみる。まず、紙コップと聖杯の例えを書いたが、実は聖杯の対極が紙コップではない。聖杯の対極は、汚物入れみたいなヘドロカップとでも名付けよう。

聖杯が光の象徴だとしたら、闇の象徴としてヘドロカップがある。ヘドロが次々と湧いてきちゃうし、臭いので蓋をする。しかし、金じゃないと蓋できないのだ。蓋ができないと汚物を垂れ流し続けてしまう。貧乏人だと問題が露骨にならざるを得ないということだ。金持ちは問題をお金で解決できる。それは金で覆われて一見綺麗な聖杯に見える。が、実はヘドロカップでしかないのだ。見た目で騙される罠だ。

聖杯はパワーの象徴でもある。パワーをどう使うかで、聖杯にもヘドロカップにもなるのだ。更にわかりやすく例えるなら、お金もパワーだ。そのパワーをどう使うかによって、光にも闇にもなる。
錬金術とは本来、世界の神秘、人間の神秘を追求するところから始まった。人を錬金するという視点でみてみよう。
AがBに1千万投資したとする。普通の視点であれば、1千万が5千万とかに増えたら成功。無くなったら失敗と見るだけだろう。しかし、金額が増えたとしても、それによってBもAも慢心したとしたら、汚物を生み出しているのと同じだ。同じ慢心の汚物だとしても、この場合Aのほうが罪が重い。Bを慢心させてしまったキッカケを作ったと見るのだ。成功したとしても罠はある。
であるならば、失敗したとしたらどうだろうか?Aはそんなものだと諦めたとする。Bは自信を失くす、もしくはAに対してやましい気持ちを抱くとする。この場合も、AがいくらBに対して「気にしなくていいよ」と言ったとしても、Bの中では気にしない訳にはいかない。また、本当に気にしないのであれば、それはそれで罪だ。この場合も、Aのほうが罪深い。きちんとBの本質を見極めずに投資したことも、失敗してそこで諦めても良くない。
表面的な成功や失敗では見えない、無意識の功罪があるのだ。だからこそ、AはBに対して光を見せることも、闇を見せることも出来る、素晴らしいチャンスなのだ。チャンスはピンチということもこれでわかるだろうか。
成功したとしても、AはBに原点や感謝を忘れないように意識させ続ける努力が必要なのだ。そうすることで、Bは光を感じ続ける成功者となれる。
失敗しても、Bに向き合い続けて、チャンスを作り続けてあげることが大事なのだ。もういいやと諦めては絶対にいけない。失敗した人間ほど、Aから離れたがる。Aにしたって、会いたくなくなってくる。どちらも相手をヘドロに感じるだろう。
ヘドロだと思ったら、中から金がでてきた!とするのが錬金術だ。どんな人間も、金を含んでいるのだから。失敗しても向かい続けることで、ピンチをチャンスに変えられる。かえって失敗してよかったということになる。
金を出す側のほうが実は大変なのだ。人を活かすも殺すも出来るからである。そして、いっけん金持ち喧嘩せずのように、「損切りしてしまえば済む」と考えたとしたら、一番罪づくりなのだ。
視点を変えて、投資を受けたBがAに対してはどうだろうか?BがAに対して、投資をキッカケに光に導くか、闇に導くか、同じように出来るのだ。この場合、先ほどのケースよりも難易度は高い。投資するほうが大体立場が強いからだ。
上から目線の人に向かっていくことは難しいのがわかるだろう。教師と生徒を考えてみたらわかりやすい。教師も生徒を、聖杯にもヘドロカップにも導くことができる。だから聖職というのだ。
生徒が教師を導くのは一見難しい。しかし、意識が高い生徒であれば教師を導くこともできるのだ。本来、教師と生徒という立場は、人格の差で決まっているわけではない。その原点を意識して、相手に対して向かうことで、変化が起きる。
まず、相手に真意を伝えるためには、教師の意識の壁を破壊しなければならない。
「おれは教師だ。上なんだ」という意識と
「おれが投資家だ。金出してあげたんだ」という意識は、無意識にあるものだ。口では綺麗事をいうものだ。
「生徒に教えてもらっています」という感じに。
いざ、意見すると、途端に受け付けない。だから難易度が高いのだ。
人に影響を与えるというのはとても難しい。人の錬金は料理に似ている。煮立つ前に味付けるのか?煮立った後なのか?塩の量はいかほどか?隠し味は何が必要か?素材によって、美味しい調理方法が違うように、人によって錬金の方法も違う。
一人ひとりをきちんと見て、料理しないと美味しくならない。
我々は、難しいことから挑戦してきたと書いたが、生徒が教師に向かうようなことをイメージしてもらえたらわかりやすい。だから、教師になったとしたらとても楽に出来るのだ。
錬金術に興味ある人は、アルケミストから読み始めるのをオススメする。

菩薩ファンドはじめました!

以前、「本当の投資とは」で、投資の本質について触れました。更に「特別な投資をされたい人へ」という内容で、特別な投資について説明した。そして、「仕事の本当の意味」で菩薩の仕事を書いてきました。

その上で、AMEMIYAさん風にタイトルを読んで見てね。
想いを込めて「菩薩ファンドはじめました!」なんです。
そうです。いよいよ投資活動を解禁します。この冷やし中華のように、ここまで来るのに語り尽くせない物語がありました。かつての自分は、なんとなく話しもたくさん来るし、頼ってくる人を助けたいからという安易な気持ちで、投資したり人を紹介したりしていました。
そのツケを学んだ6年間でした。人の行動、行為には作用・反作用があるのです。そして、お金という物質にも、見えない作用があることを学びました。「一石三鳥」などもその学んだことの一つです。
そうした経験を踏まえて、今だからこそ、あえて投資活動を積極的に行なっていきたいと考えています。元気がなく、先が見えない社会だからこそ、希望の光を発していきます。
心の修行を重ねてきて、自分たちの価値観を共有できる仲間も増えました。敵味方もハッキリと別れてきた今だからこそ、想いのある人たちとトコトンやります。受け止める土壌ができたので、後はその土壌に種を植えたり、移植したりと生態系を創っていくイメージです。
土づくりが一番難しいのです。それをせずに、いい苗をとりに行っても無駄なのです。そして、どこにその種や苗を配置するか、美意識が問われてくるのです。オウムなどは美意識がないために、あんな結果となったのです。センスは大事です。イケてるか、イケてないかを見抜く意識につながってきます。
ITだろうと、飲食だろうと、アパレルだろうと、結局はどんな投資案件でさえも、どんな人かということにつきます。自分たちは、人との信頼関係の作り方、潜在能力の開花の仕方など、数多くの経験を積んできた実績があります。
自分を応援してくれている人たちは、資産家から学生まで幅広く、かつジャンルを問わず存在しています。世界が違う人間同士は普通なら繋がることはありません。違うからこそ、新たな価値が創造できるのです。
自分を信頼してくれている資産家たちと組んで、新しい特別な投資の仕方をしていきます。目に見える形がないと信じられない人もいます。そういう人たちにとってはわかりやすくなるでしょう。そこを入り口にして、真理を求めるキッカケとなれば幸いです。
我こそは特別な投資をされたいという人がいたら、門を叩いてください。精神的にも物質的にも豊かなコミュニティを築いてきたので、あとはこれを広げていくだけです。ひな形は完成したので、解禁します。今年は攻めていきます。お楽しみに!

宗教とビジネスの間

旧暦のお正月を迎えた。そして新月の日。今年は貴重な天体ショーも多い。自然と密接に関係していた農業時代から工業・情報化時代となるにつれ、暦(こよみ)や天体による影響を意識しなくなってきた。意識しなくとも、人は無意識にその影響を受ける。

また意識していないつもりでも、意識していることに自覚していないこともある。例えば、初詣、結婚式、お葬式など節目節目で宗教儀礼に参加している。祈るとかお祝いとか、心に関係している儀式と宗教は密接に関係している。無宗教と日本人はよく言うが、日本人ほど宗教好きはいない。ただ、それを自覚していないだけだ。
それはそうと、一般的に宗教というと怪しいとか、怖いとかステレオタイプな反応が生まれるよう、戦後は刷り込まれてきた。宗教アレルギーになるように洗脳されてきたわけだ。宗教にハマっている人は危ないとか、そこで宗教的なモノに対して拒否の壁が生まれ、冷静に考えることもできない。
よくよく考えてみて欲しい。これは何度も言っていることだが、儲かるとはなぜ信者と書くのか?製品にしろサービスにしろ、それが好きな信者がいなければ儲からない。最近ではAppleがいい例だ。アップル教ともいうではないか。
ビジネスとしてアップル目指す人でも、アップル教を理解できなければ、ビジネスとしても実現できない。多かれ少なかれ、信者がいないような会社は発展しないのである。一昔前であれば、松下電器産業が松下教と言われたものだ。
松下幸之助も、天理教に影響を受けてビジネスに活かした。明治維新に始まる国家神道も、国民を一つにするための施策として、神道を利用したに過ぎない。
心がテーマの時代になっていくのは間違いない。だから昨年は絆が流行語を取った。でも、絆の作り方がわからなくなっている。心をテーマにした時、宗教的要素は切り離せないものなのに、アレルギーがあるために、絆も限界がある絆になってしまう。
宗教にハマっている人からみると、ビジネスなんてくだらないと見える。あの世に持っていけない金を稼ぐことに血道をあげて時間の無駄使いだと。
ビジネスにハマっている人からみると、宗教は現実からの逃避や馬鹿な人だと見える。どうせ現実に打ちのめされて逃げているだけだろう。もしくは、論理的ではない、科学的ではない、無知な未開人たちだと見ている。
どちらも間違っている。ビジネスで成功した人ほど、宗教に走っていく理由がわかるだろうか?物質の満足は限りはあるが、心の満足はきりがない。どこまでいっても先が見えない。市場としては底なしだ(笑)
心に偏りすぎても、現実が見えなくなる。現実に偏りすぎても、心が見えなくなる。宗教どっぷりでも、ビジネスどっぷりでも、真理は見えない。人間としての価値は何だろうか?高貴で理解力と包容力がある人格者だけが価値ある人だろうか?
どうしたら価値ある人になれるか?
どうしたら価値ある会社になれるか?
これは密接に関係している。会社を構成しているのは、人間だから当たり前な話だ。
いまはカネを稼ぎ、人格者である人間が価値あることになっている。本当にそうだろうか?本当の人格者とは何だろうか?
私はこの広い日本の中でも珍しい立ち位置にいると自覚している。
ビジネスもわかるし、宗教もわかる。
東京(頭の世界)もわかるし、沖縄(心・霊の世界)もわかる。
大衆もわかるし、特別な人間たちもわかる。
いま自分が手がけている会社たちでは、特別な新時代のやり方を体現している。そうしたことも今後は書いていく。

錬金術の秘密

2012年に入ってから、今まで封印してきたモノゴトを解禁しだした。情報を公開したり、自分からアクションしたりと、新たな流れを作ることを意識している。
今までは、あえて真っ向勝負でやってきた。まずは人生を賭けて一緒に戦える仲間を創ろうとしてきた。これに限らず、とにかくやり方も難しいことから挑戦してきたので、どんな問題も余裕を持ってむかえるようになった。仲間が面白い例をあげていたので紹介しよう。
「今までは、ただの紙コップを100万円で売っていたようなものですよね。でももう既に100万の価値があるコップなら、余裕で1億円で売れるくらいの実力がついたと自信がありますよ」
誤解のないようにいうが、価値のないものを伝えていたわけではなく、真に価値はあるけど、価値がわからない人にとってはただの紙コップと同じにしか捉えられないからだ。
まさに豚に真珠、猫に小判である。しかし、そうした人にさえも、価値を伝える努力をしてきたのだ。由緒書きとか保証書、血統書など、わかりやすい表面的な形式が揃っていると誰でも納得しやすい。しかし、そうしたものをなしで、人間力だけで価値を伝える努力をしてきた。
わかりやすい説明をしない、もしくはできない(真理は体験するまでわからない)ことで、真に信じるとはなにか?を追求できた。情報を与えて、それで信じるというのであれば、それはただの取引だ。取引で大事なことは、人を信頼するのではなく、その情報やモノが信頼できるか?だ。第三者機関や裁判所といった組織が保証していたら信頼できるというのは、要は情報が大事で、人は誰でもいいということだ。
その人を信用出来ないから、契約書が欲しいのだ。とことん信じたくないのだ。限定で信じたいから、限定された契約という形にして、そのことだけを信じる形を取る。契約期間が終了すれば、あとは知った事ではないということだ。
「こいつは価値あるコップではなく、紙コップを売りつけているのだろうか?」モノゴトの価値もわからないし、人も信じられないから、
「鑑定書見せろ」となる。だとすると、売る方だって、
「信じてくれない人に売りたくないな」とか、
「だったら高く売りつけてやれ」となるのが人情だ。
人の気持ちを悪用した詐欺があるから、契約や目に見える保証を欲しがる気持ちもわかる。信じるものはバカを見るということわざがある。しかし、それは途中で信じるのをやめたからだと言いたい。自分も途中で沖縄詐欺にあったのかもと悩んだものだ。しかし、詐欺にしては真剣な熱を感じたので、
「もうこうなったら信じ続けるしかない」と決めた途端に、道が見え出した。信じるものは救われる、のだ。
例え、最初は紙コップの価値だったとしても、それを特別な紙コップに出来るということも学んだ。それがわかった途端に、実はそれが紙コップなどではなくて、とてつもない聖杯だったと気がつくのだ。聖杯は一見、紙コップに見えるのだ。これが真の錬金術の秘密だ。
インチキをやろうとしても、すぐに化けの皮は剥がれる。しかし、本物の価値ある人間になれば、紙コップでさえも価値をつけられるようになる。わかりやすく言えば、レディーガガが飲んだ紙コップだとしたら、欲しがる人はたくさんいるとわかるだろう。
真の錬金術で創った価値であれば、時代を超えて残る。錬金術を表面だけ悪用して作ったモノは、消え去るか、価値がわかる人の元へと流れていく。いずれにせよ、この世に無駄なものはない。
いま住んでいる庭にある、お気に入りの苔の生えた岩。雪化粧してるのは初めて。この庭も長い間、たくさんの人の想いを入魂してきて今がある。今も変化を続けている。こうした価値がわからず、時代を超えて残るモノなど創れるわけがない。庭全部を紹介したいが、それは実際に見てのお楽しみにしておこう!

2012年01月17日のつぶやき

03:28
2012年01月16日のつぶやき: 04:01
2012年01月15日のつぶやき: 11:16
『基地はなぜ沖縄に集中しているのか』 疑問積み重… http://t.co/2O67Uf7f
12:29
筥崎宮。元寇の際に神徳があったとされる宮。三大八幡宮のひとつ。黒田長政建立の一の鳥居。 http://t.co/AuD0HxS6
12:31
12:33
樹齢800年の大楠 http://t.co/5NAsnLxp
12:37
敵国降伏の額が http://t.co/AHCncuVS
12:38
敵国降伏のいわれ http://t.co/LeG0XloL
13:43
13:47
御神木の綾杉 http://t.co/QLzSMunD
14:06
14:20
仲哀天皇 訶志比宮趾 http://t.co/3etYB1n6
14:41
この狛犬、顔小さっ! http://t.co/GvZCbrSJ
15:36
三位一体の住吉宮 http://t.co/qeJAEKIG
16:36
生チョコチーズ饅頭。美味かったよ。 http://t.co/l7X9jUIE
17:12
太宰府名物の梅ヶ枝餅も美味しい。名物に美味いものなしというけどね。夕日と餅 http://t.co/o3kR2Pnh

The way of every day and a bodhisattva